うつつをぬかす | 虹がでたなら

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「うつつをぬかす」…ということばが、なにやら気になる。

うつつ…は「現実」「正気」。 
うつつをぬかす…は、「夢中になって本心を失う」。
辞書によれば。

なんかしっくりこない。
「うつつをぬかす」。
まわりの人から見たら、「本心を失っている」のだろうけど、本人からすれば、その気持ちこそが「本心」なのではないかな。

夢中。
おぼれる。
魂を抜かれている。
…人からすれば。

でもその本人からすればそれが自分のあり方。
それが自分の全てと思ってしまいそうなほどのめりこんでいる。
…それを「本心を失っている」と言われるならば、「本心」って何?

「夢中」は、
「何か1つのことに心を奪われて、それ以外の事には全く関心を示さない様子」
辞書によれば。

何かに「夢中になる」ことは素敵な事だ。

それが夢中になりすぎると「うつつをぬかしている」といわれてしまう。

ほどほど加減が大切なのか。

やはり、うつつをぬかす→「夢中になって本心を失う」…という定義がやや矛盾しているように感じる。
「とりこになって他のやるべきことが見えなくなる」とか?、
なんか違う表現がないのかな。

あとは、対象のニュアンスに違いがあるように感じる。
「夢中」…の対象は概して、好意を持てるもので、
「うつつをぬかす」対象は、あまり望ましくないもの…のような印象。

いずれにしても「うつつをぬかしている」とまわりから思われてしまうほど何かに夢中になれるということは、いいではないですか!

…って、うだうだ考えているのは、「うつつをぬかして」ばかりいる自分を、正当化したいんですね…きっと。