Miranda’s Diary

先週封切のマンマ・ミーア 行ってまいりました。今年初映画館です。

一昨年NYで観ようと思っていたこのミュージカルは 脚本家のストライキという憂き目に遭い
せめて劇場の写真だけでも と撮ったのがこの写真です

今回この映画を映画館で観ようと思った決め手はコリン・ファースでしょうか。

太陽がさんさんと降り注ぐ ギリシャのとある島が舞台
父を知らないで育ったヒロインが結婚式に"Three Possible Dads"を呼んで。。。
ということで始まる騒動がメインストーリーなのは有名ですね。
この3人の父親候補の一人がかつてのヘビメタギタリストという設定のコリンなんです
この人もどんな役も一通りこなす器用な俳優さんです

ヒロインの母親演じるのはメリル・ストリープ
『プラダを着た悪魔』のときも書きましたが 
知的な優等生というイメージの彼女。。。このキャスティングは?という感じでした
けれど、『プラダ』のときもそうでしたが そういう先入観は見事になくなります。
女優としての才能がある女優さんだとつくづく思います

以前この映画のPRでメリルは
「ワタシはダンスは踊れないわ でもそれでもいいと思ってる」
とインタビューに応えていました。
そういう優等生なソツない受け答え、彼女らしいのですが
実際 映画でのダンスシーンは かなり頑張っています♪ 

3人の父親候補の一人はピアース・ブロスナン
この人はオージーだったと思いますが一代前の元ジェームス・ボンド
今回は明るく陽気な役どころなのですが 
どこかでさっと最新機器がでてくるんじゃないか、とか 夜中に怪しい行動にでるのでは、とか
彼についてはボンドのイメージがまだ抜け切れませんでした そんな設定あり得ないんですが。。。

この映画はABBAの音楽に始まり音楽に終わります。
ABBAの代表作『ダンシング・クィーン』のシーンは一番の見せ所で圧巻です

少しスローペースな曲で ずっと以前の曲なのに 昔の曲なんて思えないほど新鮮です。
この曲以外のどんな曲もそうでしたが 特にこの曲は素晴らしいと思いました。
超ベタなベースラインがまた超ベタなだけに ずしずし胸に響いてきました。

個人的には三半規管が今ひとつ全快でないようで2時間は少し辛く感じました
音質もよすぎて 鼓膜にアタックされている感じでした
それでもふさぎ込みがちだったココロに 久々に ゲンキが湧いてきました


 それでも機会があったらもう一度観たい と思いました。

ゲンキになれる映画です







Miranda’s Diary

もう随分昔になりますが、丸の内のフォーシーズンズEKKIにてアフタヌーンティーを頂いてきました。


Miranda’s Diary

どのくら昔なのかはこのオブジェをご覧下さればご想像がつくかと。。。
東京駅の有楽町側に位置するセンチュリータワー内にあるこのお店も
一旦ホテルに入ってしまうと落ち着いた雰囲気が漂うのは嬉しいものです


Miranda’s Diary
この日のメンバーはミーシャさまとサンディさまと3人様で
関係者の方からお招きを頂きました。

アメリカンなバーガーからフレンチなバゲットから
ワイワイ楽しげなメニューです


Miranda’s Diary

パート2は、焼き菓子とマロンのアイスクリームで
芳ばしい香りに甘さ加減も丁度よく


Miranda’s Diary
ポップコーンなんて頂くのは何年ぶり、そして最後に頂いたのはやっぱり映画館かしら

このポップコーン味付けがアーモンドの見た目とのギャップ感も楽しみました

意外性っていうのは、成功して初めて言えることですね
外したら失敗作、そもそもお客の前には登場しませんものね


Miranda’s Diary
柑橘類のジュレ これも美味しくぺろりと平らげてしまったのはどなただったかしら、なんて

小粒の品々がちりばめられたアフタヌーンティー 案外おなかにしっかりきます


Miranda’s Diary

最後はカモミールで〆ました


Miranda’s Diary
和と洋 レトロとスタイリッシュがかみ合った空間を醸し出しています
そこにホテル独特の落ち着いた雰囲気がしっとりと流れています


Miranda’s Diary


アフタヌーンティー発祥の地英国とは、コモンウェルスとはいえ
少し離れたオーストラリア出身のシェフがいらして
そのシェフが日本でこのアフタヌーンティーを考案したものだとか

グローバルな世の中になったこと こんな風に実感するのも美味しいです



自分のブログに一ヶ月以上ふれていなかったなんて

信じられませんが、ようやくブログに復帰しました。


お正月からひどい病に見舞われ

頭部に関係する症状だったため、仕事以外ではPCなどに触ることもおっくうな毎日でした。

新年の一ヶ月をほとんど仕事と通勤以外は寝て過ごすなんて2009年なんて幕開けなんでしょう。


ここにきてようやく調子もあがってきたのですが

今年はのんびり行こうと思います。


このブログも気の向いたときに のんびりと更新をしていければと思っています。

何はともあれ、今年も美味しく楽しい一年になりますように

皆さまのご健康とご多幸をお祈りいたします。



毎年、家族や友人の誕生日の他に、思い出す日が何日かあります。
今日(明日)が阪神淡路大震災の日だった、ってことも思い出します。
今年は、朝の4時15分(地震があったのが4時17分だったと思います)に眼を覚ます始末。



