2019年 もう背中を見せなくてもいい、ならば・・・。 | 未来人48のブログ

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握手会をしていると、自分が本当にアイドルになったんだと実感できる。

指原莉乃は、そう感じていた。故郷大分に住んでいた中学時代、大好きなハロプロのイベントなんて数えるほどしか参戦できなかった。でもその数えるほどの一回一回が、その頃の指原にとっては生まれて来た意味そのものだった。大袈裟ではなく

「この幸せを噛み締めるために、自分はこの世に生を受けたんだ。」

そう思っていた。

そんな自分が今、アイドルとして、AKBとして、握手を求められる側にいる。

「こんな私とでも、握手をしたいと列を作ってくれているこの人たちは、あの頃の私の様に、この瞬間に自分が生きている喜びを感じてくれているのかも知れない。」

そう思うと指原の気持ちは昂った。

「じゃあ、また。話の続きは次の部で・・・。」

そう言って、剥がされて行く常連のおじさんの背中に手を振りながら、指原は次に入って来た女性に目をやった。初めて観る顔だ。30代半ばくらいか?

「こんにちはーっ。」

指原は笑顔で両手を差し出す。しかしその女性は、その手を握って来ない。それどころが、少し困った顔をしている。

えっと思って指原の顔が曇る。そんな指原の戸惑いを察してか、その女性は慌てて首を横に振った。

「ちっ、違うんです。私じゃなくて、この子が・・・。」

そう言って、女性は振り向いて、自分の陰に隠れていた小さな娘の両肩に手を置き、指原の前にそっと押し出した。母の腰丈をやっと超えたかどうかのその小さな少女は、顔を真っ赤に染めて、今にも泣き出しそうな顔をしている。

「この子がどうしても、さしこちゃんと握手したいって聞かなくて。」

そう語る母親の声が遠くに感じる程、指原はその少女に魅せられてしまった。

「かっ、可愛い。」

実家の冷蔵庫で思いがけず誰かが買っておいてくれたプリンを見つけた時のように、目尻に皺が寄り、口元が緩んだ。そうして、その小さな少女に、自身の手を届けとばかりに精一杯身を乗り出して、それ以上少女を怯えさせない様に、細心の注意を払い囁いた。

「今日は来てくれてありがとう。お名前教えてくれるかな?」

少女は、恐る恐る手を伸ばし、その指先が指原の掌にやっと届いた時、その感触が嬉しかったのか俯いたまま微笑んだ。そして、消え入りそうな声で、指原の質問の答えを呟いた。

「・・・なっ、なこ。や・ぶ・き・・・なこです。」

それが、指原と矢吹奈子の出会いだった。

***

「あの時は本当に、さしこちゃんに食べられちゃうかと思ったんだよー。だって、さしこちゃん、大きな口開けて、よだれ垂らしてたし・・・。」

後になってから、奈子は指原にそう打ち明けた。

「嘘だねーっ、よだれなんか垂らしてませんーっ。」

指原は冗談っぽく返す。

「垂らしてましたーっ、もう、だっらだっらと垂らしてましたーっ!!」

初対面こそ、もじもじと蚊の鳴くような声で名前を言うのがやっとだったが、慣れて来ると奈子は、指原を「さしこちゃん」と呼び、軽口も叩けるようになっていた。そうして指原は、子供ながらに端正な顔立ちをしている奈子の、その屈託のない笑顔にメロメロになった。

「この子は、イケる!」そう確信した。

「ねぇ、AKBのオーディション受けてご覧よ。奈子なら絶対合格間違いなしだよ。」

そんな風に声を掛けた。

「え〜っ、無理だよ〜っ。それに奈子、まだオーディション受けられないも〜ん。」

奈子の言う通り、AKBのオーディションには年齢制限があった。残念ながら、奈子はまだその年齢に達していない。

「別に今すぐなんて言ってないよ。受けられる年齢になるまで、ゆっくり考えてくれれば良いんだから。でも、絶対に受かるよ。だから、受けて!」

***

「おはよう!」

そう言って、指原は奈子のメイク室に入って来た。AKBグループのメイク室は、本来メンバー共用だ。指原でさえ個人のメイク室など使わせて貰ったことはない。ただこの日ばかりは特別だった。

