けさの地元紙。自民党県連大会の記事の中で、ひさびさに「みそぎ」の文字を見た。

 

記事によれば、スキャンダルが報道された女性参議院議員が姿を見せないことに対し、出席者から「みそぎを済ませるべきだ」との声が上がったという。発言の真意を知る由もないが、文脈からすると「しっかり出席して説明をし、謝罪しろ」と受け止めることが出来る。

 

しかし、もしそういう意味が込められたとしたなら、それは全くもって間違いだと思う。

 

36年前のこと。リクルート事件の真っただ中で私は政治学科に入学したが、政治学原論の講義で発せられた教授の言葉は今でも記憶に鮮明に残っている。

 

「民主主義は主義ではない。システムである。民主主義はデモクラシーの日本語訳だが、主義と訳してしまったのは間違いだ。イズムではない、システムだ。」

 

その流れで教授はこうも話されたと記憶している。

 

「リクルート事件でみそぎという人がいるが、みそぎとは何を意味するんだ。頭を下げることではない。精神的なもので片づけてしまってはデモクラシーではない。」

 

 

けさの記事はこの記憶を呼び覚ましてくれた。

 

この教えを解釈すれば、やはりみそぎを民主主義の中で体現するのであれば、それは選挙だ。

 

選挙というカタチで民意を問うのが筋というものである。それが出来ないのならば、自らけじめをつけなければならない。

 

逃げ回るばかりで、公式的な、例えば東日本大震災の追悼式などにも出席しないのであれば、仕事にならないであろう。その仕事とは国民の負託を受けたものなのだから、その任を辞すべきだ。

 

 

ちなみに教えを頂いた教授は当時の学部長で、のちに学長も務める岡野加穂留先生。

 

政権交代という認識がこの国にない時代から、各国の政治体系の中で当たり前だったデモクラシーの原則、政権交代などについて体系的、理論的に論じた政治学者であった。

 

そういえば、この岡野先生。とてつもない母校愛の塊で、わが校が最もまともな大学と言ってはばからなかった。

 

折しもNHKでは母校卒業生をモデルにした連続テレビ小説が始まった。

 

きっと岡野先生は現在の政治情勢に怒り、憂い、そして「民主主義はシステムだ」と思いを強くし、同時に母校の人材に光をあてられたことに喜びながら、雲の上から眺めておられることだろう。