2012年 この胸のoverture | 未来人48のブログ

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指原莉乃は、憤慨していた。

 

HKT48に移籍して2ヶ月余り、突然事件は起きた。
いや、正しくは事件なのかどうかも指原にはわからなかった。

 

とにかく、情報がないのだ。
指原にわかっている事。それは5人のメンバーが辞退という形で、突然にグループを去ったという事だけだ。
そのメンバーの中には、数日前にパフォーマンスの事で相談のメールをやり取りしていた者もいた。

 

辞退なんて噯にも出していなかった。

 

納得がいかない。

 

しかも、誰も指原に詳細な説明をしてくれなかった。

 

しかし、それはある意味、当然の事と言えた。
当時のHKTにおける指原の立場は、はっきり言って"お客さん"だった。
スタッフにしろ、メンバーにしろ、指原の移籍は短期の禊的なものに過ぎないと思っていた。
AKB総選挙4位にして、全国ネットのテレビ番組に複数のレギュラーを持つ指原が、本当にHKTに根を下ろすなど、あり得ない。
誰もが、そう考えていたのだ。

 

実の所、AKB48グループのプロデューサーであり、指原にHKTへの移籍を言い渡した秋元康自身もその腹積もりでいた。
せいぜい半年、長くて1年。
その後はまた何か理由を付けて、指原をAKBに戻そう。
そう考えていた。

 

ところが、事件が起こり、蚊帳の外に置かれた指原が怒鳴り込んで来た。
指原にしてみれば、この件で実のある話ができそうな人間は、秋元くらいしか思い当らなかったのだ。

 

なぜ、こんなことになる前に手が打てなかったのか?
なぜ、自分は蚊帳の外に置かれているのか?
何もかもが、納得いかないと・・・。

 

指原があまりにしつこかったため、秋元もつい切れて、こう口走ってしまった。

 

「そこまで言うのなら、お前背負ってみるか?HKT48というグループ。丸ごと、お前の納得の行くように、背負ってみる気はあるか?」

 

指原は、言葉が出なかった。

 

19歳の指原は、軽々しく背負うと口に出来ない程度には大人であり、その重さを受け止めた上で背負うと言い切れるには子供過ぎた。

 

だが、明言はしなかったものの、指原の気持ちはこの時に固まった。

 

「誰も辞めない、誰も諦めない!! 私がHKT48をそんなグループにしてみせる。」

 

そして、そう決意する指原の瞳を見て、秋元の気持ちもまた固まっていった。

 

指原AKB復帰のシナリオは白紙撤回だと。

 

自分が用意したシナリオを超えるドラマが始まる予感。
放送作家出身の秋元は、その想いに少年のような興奮を覚えていた。

 

***

 

指原が、まず始めたこと。それは、実に些細なことだった。
AKBのメンバーに、HKTのメンバーを紹介する、言葉を変えれば売り込むと言っても良い。

 

しかし、2つの意味で、これが実に的を得ていた。

 

ひとつは、HKTのメンバーに、自身が芸能人であるという自覚を促した。

 

遠く福岡で活動する少女たちにとって、AKBはそれほどに遠い存在であり、それはまた芸能界自体との距離でもあった。

 

AKBのメンバー、すなわち芸能人と近づき、時に姉妹のような会話を交わす機会を持つごとに、少女たちは自身もその一員だという自覚に目覚めていったのだ。

 

そして、もうひとつ。

 

AKBのメンバーの発信力を利用したHKTメンバーのプロモーション効果である。

 

AKBとHKTでは世間の注目度が段違いに異なった。
例えば、AKBのメンバーのブログやぐぐたすにHKTのメンバーの話題が書かれたり、写真が掲載されたりしただけで、翌日のそのメンバーのぐぐたすのフォロワー数が著しく増加した。

 

自分が見つかっているという実感。

 

それだけで少女たちは、垢抜け、綺麗になっていった。

 

もちろん、指原自身も積極的にメンバーに絡んでいった。

俗にいう"サシハラスメント"である。

 