HKT48 3期生オーディション開催の知らせは、奈子の12歳の誕生日を翌月に控えた2013年5月末日にもたらされた。奈子は迷わずこれに応募した。合格すれば福岡で暮らすことになる。両親の反対は覚悟したが、思い掛けず父も母も背中を押してくれた。そうして合格すると母は妹を転校させてまで、奈子に付いて福岡に引っ越して来てくれた。仕事のある父と進学を控えた姉は東京に残る。家族が分かれて暮らすという決断を迷わず選んでくれたのだ。

驚いたのは指原である。声を掛けた時に自分はまだAKBにいた。というよりAKBを受ける事を薦めたのは、あくまでも奈子がアイドルに向いていると感じたからであって、アイドルの道を選んでくれるなら、AKBグループでなくても良かった。単純にアイドルとなった奈子の姿をその目で見てみたかっただけなのだ。それが移籍となった自分を追って、奈子はHKTを受けた。しかも両親の別居、妹の転校という家族の多大な犠牲の元、HKT48のメンバーとなってくれたのだ。

「HKT48をトップアイドルグループに育てあげる。」それは指原が自分に課した十字架だった。自分に課せられた使命とも言えたし、それが自分を受け入れてくれたHKTメンバーたちへの恩返しとも感じていた。

しかし奈子の加入は、そんな指原にもう一つの新たな責務が生まれた事を痛感させていた。

「奈子を一人前のアイドルに育てあげる。」

自分を信じて福岡までやって来てくれた奈子。そしてそのために多大な犠牲を払ってくれた奈子の家族。その思いに応えるためにも、奈子を一人前のアイドルに育てあげなくては・・・。

そして、その日が来るまで、自分はアイドルを辞められないとも思った。奈子が育つまで、自分はアイドルとして、トップアイドルの背中を奈子に見せ続けなければならないと。

折しもこの年は、指原が初めて総選挙で1位に輝いた年であった。飛ぶ鳥を落とす勢いに乗るAKBグループの総選挙1位の座は、否応なく指原に自身がトップアイドルであるという自覚を与えていた。

そうして、奈子にとってのチャンスは意外と早くに訪れた。AKB48の34thシングル、このシングルはカップリングに各姉妹グループの楽曲を収録することとなった。そして、ただ収録してもつまらないということで、各グループともまだセンター経験のない期待のメンバーをセンターに抜擢するという縛りが入った。要は次世代センターの競演である。しかし、HKTは当時すでに1期生を飛ばして、2期生である田島芽瑠と朝長美桜がグループシングルのセンターを務めていた。その次の世代と言ったら、もう加入間もない3期生しかいない。そこで歌唱力や年齢、見た目のインパクトなど様々な観点から、奈子にその白羽の矢が立ったのだ。

そして正に今日、1期生、2期生からなる選抜メンバーに奈子はセンターとして、初お目見えする。選抜メンバーは指原以外まだ誰もセンターが奈子だとは知らない。そのために今日は奈子だけが一人、みんなとは別のメイク室が与えられていたのだ。

