一度聴いてみたいと思っていた乙武洋匡さんの講演会に行ってきました。

『みんなちがって、みんないい』という金子みす豆ずさんの詩からとった演題で。

乙武さんが教員を目指した理由、どうしてスポーツライターから転身したのかわかったし、彼の目指すものも少しわかった気がしました。

教員をしている時の子どもたちの目、低学年と高学年の違い、(低学年はあからさまに聞いてくるが、それは知らないことだから当たり前)

そしてしばらくして、乙武さんに足のサイズを聞いたことがあって、そのことが彼の中で距離が縮んだと感じたこと。(自分のことを障がい者という枠を忘れて人として感じたと)


私も途中障がい者で、同じような経験がありました。

元は普通に動いていた手と足が不自由になったとき、以前から行っていた児童養護施設(学園)の小さな子どもたちが「どうしたの?痛くないの?」とか「まだ動かないの」とか素直な気持ちで聞いてきました。

車椅子時代に外出し、同じように子どもは不思議に思い見つめたり寄ってきたりすると・・・母親は私に気を使ってか子どもを諭したり引っ張っていきました。

そんなことしなくても普通に説明するのに~私ってそんな違う存在?ってかえって寂しく思いました。

素直に聞いてもらったほうが楽だし、説明することによって子どもにも理解してもらえると思っていたから。

学園で聞いてくれた子は、普段はやんちゃな子ですが今でも普通に私のフォローしてくれます。


そして友人と食事をしていた時「あれ?のりこさんって左利きだったっけ?」と聞かれ「だって右は動かないから」と言ったら・・・ハッとして「そのこと忘れていた。だって元気で普通だから」って言われました。

そのときは悲しいというより、元気だから忘れていた(感じなかった)というのが嬉しかった。

大事にされることは昔から嫌いじゃなかったと言うより好きだったから(笑)普段の友人たちの心配りは嬉しいです。

でもそれは不便だからフォローしてもらっているだけだと思っているから・・・

それをかわいそうだからという視点でフォローしてもらうと、正直重く感じます。

だからかえって忘れていたと言われる方が楽ってわかりますよね^^

乙武さんの話も自分の経験とてらし合わせて、同じ~と共感することがあったり、講演後の質問で「どうしてそんなにポジティブでいられるのか」と言う質問に対して、自己肯定感だと。

私も日頃からというより、やはり障がい持ってからの方が、自分が自分らしく好きなことをやり続けているのは自己肯定感が大きいと思っていたから、それにも共感でき感動したし、自分の周りの人たちの自己肯定感を高めるために、、私が出来ることはと考えていることはやはり正しかったんだと、年下の乙武さんの話を聞きながら確認していました。

幸い私の親はこれを高めるような子育てをしてくれました。

そして、知り合って今年人生のちょうど半分になるバーバラ植村、彼女の元で仕事をして新しいことに挑戦するときに応援と成果をちゃんと認めてくれ、私に新しい自信をたくさんプレゼントしてもらいました。

そして単純な私は親の言葉・バーバラの言葉・出合った大切な人々からたくさんの自己肯定感の種をもらい、「私ってやればできるじゃん」や「私ってなかなかじゃん~」とかが育ってきたのだと思います。

だから右半身が動かなくなったときも、「私ならできる」「これをやりたい」を目標にして向うことができたのだと思います。

もう~何の根拠の無い自信だけで(笑)



乙武さんの話はあまりにも共感することが多くって・・・

共感するとどうしてああ涙が出るんでしょう~もうおかしくなるくらい涙が・・・^^

別に感動するとか悲しい所じゃなく自分でも「えっ~」って思えるくらい(笑)


話が長くなりましたが、話を聴きながらもう一人ブログで交流している車椅子ママのブログのひろぽんさんのこと思い出していました。

彼女も「みんなちがって、みんないい」を常々うたっている、とても素敵な生き方をしています。

お薦めですよ~



『みんなちがって、みんないい』

できないことがあってもいい、またあなたにしかできることもある。

認め合うことの素晴らしさをたくさん感じた講演会でしたにこ