これも実に効果的であった。

 

とにかく、この頃から指原は、"何をしてもニュースになる女"に化けつつあった。
指原が絡むことによって、そのメンバーも芸能ニュースで取り上げられることになるのだ。

 

もっとも指原は、こうしたプロモーションを、いきなり全メンバーに仕掛けた訳ではなかった。
指原自身はじめての試みだったし、その反応や効果も未知数だったからだ。

 

指原はテストケースとして、まず宮脇咲良でこうしたプロモーションが有効か否かを試した。
咲良は、子供の頃からずっとアイドルを見て来た指原の琴線に触れる逸材だった。

 

宮脇咲良という素材をして効果が得られないのであれば、それは自分の考えたプロモーションに意味がないという事だ。

 

指原にとって、咲良は自身の考えたプロモーションの是非を測る試金石だったのだ。

 

***

 

とは言え指原は、HKTに移籍してすぐに咲良に声を掛けたという訳ではなかった。
むしろ、移籍当初の指原は、咲良との距離を掴みかねていた。

 

指原の移籍が発表された直後に、HKTのメンバーたちによって投稿されたぐぐたすの数々。
その内容は、驚きや戸惑いの声で埋め尽くされていた。
そしてその行間には、いきなり飛ばされて来る最年長のメンバーを怪訝に思う気持ち。
総選挙4位の大先輩に、自分のポジションが取られることを危惧する思い。
そうした感情が、にじみ出ていた。

 

しかし指原自身、メンバーのそうした反応は当然のことと思えたし、想定の範囲内だった。

 

ところが、そうした中で咲良が投稿したぐぐだすだけは、趣が違っていた。

 

「だけど、それ以上に指原さんは不安だと思います。私達は21人だけど指原さんは1人。」

 

心の底を見透かされたような思いに駆られた。

 

正直、自分の存在を恐れてくれているような子ばかりなら、御し易いと思っていた。
しかし、不安に怯えるありのままの自分が見えている子がいるとしたら・・・。

 

指原には、そんな14歳の咲良とどのような関係を築けば良いか、まったく見えなかった。

 

実際、先にアプローチを仕掛けたのは、咲良の方だった。

 

「さっ、指原さんは、手つなの振り3日で覚えたって聞きました。凄いです!尊敬です!」

 

楽屋で咲良が、指原にそう話し掛けて来たのだ。

 

指原が参加して3回目の公演が始まる前の事だった。

 

「振り?あぁ、まあね。」

 

そう答えながら、指原は少し警戒している自分に気が付いた。
しかし、平静を装い会話を続けた。

 

「ある程度、基本のパターンだってあるし・・・、咲良ちゃんも、慣れてくれば3日で覚えられるようになるよ。」

 

咲良は、とても信じられないというような顔をしながら、「さっ、咲良で良いです。」と答えた。

 

「えっ、あぁ。でも、はっきり言って、アウェイ感満載のこの福岡で、ステージ上で咲良ちゃんのこと呼び捨てにしちゃったら、私、公演後に博多のファンに取り囲まれて、最終便に乗れなくなっちゃいそうだし・・・。」

 

指原は、冗談交じりにそう言ってから、

 

「じゃあ、たんを付けて、"さくらたん"と呼ばせて貰うわ。」と言った。

 

「さくら・・・たん」噛み締めるように繰り返す咲良に、指原は「嫌?」と聞き返す。

 

咲良は、慌ててそんな事ありませんと否定してから、「よだれちゃんより数倍マシです。」と呟いた。そして、

 

「とにかく、私、先週は一緒の舞台に立てなくてすごく残念でした。でも、その分、今日は期待が膨らんで・・・。」

 

言いながら、咲良は真っ直ぐに指原を見る。吸い込まれそうな大きな瞳だと、指原は思った。

 

「と言うか、私、指原さんがHKTに来てくれる事になったと聴いた時から、ずっとorvertureが頭の中で鳴りっぱなしなんです。わかります?」

 

