猛将山県昌景の子孫が経営する温泉旅館 | 話のコレクション

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食べ歩き、旅行、散歩を中心に記事にします。が、それらに行けぬ時は、古今東西の興味深い話を記事にします。

 
 
 
 戦国を代表する英雄の一人に、武田信玄がいる。
 ライバル上杉謙信との川中島での死闘、後の天下人徳川家康を、簡単にひねりつぶした三方が原の合戦など、数々の伝説に彩られている。
 
 また彼は、治水、金山開発などの行政手腕も、なかなかのものがあったようだが、家臣の育成も上手かったようだ。
 
 彼のもとからは、名臣(有能な家臣)が色々出た。
 
 特に、能力が高かった山県昌景、高坂昌信、馬場信春、内藤昌秀は、
 「武田四天王」
と、後世呼ばれるようになった。
 
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             山県昌景の肖像画
 
 さて、名臣の多くいた武田家の中で、一番勇猛果敢だったのは、山県昌景(1529年生まれー1575年没)だったと言われている。
 
 山県昌景自身は、小柄で兎口(みつくち)だったと伝わっているが、赤い兜、赤い鎧を身につけた彼の部隊が、戦場に姿を現すと、敵の兵士たちは、恐怖で凍りついたという。
 それだけ、強力な部隊であったようだ。
 
 しかし、皆さんもご存じの通り、武田家が良かったのは、信玄の代まで。
 信玄の息子、武田勝頼は、長篠の合戦で、兵力が2倍も3倍も多かった織田信長・徳川家康連合軍に無謀にも戦いを挑み大敗する。
 この時、武田家きっての猛将山県昌景も、戦死した。
 
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 さて、山県昌景には、息子が何人かいたが、そのうちの山県信継という人物は、武田家滅亡後、徳川家康に仕え、500石をもらったという。
 
 そう主家の武田家は滅びたが、山県家の方は、江戸時代も残ったのだ。
 そして、現代。
 
 信継の家系は、いまだに残っていて、山梨県の川浦温泉で、
 
 「山県館」
 
という温泉旅館を経営している。
 
 山県館は、源泉100%かけ流しの温泉旅館で、露天風呂もあるという。
 昔から人気のある温泉旅館である。
 
 しかも、経営者は、戦国時代が題材のテレビドラマ、映画にはしばしば登場するヒーロー山県昌景のご子孫である。
 
 温泉が好きで、なおかつ戦国武将のファンだ、なんて人にはおすすめの温泉宿である。
 
 
 山県館
 住所 山梨県山梨市三富川浦1140