はじめまして!「亀岡さくみ」です。
編集者をやったりプロモーターをやったり製作プロダクションをやったりしている経営者ですが、その昔は、看護師でした。
ふだんの仕事のようす。@いつものカフェにて
My ざっくりキャリア遍歴
(黒字のとこだけ読んで
)
生い立ち:
母エイコちゃん 父マコトくんの元、ふつうの家庭でふつうに育つ。
23歳:
看護師になる
27歳:
父マコトが亡くなる,看護師を辞めて女性向けサイトを運営するIT企業へ転職しWEB系編集者となる
30歳:
仕事と恋人を失う。現実逃避のために祖父の介護にいそしむ
31歳:
社会復帰と同時に個人事業主デビュー,数々の女性向けメディアの立ち上げ〜運営に携わる,「日本一の女性向けWEBメディアをつくりたい」と思いたち、自身でオウンドメディアを立ち上げる
32歳:
オウンドメディアの運営方針転換が迫られる
33歳:
「高橋ナナ」さんが総合プロデュースをつとめる女性向けwebメディア『Windys』編集長に就任,現在のパートナーN氏と再会,三鷹の実家を出てはじめての一人暮らしスタート
34歳:
社会を変える発信者を育成する「メディアエミッター養成ゼミ」でプロモーターデビュー,ミライをつくる"製作"プロダクション「SHINING」を立ち上げ
35歳:
法人成り・なおき君と入籍(予定)とりあえずハネムーンはラスベガス➕セドナ(勝手に決めた)⬅︎今ここ
そうしたかったから、以上マル。
本当によく言っていただけるんです!
「なんで看護師から編集者になったの??」
「なんで突然、個人事業主になったの??」
「なんで自分でメディアを立ち上げようと思ったの??」
本当にすみませんが、なんでそんなに驚いていただけるのか、心底わからないのです。でも、強いてその「なんで」にお答えするのであれば、
そうしたかったから
です。
以上です。
よく私のキャリアチェンジぶりを見た方から、「すごい行動力だね」と"引いて"いただくことがあります。「行動力が破壊的」なんて言われたこともあります。(あれ、これ自分で言ったんだっけ。)なぜ私が行動力があるのか、もうお分かりかと思います。
そう、
何も考えてない
からです。
何も考えてないということは、「失敗したらどうしよう」「傷ついたらどうしよう」といったような、「そうしたい」にストッパーをかける類の思考が出てこないんです。
だから、「そうしたい」と思った瞬間に行動にうつしているんです。
【看護師→編集者→個人事業主】という驚異的なキャリアチェンジを可能にした、たった1つの理由は、「そうしたかったから」。
ちなみによく失敗もしますよ。人間関係で傷つくこともたくさんありますよ。そんな時は、たくさん悩んで、たくさん泣いて、たくさん助けてもらって、七転八倒しながらまた這い上がります。何度だって、這い上がってきました。
これが、私のミライのつくりかた
「魅力的な人間になりたい。」
歳を重ねるごとに、強くなるこの想い。
私が「そうしたかったから」で、何も考えずにキャリアチェンジできたその根本理由は、ここにあると思います。
失敗や、傷ついた経験は、私という人間を豊かにさせ、魅力的にさせてくれる。
たくさん泣いたし、
たくさん下手こいたし、
たくさん恥かいたし、
たくさん迷惑かけたし、
きっと私はこれからもそんなんだろうけど、でもここまでのことを何一つ後悔していないし、これから先も、後悔しない自信がある。
ありきたりな言葉だけど、まさか私は、こんな景色を見れるなんて思ってなかった。こんな、幸せになれるなんて思ってなかった。
今の私を、どれほどの人が魅力的だと言ってくれるかはわからない。
でも、これまでの「すべての」経験が、私という人間の土壌を耕してくれた自負があるから、私はこれからもこうやってミライをつくっていく。
自分の中から湧き出る「そうしたい」に従って、生きていく。
今、立ち止まっている全ての人へ。
そして、好奇心旺盛な25歳の看護師だった私へ。
「そうしたい」は、ミライへの、道標だよ。