暦を使っていると、
ふと、
こんな想いを頂くことがあります。
これが運命なのだろうか?と。
暦を使っていると、
いつ?
そしてどの時間帯に?
それ
が起こって来やすいのか?
わかってくるようになるのですが、
不思議なもので、
それが起こりやすいことがわかっている状態になっていると、
大事な時に限って、暦を見るのを忘れていた。
といったことがよくあります。
この間もうちのオカンが、
厄介なことが起こった時に限って、
暦を見るの忘れてて、
起きた後に暦を見たら、●日(くろび)やったりするねん。。
といったことをつぶやいていました。
暦をよく理解し、よく意識するようになっていると、
そういったことも少なくなるのですが、
それでもたまにはそういったことが起こってしまったりすることもあります。
つまり、
どうあらがっても、
避けようのない出来事が起きたりするんですよ。
この時にいつも感じるのが、
運命と隣り合わせになっていて、
運命がそうさせているんだな。
って思うことがよくあります。
人生をよりよく変えてゆくために、
大きな変動を起こしてくれている。
でないと嫌なことや厄介なことを受け入れ割り切ることが出来ない。
ですし、そう思うことで、すぐに割り切ることが出来るようにもなります。
人生って、
より良くなるように出来ている。
そして、
より良くなるようにしかならない。
人生を生きてゆく中で訪れる、
不幸やどん底や、不合理な出来事は、
必ずそこから新しい道筋が見えてきて、
明るい光の木洩れ日の中を歩くひと時を、
もう一度呼び覚ましてくれる架け橋となっていて、
決して悪いものではなかったことに気づかせてくれる時が必ずやって来るようになる!
そこに、
生きている喜びが、
湧き上がって来る瞬間が、
あるんだと思う。
どうしようもなくて、
うまく行かなくて、
心配や不安は誰にも言えず、
途方にくれることもあるけれど、
きっと、
新しい希望の道すじは、
新しい光のカケラとなって、
今あるガレキの残骸を、
照らしはじめてくれているのかもしれない。
いま、
目の前に広がっているものは、光。
光のカケラを集めて、
煌めきある人生を、
取り戻してゆくための勇気。
勇気は、自分だけが出来る、
始まりの朝の希望。
挑戦し続ける勇気だけは、
運命にあらがうことが出来る、
希望ある未来の自分なのかもしれない。