「どう準備できた?」

指原の問い掛けに、奈子はすぐに答えられなかった。そして、俯きながら呟くように言葉を漏らした。

「・・・さ、指原さん、良いんでしょうか?」

初めて会った時のように他人行儀だ。指原は一瞬、奈子なりのけじめかと思ったがすぐにそうではないと気付いた。緊張しているのだ。

「わ、私なんかがセンターで、皆さん怒ったりしませんか?」

よく見ると奈子は、今にも泣きそうだった。

「大丈夫、誰もあなたを責めたりはしない。選んだのは運営なんだから。あなたは堂々としていれば良い。それから・・・。」

そう言いかけた指原は突然黙りこみ、ただ奈子をじっと見つめた。

急に指原の声が聞こえなくなって驚いた奈子は、顔を上げた。そして、そこに指原の顔を発見し、安堵の笑みを漏らした。

奈子と目があった指原は、意識して優しく微笑み返した。

「そう、その笑顔。あなたはもうアイドルなんだから。初めての人と会う時は、常に笑顔をキープしてね。」

指原は奈子を他人行儀に"あなた"と呼んだ。厳しいかも知れないが、手放しで甘やかす訳にはいかない。ここでは指原が、教師であり父であるのだ。

「じゃあ、準備出来たらみんなに紹介するから、私の後ろをついて来て。」

指原が歩き出す。・・・コツ、コツ、コツ。背中越しに、ついて来る奈子の足音が聴こえる。

「いま奈子は、私の背中を見ている。」

指原はそう実感した。奈子には私の背中がどのように見えているのだろうか?頼もしく見えるようにしなければと思った。美しく見えるようにしなければと思った。

「この背中について行けば間違いない。」

そう思わせる背中にならなければいけないと思った。

奈子が自分の背中を見ている。
その思いは、指原に気合を入れた。

奈子が自分の背中を見ている。
いつしかそれは、指原にとって、自分がアイドルであり続けている一番の理由となっていった。

***

奈子がHKTの活動を休止して、IZ*ONE専任となる。そのことを指原は、宮脇咲良から伝えられた。

韓国のオーディション番組PRODUCEシリーズと日本のAKBグループ。この2つが組んでグローバルアイドルグループを作る。そんな話が出たのは2017年の暮れだった。そうして練習生と呼ばれる日韓の参加者96名に対する100日間に渡る過酷なオーディションの末、12人のメンバーがIZ*ONEとして選抜された。日本から選抜されたのは、咲良と奈子そしてひぃちゃんことAKB48チーム8栃木代表本田仁美の3名だった。

しかし指原は、選抜されたメンバーは兼任として活動すると聞かされていた。いや、指原だけではない。咲良や奈子でさえ、オーディション参加当初は兼任のつもりでいた。韓国と日本の運営間で、きちんとした取り決めのないままに企画が動き出してしまっていたのだ。お得意の見切り発車である。

「でも、専任と聞かされて、正直あぁやっぱりって、思ったんです。」

咲良は、気まずそうに指原にそう打ち明けた。

「奈子とひぃちゃんと3人で話していたんです。AKBとは何もかも違い過ぎる。兼任で両方のスケジュールを熟して行くなんて、どんなに頑張っても無理なんじゃないかって。」

確かにその通りだろうと、指原も頭では理解していた。オーディション期間中の咲良と奈子を間近に見ていたのだ。倒れないのが不思議な状況だった。この先2年半、その生活を継続しろと誰が言えようか。

頭では、確かに理解していたけれど、けれど心が受け付けなかった。奈子が自分の手元を2年半も離れてしまう。指原は、それを容易に受け入れることが出来なかった。

一方で指原は、咲良の専任については、不思議なほどあっさりと受け入れることが出来た。もちろん、HKT48劇場支配人の立場で考えれば、"宮脇咲良"という看板の不在は、例え2年半の期間限定とは言え大打撃だ。しかし、いつかこういう時が来ると、指原は予感していた。心の準備が出来ていたとも言える。それがいつ頃から芽生えていた思いなのかは、はっきりと覚えていない。出会った時から心のどこかに、もうその予感は、住み着いていたような気もする。

「アイドルとして、私がこの子に優っているのは、経験だけなのかも知れない。
きっと、この子はいつか、アイドルとして、私が届かないくらい高い極みまで、駆け上がって行くのかも知れない。」

***

出会った時から、ある意味咲良は特別な存在だった。まだ子供だったが、その瞳にははっきりとこの世界で駆け上ろうとする強い意志が感じられた。また指原の移籍騒動で混乱するHKTメンバーやスタッフの中で、ただ1人指原の不安な胸中を見抜き指摘した客観視や俯瞰力も備えていた。

「だけど、それ以上に指原さんは不安だと思います。私達は21人だけど指原さんは1人。」

AKB48第3の姉妹グループとして誕生しながらも、その活動は地方アイドルの域を出なかったHKT48。その事に閉塞感を感じていた咲良は、左遷同然で移籍して来る指原が呼び込む新風に期待していた。指原もまた咲良を見つけたことにより、まだ誰も知らない金山を掘り当てたような感触を得た。

