坂東市で見た騎馬武者の霊 | 話のコレクション

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食べ歩き、旅行、散歩を中心に記事にします。が、それらに行けぬ時は、古今東西の興味深い話を記事にします。

 

この記事では、怪談話(幽霊話)を書く。

それは、私自身が体験した話である。

 

この手の話が苦手なかたは、ここで読むのをやめ、記事から去られたし。

 

 

私は一度だけ、茨城県坂東市へ行ったことがあった。

ここは、平安時代、平将門の本拠地があったところ。

(平将門ゆかりの史跡をまわってみよう)と、思ったのだ。

 

これより前、平将門が主人公のNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」のDVDを見ていた。

(このドラマで、将門を演じたのは名優の加藤剛さん)

 

行った日は、2007年10月22日で、間違いない。

当時、撮影した写真に、その日付が印刷されているのだ。

この頃、坂東市はまだ岩井市という市名であった。

 

坂東市に着いた私は、まず国王神社を参拝した。

 

天慶三年(940年)、朝廷に反逆した平将門は、平貞盛、藤原秀郷の連合軍と北山で、合戦となった。

最初は北風を味方につけ、将門軍は優位に戦を進めた。

しかし、南風に変わると、劣勢になった。

そこへ流れ矢が飛んできて、将門の額に命中した。

将門は、38歳の若さで戦死した。

 

その後、将門の三女・如蔵尼は、奥州(東北)へ逃げた。

33年たって、父親が戦死した地に戻り、父親の木造を祀った。

それが、国王神社の起こりだという。

 

 

私は国王神社へ足を踏み入れ、拝殿を目指した。

ところが、参道を進むと、異様な殺気を感じるのだ。

 

参道の両脇の木々の間から、合戦をしている最中の武士達が、わぁ~~っと出て来そうな感じがする。

私が神社仏閣で殺気を感じたのは、後にも先にもこの時しかない。

 

平将門が戦死した地は、今なお不明だ。

だが、実は、

「現在、国王神社がある所こそ、将門が戦死した地なのでは?」

と言う歴史研究者もいる。

 

異様なほどの殺気を感じたのは、そのせいだろうか?

殺気に押された私は、拝殿を撮影する事を、うっかり忘れてしまった。

そして、お参りすると、さっさと国王神社を出た。

 

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その後、平将門の館跡を目指し、田舎臭い道路を歩いていた。

すると、進行方向に、騎馬武者の幽霊らしい者が見えたのだ!

 

騎馬武者の幽霊は、空中に浮かんでいた。

道路から、2mぐらい高い所に。

騎馬武者の少し後ろには、従者の幽霊みたいな者も見えた。

 

武士、従者の霊は、ずいぶん小柄だった。

現代人より、かなり背が低い。

背は140㎝台じゃないか?

 

武士の霊が乗る馬の霊も、ずいぶん小さい。

現代の競走馬(サラブレット)からすると、二回りも三回りも小さい。

 

武士は、鎧を身につけているが、それは薄く粗末な物だった。

あと、兜はつけておらず、ザンバラ髪だった。

 

で、彼らは空中で静止していたのだ。

(武士は北山の合戦で、自分が戦死した事がわからず、今も彷徨っているようだな。戦場へ向かう時の姿のままいるようだ)

と、私は感じた。

 

武士と従者と馬の霊らしい者は、10秒ぐらい見えた。

 

 

で、武士の霊の顔は、草野大悟という俳優さんに、よく似ていた。

すぐ上の画像は草野さんだが、私が見た武士の霊も、彼のような顔立ちだった。

で、ヒゲをはやしていた。

 

(この武士の霊は、平将門か、その重臣じゃなかろうか?)

と思った。

 

(俺が見た者は、幽霊なのか幻覚なのか?)

と考えながら進むうちに、平将門の館跡に着いた。

 

ここは、楚石すら残っておらず、現在では単なる空き地になっていた。

 

 

平将門ゆかりのスポットを一通りまわった私は、バス停から千葉県野田市の愛宕駅行きのバスに乗った。

私は最後部の座席に腰掛けた。

 

バスが走り出して、5分ぐらいたつと、

(なんじゃこりゃ~~っ)

という状態になった。

 

つまり、左のこめかみが、突然激しく痛むようになったのである。

私が頭痛になるのは、風邪を引いた時ぐらいだ。普段はならない。

なのに、一体どうしたのだろうか?

(うっ、これは困ったな。これが一生続いたらヤバイな・・)

 

バスに乗って、20分たつと、平将門の事が頭に浮かんだ。

平将門は、「額に流れ矢があたって戦死した」と記録にある。

 

もしかしたら、矢があたったのは、左のこめかみだったのではなかろうか?

そして、私にその痛みを訴えているのでは?

 

左のこめかみの激痛は、バスを降りてからも続いた。

治るまで、40分だか50分かかった。

 

こめかみが、あんなにも痛くなったのは、この時しかない。

 

それからバスの車内では、一緒に乗って来た若い女性から、

「お金を貸していただけないでしょうか?駅でお金を崩したら、お返しします」

と頼まれた。

この時、終点の愛宕駅が近くなっていた。

 

細かいお金がなく、「払えない」そうだ。

当時は、suicaなどのカードは、バスで使えなかった。

 

この女性は、ソバージュの長い髪を持ち、歌手の杏里に容貌が似ていた。

(国王神社を創建した将門の三女も、こんな感じの女性だったのかな?)

なんて思いつつ、数百円貸してやった。

 

バスを降りた彼女は、愛宕駅の切符の券売機に、千円を入れた。

すると、切符と共に、お釣りが出て来た。

 

そのお釣りで、貸した金を返してくれた。

 

この後、私は坂東市へ行っていない。

地元民らしい若い女性(20代に見えた)とのほのぼのとした交流は、良き思い出になった。

 

しかし、国王神社での殺気、騎馬武者の霊ときて、激しい頭痛。

霊感があるらしい私が、再び行くとなると、どうしても腰が引けてしまう。

 

国王神社

住所 茨城県坂東市岩井951

 

※御朱印状は、正月三が日と、平将門まつりの時のみもらえるそう

 

●この記事は、2021年1月4日に書いたものの再更新。

この間、インターネット掲示板で、偶然「坂東市にはタイマッサージ店が40軒もある」という書込みを見つけて、驚いた。

その中には、秘密のサービスがある店もあるらしい。笑

 

私が坂東市へ行った時(2007年10月)、外国人は一人も見かけなかった。

当時も今も、坂東市には、鉄道は通っていない。

ここは最寄り駅まで、車で30分も40分もかかる「草深い田舎」という印象だった。

しかし、そんな田舎町にも、今はタイ人がずいぶん入り込んでいるんだな。

 

あの掲示板の書込みを見て、この記事を思い出したので、再更新した次第。