思いがけない咲良の告白に、指原は戸惑いながら訊ねた。

 

「私が来て、和が乱れるとか、ポジション取られるとか思わなかったの?」

 

その言葉を口にしてから指原は、しまったと思った。答えられない質問はするものじゃない。
しかし、そんな指原の心配をよそに、咲良はその問いに答えを持ち合わせていた。

 

「ポジションは16人分あるんですよ。指原さんがどんなに凄い人でも全部1人で出来る訳じゃなし、今まで21人で競っていたのが、たった1人増えて22人になっただけじゃないですか。」

 

やっぱりこの子は、私の事がちゃんと等身大で見えているんだ。指原はそう思った。

 

「それに万一、指原さんが私のポジションに入って、私が指原さんのアンダーになってしまったとしますよねぇ。
でも、それって指原さんのファンの人たちに、指原さんと私を直接見比べて貰えるって事じゃないですか。
いずれにしろ、今までとは比べものにならないくらいに注目されるんです。

 

チャンスでしかないじゃないですか。」

 

私の事を等身大に見えるこの少女の眼を通しても、まだ私には、この子たちにチャンスを分け与えてあげるだけの力があると映っているんだ。

 

そう思うと指原は、少し勇気が湧いて来た。

 

「もちろん、気心の知れた仲間とステージに立って、ファンの方から声援貰って、HKTに入ってからこれまで、本当に楽しくて充実していました。そんな生活は、もしかしたら壊れてしまうのかもしれないなって思ったりもします。でも・・・。」

 

咲良のキラキラした瞳に、一瞬ギラッとしたハイライトが走る。

 

「そいだけじゃ、わざわざ かごっまから 出て来やった甲斐が なかよ!」

 

本心から、チャンスだと思ってくれているんだ。指原はそう思った。

 

咲良は咲良なりに、HKTの現状に閉塞感を感じていたのだろう。
そして、私の移籍はその閉塞感に風穴を開ける好機だと期待してくれているんだ。

 

追い詰められた自分と閉塞状況のHKT。

マイナス×マイナスで大きなプラスを産み出す事もできる。
ピンチこそチャンス。少なくともそう捉えている子が、ここにいる!

 

おもむろに指原は立ち上がると、咲良の真正面に移動し、その場にしゃがみ込んだ。
そして咲良を見上げると、突然その両頬を摘まんで思い切り引っ張った。

 

「びよぉ~ん!あっはは、思った通り柔らかい。お餅みたいに伸びる。」

 

これがサシハラスメントの洗礼なのかと、咲良は思った。

そうして、指原は咲良の頭を撫でながら告げた。

 

「やっぱり、咲良と呼ばせてもらうわ。少なくともステージの外ではね。」

 

咲良は、その大きな瞳をキラキラと輝かしながら、指原のその言葉に静かに頷いた。

 

***

 

咲良のように逸材と思えるメンバーがいる一方で、どう育てるべきか指原の頭を悩ますメンバーもいた。
センターを務めるはるっぴこと兒玉遥が、その最たる例だった。

 

センターとはその文字通りにグループの真ん中に立てる人間だと、指原は考えていた。
必ずしも、エースでなくていい。ただ、その子が真ん中にいるとグループとしてのまとまりを感じられる。
いわゆる重力のようなものがあるべきだと考えていた。

 

あっさんには、それがある。決して自ら望んでその場所に立っている訳ではないにも関わらず、その場にいる事が誰よりも自然な存在だ。
珠理奈は、その年齢に似合わぬ圧倒的なパフォーマンスで、他の者がそこに立つ事を許さないパワーがある。

 

それじぁあ、はるっぴはと考えた時、そのどちらにも当てはまらない気がした。

 

グループの重心どころか、下手をすれば自分が自分がと出過ぎるあまり、ひとりグループから浮いてしまっていると思える事もあった。

 

自分の手には負えない。一層の事、たかみなさんに預けられないか。

そんな風に考える事もあった。

 