追い詰められた指原と閉塞状況のHKT。
マイナス×マイナスで大きなプラスを産み出す。
指原も、そしてまだ子供だった咲良でさえも、思わず笑ってしまうような勝算の乏しい賭けだったが、二人にはそれ以外の突破口はなかった。今はなきHKT48劇場の楽屋で、二人は誓い合い、同志となった。

だからこそ、指原は咲良を遠慮なく鍛える事が出来たし、咲良はそれに応えてHKTのみならずAKBグループの中核メンバーへと成長していった。

そうして、咲良は指原を師と仰ぎ、ステージ上で指原が、何を観て、何を思い、どう行動するか、常に観察していた。

「そんなピンチの瞬間、ほとんどのMCを任せられたのはさっしーでした。
・・・大きな責任を自分で背負い、切り抜けていく姿。とってもかっこよかったです!」

咲良が観ている。そう意識する時、指原は決まって背中にビリっと電流が流れるかのような錯覚に襲われた。咲良にとって自分の背中はどう見えているのだろうか?期待に応えているのだろうか?咲良に恥ずかしくない背中を、私は見せることが出来ているのだろうか?

奈子が背中を見ているという思いは指原に気合を入れたが、咲良が背中を見ているという思いは指原の気を引き締めた。

咲良に自分の背中を見せる。
いつしかそれは、指原にとって、自身のノウハウを咲良に伝授する手段となっていた。

「私が観て、感じで、考えて、ドルヲタ人生つぎ込んだアイドルとしてのノウハウを、咲良はまるでからっからに乾き切ったスポンジが水分を吸い上げるように、容赦なく吸収して行く。そしていつか、私のすべてのノウハウを吸収し尽くした時、より高いステージを求めて、私の元を旅立って行くんだ。」

指原は、悲観的に咲良の巣立ちを予感していた訳ではなかった。むしろ、その日が来ることを期待していた。

「私は、HKTはさっしーを超える誰かがいないと、大きくなれないと思います。」

この聡明で、無邪気で、強欲な、"宮脇咲良"という最高の素材が、自分の作り上げた最善のノウハウを用いて、アイドルの高みをいつか極める。指原の体内を駆け巡るドルヲタの血が、その日の到来を求めていたのである。

***

ニャー、ニャーとご飯を催促する2匹の飼い猫の鳴き声で、指原は辺りがすっかり暗くなってしまっていたことに気がついた。久しぶりに時間が空き、オフの午後を自宅マンションで過ごしていた指原は、次のAKBシングルの振り入れビデオを眺めながら、いつしか物思いにふけっていたのだ。

アップテンポのリズムに合わせて、これでもかと言うほどに首を振り続ける激しい振付け。まだ仮歌でどんな歌詞になるのか分からなかったが、DVD-Rの盤面には「NO WAY MAN」とフェルトペンで書かれていた。

「うわー、いかにも咲良が好きそうな曲だな。」

それが初見の感想だった。

咲良はその愛くるしい顔に似合わず、「マンモス」や「制服のマネキン」といった激しく訴え掛けるようなメッセージ性の高い楽曲を好んでいた。昨年はAKB総選挙の感謝祭でありながらも、欅坂46の「不協和音」をHKTメンバーを従え堂々と披露し、ついには秋元康に咲良センターのオリジナル曲として「人差し指の銃弾」をしたためさせてしまった。はたしてどんな歌詞が付くのかは知らないが、この「NO WAY MAN」は、いかにもそうした歌詞が似合いそうな、そんな曲調だっだ。

それもそのはずで、この曲のセンターは咲良だった。それだけではない。咲良から一歩下がった両隣にひぃちゃん、そして奈子。このAKB48 54thシングル「NO WAY MAN」は、これから2年半の間、AKBグループの活動を休止する3人への壮行曲とも言えたし、3人からメンバー、そしてファンへの置き土産とも言える楽曲なのだ。

指原のポジションは、咲良、そして奈子が作るラインの先にあった。指原はそこに立つ自分の姿を想像した。左前方に奈子の背中、そしてその先に咲良の背中が見える。自分の元を離れ遠くに行く二つの背中を眺める自分の姿。急にその二つの背中が遠のいていくイメージに襲われた。

