佐賀旅 吉野ヶ里遺跡② | 毎日笑う

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①からの続きです




この入り口から村の中へ


ウキウキして入場〜\(//∇//)\



…とりあえず 


村の中を見て回る前に


旦那さんからのリクエスト


朝イチに



弥生時代の体験コーナーしてきた〜





旦那さんは鏡作り


私は銅鐸を作りましたd(^_^o)



もちろん 当時とは作り方は違いますけどね


↑銅鐸のバリをとるのにペンチをつかってて


それが凄く硬くてなかなか割れず💧


ついつい…


当時もペンチなんてあったのですか?


とアホな質問をしてしまった女は私です 笑





鏡も銅鐸も


どちらも吉野ヶ里遺跡から出土したもので


大陸の技術の高さを感じますよね〜


ところで


幻の邪馬台国はどこにあったのか?


実は未だに議論されていて


↑何せ2000年も前の話しだもんね


九州説と近畿説がありますけど…



役1万年も続いた縄文時代から


弥生時代に急に変化がおきたのは


たぶん大陸からの文化が流れこんだ事が大きい



それまで狩猟を生活の糧にしてきたのに


農作物を作る文化 に変わり


蚕などの養蚕文化も…


さらにはおった布を染めたりもしてる


↑吉野ヶ里遺跡からは出土されています

が 一部の支配層のみ着用


大陸からの技術や文化が流れてきて


縄文時代より大きく進化してきた!


邪馬台国は先進技術のムラだったに違いない!



…大陸からの文化…と考えると


より朝鮮半島に近い九州の方が理にかなっているよなぁ〜と思うのでですが…



それに弥生時代後半のものと思われる金印


↑中国の歴史書『後漢書』東夷伝を根拠に

皇帝光武が西暦57年(弥生時代後期)に

「倭奴国王」に贈ったものであると考えました


福岡の志賀島から見つかっている


↑国宝 現在 福岡市博物館に展示


私 実物を見てますd(^_^o)



大陸から人が渡ってきて


邪馬台国を作った…?




吉野ヶ里遺跡から出土された人骨を復元すると





左が 渡来人 右が 在来人 




ヤマトタケル と クマソタケル


手塚治虫の漫画 火の鳥の中に


ヤマトとクマソの争いをテーマに書かれた話しがあるのですが…


クマソの人達はヤマト王朝の文化を受け入れず


長い間 ヤマトと戦ってきた…


私はクマソタケルに


つい肩入れしてしまうのですわ



話しが長くなるので


③に続く〜