だが、そんな事は言っていられなかった。兼任制度などまだない時代。そして、センターが変わるなど考えられない時代だった。
はるっぴを、どうにかして一人前のセンターに育てなければ、HKTというグループの未来はないのだ。

 

指原は、半ば義務感にも似た思いから、遥と向き合わなければならなかった。
しかし、そんな指原の姿勢を180度変える出来事があった。

 

それは、AKB48初となる東京ドームコンサートのリハーサルの場での出来事だった。

 

「先週の"小倉"、ひとりで大変だったね。」

 

件の5人辞退の翌週だった。
指原は、一週間ぶりに顔を合わせた遥に、そう声を掛けた。

 

指原のいう"小倉"とは、当時小倉の劇場で収録されていたバラエティ番組の事だ。
芸人が日替わりでMCを務め、HKTのメンバー2名が交代で花を添える。

 

ところが、5人辞退の影響でローテーションが狂ってしまった。
劇場の出演メンバーを確保するため、小倉の番組への出演は、急遽遥ひとりとなってしまったのだ。

 

当日のMCだった芸人は、このことで収録中かなりきつく遥にあたった。
指原が、大変だったねと言ったのは、そうした経緯があったからだ。

 

指原にしてみれば、挨拶代わりの何気ない言葉だった。
しかし、その言葉を皮切りに、遥は堰を切ったように泣き出してしまった。
人目もはばからず、わんわんと泣き出してしまったのだ。

 

「ちょっ、ちょっと、どうしたの?!」

 

指原は、自分が虐めている訳ではないよと周囲にアピールしながら、慌てて遥の肩を抱いて椅子のある所に促した。

 

遥は、これまで抑えていたものをすべて吐き出さんとばかりに指原に訴えた。

 

「本当に私、頑張ったんでしゅ。泣きたかったけれど、私が泣いたら、HKTが泣いたって言われるし・・・。
だって、私はしぇんたーで、HKTはアイドルで、アイドルはいちゅもニコニコと笑顔で・・・。」

 

遥の言っている事は支離滅裂だったが、その言いたかった事は指原に届いた。

 

おそらく、MCの芸人からしたら、舞台の上でネタにしてきつく当たる事ではるっぴを庇ったのだろうと指原は理解していた。
遅刻したり、段取りを忘れたりした出演者を、同じ舞台に立つ出演者が必要以上にきつく当たることで、結果的に庇うという事は芸人の世界にはよくある事だ。
観客の「何もそこまで言わなくてもいいだろう」という同情心を引きだし、結果として客がその出演者に抱くであろう反感を緩和するのだ。

 

しかし、それも先輩芸人が多数いるプロダクションに所属し、自身も全国放送の生番組を経験している指原だからこそ、わかる事だ。
AKBグループのHKTに所属しているとは言っても、そのほとんどをホークスタウンのあの舞台の上で過ごしている遥に、それをわかれと言うのは無理な話だった。
自分自身の落ち度ではないことで、自分の倍近い年齢の男性に人前で怒鳴られて、それでもグループを背負って必至に笑顔を作る遥の姿を想像すると、指原も目頭が熱くなった。

 

「はるっぴはHKT背負って戦ったんだね。しぇんたーとして頑張ったんだ。偉いぞ、はるっぴ!!」

 

励ますつもりが、つい釣られてしぇんたーと言ってしまった。

 

「しぇんたーじゃありません。しぇんたーです。うっうぅ~・・・。」

 

だから、あんた"しぇんたー"って言ってるだろが!