これまでは、奈子が自分の背中を見ていた。咲良が自分の背中を見ていた。奈子が見ていると思えばこそ、アイドルであろうとする自分がいた。咲良が見ていると思えばこそ、気を引き締めてステージに立つことができた。でも・・・。

二人を送り出すこの曲では、自分が二人の背中を見ている。

「そうかぁ。私が二人の背中を見ているって事は、二人はもう私の背中を見てないって事なんだなぁ。」

そう感じた時、指原は胸を銃弾で射抜かれたような激しい衝撃を感じた。真っ白だったドレスが瞬時に真っ赤に染まっていくように、その瞬間まで思いもしなかった考えが、あっという間に頭の中に広がって行き、ついには指原を支配してしまった。

「もう背中を見せなくていいんだ。」

ぽつりとそう呟く。すると指原の瞳は堰を切ったように涙が溢れて来た。そうして指原はその場に泣き崩れる。

「もう背中を見せなくてもいい。ならば・・・。」

頭の中では、ただ一つの思いだけがぐるぐると空回りしていた。

そんな床に伏して泣き続ける指原の姿に何かを察したのか、2匹の猫はそれぞれに指原の様子を伺いながら、指原の傍に近寄って来た。そして、指原を慰めるかのように、その背中にすりすりと自分の頭を擦りつけて、ゴロゴロと喉を鳴らすのだった。

***

結局、指原は「NO WAY MAN」のMV撮影を体調が優れないとして休んでしまった。

そうして、秋元、事務所、運営と相談を始めた。自身の卒業についての相談である。

「指原がそう決めたのなら、好きにすれば良い。」

秋元はあっさりと認めてくれた。

事務所や運営は、なんとか考え直すようにと説得に走ったが、意外にも指原と同じHKT48劇場支配人である尾崎充が、指原の味方に立ち、事務所と運営を諦めさせてくれた。

「なぁに卒業したからと言って、グループと完全に縁を切るような真似、指原には出来ませんよ。俺もこの世界長いけど、指原ほどアイドル好きなやつなんて見た試しないんだから。アイドルとしてステージに立つことや歌番組でマイクを持って歌うことはなくなるかも知れませんが、ほっといたって後輩の面倒は見てくれるでしょうし、変わらず俺たちを助けてくれますって。」

あれはみんなの前の方便だから、卒業後はグループのことなんて気にしなくていいと、二人きりになった時に尾崎は指原に耳打ちしてくれた。

だが尾崎の言葉の通り、指原はアイドルを卒業するからと言って、アイドルから離れるつもりは微塵もなかった。AKBグループとは別にアイドルのプロデュースも手掛けていたが、出来ることならHKTにも曲を提供してみたいと思った。一層のこと公演を書いてみるのも面白い。

自身がメンバーでなくなるからこそ、客観的にグループを観ることができると思った。グループやメンバーたちを使ってやりたい事がどんどん湧いて来た。尾崎さんの言う通り、自分は卒業したからと言って、このグループから離れることは出来そうにない。だって、アイドルは私の生きる意味そのものなんだから。

咲良と奈子のIZ*ONE専任が引き金となって、衝動的に決めてしまった自身のアイドル卒業だが、気がつくととても前向きな転機として、自分の中で昇華出来ていた。一ファンとしてアイドルを追いかけていた大分の時代、そして自身がアイドルとして駆け抜けたAKB、HKT時代、これからはタレントをしながらまた別の形でアイドルと接することになる。そうしてそこには自身がファンだったことも、自身がアイドルだったことも、全部が活かされるんだ。

笑顔でアイドルを卒業出来そうだと、指原は思った。
心の底から、すべてが吹っ切れていた。

***

指原が卒業を心に決めたあの日から1年と数週が過ぎたある日、指原はあるグループのコンサート会場にいた。

時代は平成から令和へと移り、キリが良いので、指原は平成の終わりをもってアイドルを卒業した。

令和となった今は、タレントとして活動しながら、プロデューサーとしてアイドルと関わっている。

HKTの新公演を指原が書くことも、正式に決まった。もっと簡単に出来るかと思ったが、シングル曲を書いたり、既存の曲でセットリストを作るのとはまったく異なり、その作業は難航を極めている。

