今月22日、私は新潟県新潟市、長岡市を旅行した。
長岡市では、河井継之助記念館へ寄った。
ここは、河井継之助の生家跡に建設されたミュージアム。
河井継之助は、長岡藩の名家老だった人物。
彼は幕末、長岡藩の中級武士の子として、生を受けた。
子供の頃は、気が強く、やんちゃ坊主であった、という。
しかし、殿様(牧野忠恭)に才能を高く評価され、郡奉行になった。
その後、藩政改革を次々に成功させ、家老にまで昇進した。
しかし、明治維新になると、彼の人生は暗転する。
戊辰戦争が起きたのだ。
この戦争で長岡藩は、新政府軍(官軍)にも、旧幕府軍にも味方しない事を決めた。
つまり、長岡の民を守る為、中立になろうとした。
河井継之助は、小千谷の寺で、新政府軍と交渉。
「どちらの味方にもならない。新政府軍と、旧幕府軍の和平を仲介する」と伝えた。
しかし、新政府軍に、「我が軍の味方にならないのなら、長岡藩は敵だ。長岡藩を攻撃する」と突っぱねられ、交渉は決裂した。
やがて、長岡城は、新政府の大軍に攻められる。
継之助は、自費でガトリング砲を2門購入し、応戦したが、長岡城は落城した。
この後、継之助は、長岡城を奪い返す、という快挙を成し遂げた。
しかし、戦闘で彼は、重傷を負った。
会津地方へ落ち延びたが、只見村で没した。42歳。
河井継之助の激動の人生は、歴史作家の司馬遼太郎を感動させた。
司馬は、河井継之助が主人公の小説「峠」を書いた。
小説「峠」は2022年、「峠 最後のサムライ」というタイトルで、映画化された。
この映画で、河井継之助を演じたのは、役所広司。
継之助の妻おすがを、演じたのは松たか子。
上の動画は、「峠 最後のサムライ」の予告編。
この記事で、河井継之助に興味を抱いた方は、この映画を鑑賞されたらいいのでは?
入門編になるだろう。
2つ目に紹介する動画は、「峠 最後のサムライ」の交渉決裂のシーン。
小千谷での会談は、長岡藩、河井継之助の運命の分岐点であった。
従って、この映画でも大事なシーンとなる。