↑高校生の頃、母に
「一回キャラ弁作ってみて」
とお願いしたら作ってくれたキャラ弁
ちなみに、おにぎりは「カッパ」、
シュウマイは「わんちゃん」
ハンバーグは「ねこ」らしいです
………カッパのセンスよ
今回は、思春期の頃ずっと悩み続けた、
視線恐怖・脇見恐怖について、追記したいと思います
どうしても一回の記事じゃ、書ききれなくて
一番症状が重かった高校生の頃を追記①、
今現在の症状を追記②にして、
2回に分けて書きますね
視線・脇見恐怖 〜追記①〜
私が感じていた症状は、主に4つあります。
順番に上げますね
①他人の視線が怖い
きっかけは、目を動かしてしまうチック症でした。
チックを持っている自分が、周りにどう思われているのかを、
執拗に気にするようになりました
他人の視線が怖いので、
高校生の頃は髪の毛を下ろし、
うつむいて髪の毛で視界をさえぎっていました…
1番視線が怖かった時期が、高2の頃で。
超ロングにしていました
ほんとは髪を切りたいけど、視線が怖いから切れない
それも、つらかったです。
ただ、中学生時代の仲が良かった友達には、
少し目を見て話せたんです
「この子は私の視線を迷惑に思うような子じゃない」
そう安心していたのかもしれません
②見たくないのに、視界に入ったものをチラチラ見てしまったり、見つめてしまう
脇見恐怖の症状です…
実際に自分が見てしまっているのか、今でもよくわかりません
ただ、
脇見恐怖のために授業で黒板を見れないのが、
本当につらくて。
進学校だったので授業の進みも早く、
1時間の授業で3回は黒板を消されました
それだけ、板書量も多くて…
精一杯勇気を振り絞って黒板の方を向いても、
チラッとしか黒板が視界に入らないんです
ノートに何も書けない日も、たくさんありました。
特に電子黒板を使う授業は、もう諦めていましたね
授業でスライドを全部見せられなかった時に、
先生がスライドを紙に印刷して、配ってくれたことがあったんです
そのスライドが軽く40枚はあって……
その時点で絶望しました
私には、この脇見の症状が1番辛かったです。
「私の視線が、誰かに迷惑をかけている」
ずっとそう思って、家に帰っては泣いていました
③周りの人みんなに常に見られている
視線が怖くて顔を上げられないので、
常に下を向いて歩いていました
首の角度がかなり下だったこともあり、
実際に「この子大丈夫…」
という感じで見る人もいたとは思います。
ただ、視線恐怖がなくなって気づいたことは、
「他人はそれほど自分に興味をもっていないこと」
道を歩いているだけで、
他人から視線を向けられることは、ほとんどないんです
だけど当時はそうみんなから言われても、
自分でわかってはいても、
見られている気がするのは変わらないから
つらかったんですけどね😔
④みんなが私を見て笑っている
クラスでの授業中や、休み時間、電車などで、
誰かが話していて笑っていた時。
「自分のことを笑っているんじゃないか」って、
すごく怖かったんです
私の視線が変だから。
チックで目が動いちゃうから。
だからみんな私を笑ってる。
そう思って
チックで目が動いてしまうので、
私は高校生の頃、いつも笑顔を作っていました。
笑うと、目が細くなって目の動きがわかりにくくなるから。
だけど無理に笑い続けていたあるとき、
今自分は悲しいから笑ってるのか、
嬉しいから笑っているのか、
わからなくなりました。
本当に、つらかったです
母には、
「常に周りから見られてるなんて自意識過剰だ」
と言われたのですが、
その当時は笑われているようにしか感じなくて
つらい。の一言しか出ませんでした。
私が感じていた症状は、主にこの4つです。
視線で悩むことは、本当につらいです
自然な目線を向けられることが、
本当に当たり前じゃないことを、身をもって感じています。
高1の3月に、かかりつけ内科を受診し、
軽い心の薬を出してもらっていたのですが、
その内科の先生が、本当に優しくて
高校生になって視線に悩み続けてから、
私は好奇の目にさらされていると感じていました。
みんなわたしを変だと思っている。
だけど、この内科の先生だけは、
私のことを普通な人として、接してくれました
「つらいのは、今だけだから。
必ず、笑える日がくるんだからね」
そう言われたことを、今でも鮮明に覚えています。
本当に、その通りになりました
今、視線で悩んでいる人が、
少しでも楽に生きられますように…。