「・・・出来ると思ったんだ。」

いつぞやの秋元の呟きが、今は共感できる。

でも、イコラブやノイミーにしろ、HKTにしろ、彼女達が歌い踊る姿を頭に描きながら、曲を選別し歌詞を書く作業は、辛さや苦しさを超えて楽しかった。

タレントとプロデューサー業の掛け持ちは、アイドル時代以上に多忙を極めたが、指原は苦とも思わなかった。ただ、仕事抜きでコンサート会場に足を運ぶ時間が中々取れないことだけは、もう少し何とかならないかと思っていた。今日は久しぶりに、そんな仕事抜きのコンサート参戦だった。

うおぉぉぉっという怒涛が会場に響き渡り、巨大スクリーンに12人のアイドルが1人ずつ映し出される。BGMに乗って、彼女たちは1人ずつ登場しステージに立つ。それぞれがモデルのようでもあり、天使のようでもある。その中には、咲良そして奈子の姿もあった。

IZ*ONE・・・。

この1年、彼女たちの活躍もまた目覚ましいものであった。韓国における2枚のミニアルバム、そして日本における2枚のシングル。そのすべてがトップセールスを記録した。アジア4ヶ国に渡るツアーも成功させた。マジソンスクエアガーデンのステージに立ち大盛況も浴びた。日本ツアーも順調に消化し、今日この埼玉スーパーアリーナのステージでツアーを終えようとしている。さらに今日は咲良センターの日本3rdシングル「Vampire」の発売日でもあり、この曲もオリコン1位となることは明らかだった。

圧巻のステージを眺めながら、指原の心は踊った。

奈子、やっぱり歌声が綺麗だ。この子のこの天使のような歌声に合うのは、あの曲だろうか?いや、この曲か?

咲良、踊り上手くなっている。やっぱり咲良は、帰って来たらまた、激しくメッセージ性の強い曲をやりたがるんだろうか?それとも、ぶりぶりの王道アイドルソングを可愛く決めてみたいとか思うんだろうか?

仕事抜きで楽しむつもりだったのに、二人が参加するこのステージを観ていたら、指原は自然と、1年半後に戻って来た二人をどうプロデュースしようかと思い巡らしていた。

「はたして二人は、私のプロデュースを受け入れてくれるだろうか?」

もし嫌だと言われたら、どうやって口説こうか?奈子はアイスで釣れそうな気がする。咲良は手強いかな?そんな想像もまた楽しかった。

アンコールとなり、メンバー1人1人が挨拶をする。そうした中、思い掛けず咲良が指原の名を呼んだ。

「さっしー・・・、」

消え入りそうなその声に、指原は思わず立ち上がり、両手を大きく振って応える。まるで、推しが自分を認知してくれたと思い込んで、それに応えようとレスをする認知厨のファンのようだと指原は思った。それでも恥ずかしさは湧いて来ない。指原は、ここだよ、ここだよと、大きく手を振った。

咲良と奈子は、ステージからこちらに、やはり大きく手を振ってくれている。

アイドルである彼女たちがくれる満面の笑顔。それに釣られてだらしなくにやけてしまう私は、やっぱり生粋のドルヲタだ。でも、もうそれで良いんだ。

「私はもう、彼女たちに背中を見せなくていいんだ。」

ふいに、指原はそう思った。

咲良も奈子も、もう私の背中を追わずとも、しっかりとアイドルとして、その進むべき道を歩んでいる。もちろん、この先も順風満帆とは行かないだろう。人一倍、浮き沈みの激しい世界だ。明日何が起こるかも分からない。

「でも・・・。」

でもと、指原は思った。

でも、大丈夫。

咲良と奈子なら、きっと大丈夫。
絶対にアイドルの神様が守ってくれる。

だってアイドルの神様が、あんなに輝いているあの2つの笑顔を、愛さないはずはないじゃないか。

それは指原のドルヲタとしての確信だった。

「もう背中を見せなくてもいい。ならば・・・。」

ならばこれからは、こうやって向いあって、笑顔と笑顔を交わし合おう。

奈子と出会ったあの日のように。
咲良と誓ったあの日のように。

うん。

誰にともなくうなづくと指原は、飛び切りの笑顔で、ステージ上の咲良と奈子に向かって、その両手を大きく大きく振り続けた。