原作は以前に読んでいました。
村上春樹さんの「女のいない男たち」。

この中で「ドライブ・マイ・カー」は、ほんの50ページほどの短編で、妻を亡くした俳優の家福が、ドライバーとして雇った女性と車の中で自分のことを話す…、淡々とした感じの物語。
ここからどうやって3時間もの映画になるのか…?…と、思って観に行きました。
女子高生が憧れの男の子の家にこっそり入って何かを盗み、代わりに自分が来たという証拠を残していく…という話は、それだけでもちょっとしたドラマになりそうで、惹き付けられます。
さらに、その物語の結末を、家福は知らなかったけれど、音の浮気相手である俳優が知っていた…という展開、そしてその結末がまた興味深い。
また、家福が演じる舞台「ワーニャ叔父さん」が劇中劇として描かれ、その中でのせりふが物語とリンクして深みを与えています。
家福の舞台は、多国籍の役者が出演し、それぞれの言葉でせりふを話し、字幕で伝えられる…という、不思議な形態。
ソーニャ役の韓国人の女性は耳は聴こえるけれど話すことができず、手話でせりふを言います。
字幕の舞台だからこそ、そんな良さも。
稽古の本読みのとき、それぞれの言葉でせりふを言うからか、自分のせりふを言ったあとに「コンッ」とこぶしでテーブルをたたくのが、リズムを感じられて印象的でした。
さらに、ドライバーの女性の過去…、母に虐待を受けて育ち、実家が災害で泥に埋もれたときにその母を見殺しにしてしまった…というエピソードも盛り込まれています。
妻が亡くなった日の朝、話があると言われ、それを避けるために遅く帰ったところ、妻がくも膜下出血で倒れていて、もう少し早く帰っていれば…と罪悪感を抱え続けている家福。
身近な人の死に責任を感じる家福とドライバーの喪失感が胸に迫ります。
そして深い喪失感を抱き合う2人に見える微かな希望。
最後の方…、ワーニャ叔父さんの舞台のシーンで、ワーニャ役の家福をソーニャ役の女性が後ろから抱きしめながら、「生きていかなくては…」と、手話で語りかけるせりふが心に残ります。
静かな映画ですが、ちょっとした表情や仕草で様々な感情を表現する西島さんを観ながら、いろいろなイメージが広がる一方、自分の心の中をのぞくことにもなり、予想以上に濃い3時間でした。