心の中で、そうツッコミつつも、この子はこの子なりに覚悟して背負っているんだと実感できた。

 

この子を、どうにか育ててあげたい。

 

この時、指原は心の底から、そう思った。

 

あっさんでも、珠理奈でもない、はるっぴだからこそのはるっぴのセンター像がきっとあるはずだ。

 

そう思った。

 

はるっぴだけじゃない。HKT48の16人。やがて一緒に活動するだろう二期生、そして三期生・・・。
ひとり、ひとり、きっとその子に相応しいアイドル像がある。
それを見つけていくんだ。

 

それは、後にファンたちから"キャラ付け"と呼ばれることになる。
メンバーひとりひとりと向き合って、その子が一番輝くアイドルの姿を模索する。
根気がいるが、ずっとアイドルを追い続けて来た指原にとって、それはそれで楽しい作業でもあった。

 

そうして、指原の地道な努力は、確実にメンバーの心に沁みていった。
移籍当初はお客さん扱いし、どこかよそよそしかったメンバーたちも、秋の声を聴く頃にはすっかり指原を慕うようになっていた。

 

***

 

指原がHKTに移籍して半年足らず。
HKTで初めての指原生誕祭を明日に控えていた夜、東京は赤坂で秋元はひとりの男を酒席に誘っていた。

 

「さぁ、さぁ、水餃子に焼き餃子、揚げ餃子に餃子鍋。何でも好きに摘まんでくれ。紹興酒飲むか?」

 

男が遅れて到着した時には、既にテーブルに所せましと料理が並んでいた。男は、生ビールのジョッキを注文し腰かける。

 

男の名前は、尾崎充。
秋元が、かねてより一目を置いていた敏腕マネージャーである。

 

秋元は、その尾崎にHKT48劇場支配人の打診をしたのだ。

 

話を聞いた尾崎は、直感的に無理だと思った。
そして、その感想をそのまま、秋元に告げた。

 

「確かに私は、それなりに芸能界の荒波を掻い潜って来ました。
しかし、劇場支配人、それもHKTとなると、もうそれは芸能マネージメントというより、学校の先生ですよね。そんなこと、私に出来ると思いますか?」

 

秋元は、そんな尾崎の反応をまるで予想通りとでもいうように、薄笑み交じりに口説く。

 

「確か、君にも娘さんがいたねぇ。」

 

尾崎は、返す。

 

「はい。しかし、教育はすべての妻任せです。恥ずかしながら、私は、只々甘いだけの父親です。」

 

秋元は、続ける。

 

「それで良いんだよ。実は、君に厳しく育てて欲しいのは、その学校の先生の方でね。メンバーたちについては、まずは君の娘さんのように優しく愛してくれれば、それで良いんだ。」

 

尾崎は、怪訝そうに秋元に訊ねた。

 

「どういう事です?つまり、誰か別に支配人候補がいて、その男を教育するのが私のミッションということですか?」

 

秋元は目を丸くする。

 

「支配人候補?いやいや、支配人はあくまでも君だよ。そいつを支配人にするなんて考えもしなかった・・・。」

 

そう言いながら、秋元はにやりと笑った。

 

「だが、それも面白いかも知れんな。もし、仮にそいつが君の眼鏡に適うようなら、一層の事、支配人にしてしまおう。W支配人だ。うん、面白い。」

 

ひとり悦に入る秋元に、尾崎はイラつきを隠せない。

 

「秋元さん、すみませんが話が見えません。いったい誰を育てろと言うんですか。その男は、私の知っている男なんですか?」

 

尾崎にそう尋ねられ、秋元はきょとんとした顔で答えた。

 

「男?君に預けたいのは、男じゃないよ。・・・ないと思うがなぁ。」

 

ようやく尾崎も自分のミッションが理解できた。

 

「指原ですか?!

つまり、指原を一人前の"裏方"に仕込めってことですか?!

しかし、良いんですか?
何だかんだ言っても、彼女はまだ"表"。つまり現役のアイドルとして通用するでしょう?」

 

尾崎の反応が、あまりにも予想通りだったため、秋元は喜々として用意していた科白を言った。

 

「もちろん、引退はさせないよ。
なーに、あいつは、"表"も"裏"も関係なく、全部やってのけるさ!
何たって、あいつは、まともじゃないんだからっ!!」

 

まともじゃない!