その日 大阪にいた私は、大した被害には遭わなかったものの
地震そのものそれからその後の日々を振り返るにつけ 
やはり被災者の一人だったと思うのです。



あの日の朝のことはよく覚えています。


普段目を覚ますような時間では決してないのに、なぜか地震の数十秒前に眼が覚め、
「何?」って思っていたら、ぐらぐらと来ました。


急いでテレビをつけたこと、すぐに両親や友人から電話があったこと。
でも、その後、すぐに電話が不通になってしまったこと。
テレビを見てたら「あ、大阪でも火の手が上がりました!」ってアナウンスしてる現場が、
同じ角度で私がいた部屋からも見えてたこと。



7階建の7階にいた私は、もっとスゴイ揺れがあって建物が倒壊したら、
押しつぶされることはなくても、外に出れなくなっちゃう と思い、
普段とは全然違う気持ちで皆のいる場所に向かいました。

「皆と一緒が一番安全」と。



前の晩にカレーライスを作ったことも覚えています。
キッチンが大変なことになってました。
ルーが床にぶちまけられて、カレー粉の香りがあたり一面漂ってます。
その上に食器棚が倒れこんで、電子レンジが吹っ飛んで。

泣きながら、『何なのよ~』って言いながら、玄関までの道のりを掃除して通路を確保しました。
声でも出していなければ、何か大きい渦に飲み込まれてしまいそうで
「負けるな」って自分にガッツかけてました。



お部屋を出てから一度JRの高架を通らなければなりません。
たった数秒なのに、「どうか倒れてきませんように」と祈りながら通りました。


当然、昼間は何もできませんでしたが、食堂ではランチが給仕されました。
「ここにいれば、安心」って どんなにありがたく思えたことでしょう。



夕方はかなり出遅れました。
近所のスーパーに行ったら、目ぼしい食べ物はほとんど売り切れか入荷不能でした。
お湯が出なかったので、カップ麺も役に立ちません。
これから「生活が成り立つのか」、と急激に奈落の底に落とされたようなキモチになりました。
お金って最終的には何の役にも立たないって実感しました。



ほどなくして、母からお水や食物の救援物資が届きました。
涙が出るほど嬉しかったです。



しばらく、夜、部屋の電気を消して寝ることができなくなりました。
正直、今でも、たまにそんな晩があります。



カレーライスはその後半年くらい食べれませんでした。
もともと臭いに敏感な私は カレーのにおいを嗅ぐだけでも、目の前がくらくらすることもありました。



前日の日曜日に北野天満宮に梅を観に訪れたことも鮮明に覚えています。
あまりにキレイに咲きこぼれていた白梅、紅梅が鮮やか過ぎる印象です。
でも、ほんとはどうだったか、今はもう知る由もありません。



連絡が取れなかった、神戸に住んでいた友人と、数日後に連絡がとれました。
つっかけで歩いて神戸から実家の和歌山まで歩いて帰ったとか。



父が芦屋在住の知り合いの作家の方と連絡を取ったとき、ご自宅が半壊なさっていたにもかかわらず、
「お嬢さんは大丈夫でしたか?」って気になさって下さっていたそうです。
そういう空気は漂ってました。

皆、「私は大丈夫だけれど、○○さんは?」というように。
家はなくなっても、人の優しさまではなくなっていない

それどころかそこらじゅうに溢れていました。



不思議なことに、そこでやるべきことを一旦休止して実家に戻ろうとか、考えなかった。
混乱してたけれど、この状況がどうやって収まっていくのか、
立ち直っていく様を、私も地に足つけて、一緒に見届けなければ!って感じで。
っていうか、それすら、ちょっとしてから思えたことなんですが。



そうやって、少しずつ度胸がついてしまった、私です。



今でも被害に遭った方々のご冥福を祈ってやみません。


Miranda’s Diary

昨年の年末の誓い 「来年の年賀状は余裕をもって安全に投函する」

23日の天皇誕生日の午後を年賀状作成に費やした私

年賀状には昨年からの思い入れがありました


実は、昨年の年末は(も?)とんでもなく忙しく年賀状が仕上がったのが30日夕暮れでした

郵政公社に移行した後の郵便局が日曜日の夜まで営業しているのか不安で

その日 私は近所の大きい郵便局まで大急ぎで向かったのでした

郵便局の目の前の狭い小道をショートカットして大通りの変わりそうな信号めがけて斜め渡りした途端

「ぼこっむかっ

カラダの左半分が小道から進んできたバンに衝突 です
幸い、数歩分 弾かれただけで 命に別状はなく
公社に移行した郵便局の対応も変化はなく 年賀状も無事投函できました

生まれて初めてクルマと衝突という出来事にココロはかなり動揺し

その日その後はかなりブルーな気分で過ごすハメになったのでした


だから、そのときの来年の目標は「クルマ事故には気をつけ 安全歩行に努める」 

そして 冒頭の「来年は余裕を持って年賀状を作成する」 と


今年は、昨年からはあり得ないほどの余裕で賀状を作成できました

やればできるじゃない ワタシ

ということで来年も引き続き

安全に過ごすこと 年賀状の作成は余裕をもって安全に