
上田市の小高い場所にひっそりと佇むこの美術館が大好きです。

来る度に蔦がのびている!

立原道造の展示室も作られています。

詩と絵と。
この部屋はほのぼのしています。
ここに入るとまず、村山槐多のデスマスクと向かい合います。

激しく生き、激しく描いた槐多の絵は、胸にずんときます。
以前にも書いたことがありますが、もしもタイムマシンがあったら、私は槐多に会って、絵を描いてもらいたい。
できれば、恋をしてみたいのです。
そして、関根正二の自画像と見つめ合います。

この鋭い視線…。
こちらの心を見透かされているようです。
この絵の前に立つと、自分が逃げていることとか迷っていることとかが浮かんできて、なんだか懺悔したくなるような思いになるのです。
今回の目的は関根正二のこの絵です。

先日の日曜美術館で関根正二の特集をやっていて、新しくこの絵が信濃デッサン館に寄付されたと紹介されていたのです。
これは見に行かなくては…と、行ってみたのでした。
福島県立美術館にある、「死を思う日」という絵も、木と人が描かれていて、揺れる枝が、心の揺らぎを象徴しているようなのです。
この絵、最初見たときは、男の人が頭を抱えているように見えて、枝の動きが不穏な雰囲気に思えたのでした。

…が、私が頭かと思った部分は薪だったのでした…。
「死を思う日」に比べると、この絵は木の幹も根もしっかりしていて、男の人の足もしっかり地面を踏みしめていて、葉の部分に揺らぎは感じられても、根っこの部分、芯の部分は力強くたくましい。
自画像にしてもこの絵にしても、17歳にしてこのような絵を描いていたというのが驚きます。
深く濃い。
若くして亡くなった画家たちの、命の重みが心に響いてくる美術館なのです。
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