 

秋元は、10人に1人くらいの確率で、この言葉を褒め言葉として使うことがある。
これはきっとそのケースだろうと、尾崎は思った。

 

***

 

秋元との酒宴がお開きとなり、尾崎がタクシーをつかまえた頃。
指原は、ホテルのベッドで中々寝付けずにいた。

 

指原には、ある計画があった。
明日の生誕祭。そこで、思いの丈をすべてぶちまけようという計画である。
HKTをグループとして、一歩進めるために、それは必要なことだと思った。

 

しかし、不安もあった。

 

HKTでは、自分はまだ新参者だ。
メンバーたちは、やっと慕ってくれるようにもなって来たが、もしかしたら、やはりまだ"お客さん"と取られているのかも知れない。
スタッフやファンから見たら、どうだろうか。
内部の人間の声だからこそ届く意見もある。それは外部の人間、"お客さん"に言われれば、只々耳障りなだけの文句に過ぎない。
明日、自分が言おうとしている事は、そうしたものだと指原は自覚していた。

 

嫌われるかも知れない。

 

せっかく馴染んで来たメンバーたちに、やっぱりとそっぽを向かれるかもしれない。
言いようのない不安が、指原を襲った。

 

でも、このままでは絶対に不味い。
HKTは、きっと前に進めなくなる。

 

指原の葛藤は、明け方近くまで続いた。
不安と緊張から、胸が高鳴る。ドキドキと締め付けられるような思いだ。
極度の精神的ストレス。

 

それは、時に奇跡を起こす。

 

突然、指原の意識は、数年先の未来に飛んだ。

 

意識だけが、未来の光景の内にぽつんと落とされたのだ。
指原は、それを夢と認識した。

 

あぁ、自分は今、眠りに落ちて夢を見ているんだ。

 

そう認識したのは、幸いだった。
すべては夢と思えたため、目の前で繰り広げられている光景を楽しめる心の余裕があったのだ。

 

***

 

指原は、まるでドローンからの空撮のように、室内を上空から鳥瞰していた。

 

かなり広めのその部屋の一角には、大きめの長テーブルが並べられ、壁側の席に男性と女性がひとりずつ座っていた。
その対面には、20脚程の椅子が並べられている。もっとも、座っているのは女性ひとりだ。
三人は何やら談笑しているようではあるが、男性以外の二人からは、かなり緊張している様子が見て取れた。
当然だ。三人は、数十台のカメラからずっと狙われていたし、また記者や関係者らしい人たちからもずっと注目されていた。

 

この光景には見覚えがあると、指原は直感した。

 

(私も、去年あの椅子に座った。)

 

そう思った。

 

もっとも、喋ったのは主にたかみなさんと優子ちゃん。まりこさまと・・・。

 

(あっさん喋ったっけ?)

 

いずれにしろ、指原は後ろの方で静かに座っているだけだった。
それでも鮮明に覚えているのは、ただそこに座れるだけで途轍もなく光栄なことだという認識があったからだ。

 

そう、そこはNHKホールの飲食スペース。
この時期は、紅白対抗歌合戦の出演者控室として利用されている。

 

そして、その一角に設けられているのがここ、司会者による出場アーティストの面接会場だ。

 

気付くと、出場者の女性は立ち上がり、ぺこりと礼をして下がっていった。
入れ替わりに、若い女の子たちがぞろぞろと入って来た。AKBだろうか?指原はその女の子たちに注目する。

 

「はい。次、HKT48さんになりま~す。」

 

その場の仕切りを任されているディレクターとみられる男性が、司会者の二人、そして周囲の記者やカメラマンに確認するように叫んだ。

 

(えっ、HKT?AKBじゃなくて、HKTが紅白?!)

 

もっとよく見たいという思いが通じ、指原の視界は男性司会者と女性司会者の間、やや後方に移動した。
アーティストの顔を見るなら、間違いなく特等席だ。

 

しかし、指原は唖然とした。それは、司会者の二人も同様だった。
人数が多い。用意してある椅子の数ではメンバーの半分も座れず、残った子たちは後ろの方に立っている。
それが全員で、

 

「こんにちは~っ。HKT48ですっ!」

 

と声を揃えて挨拶したのだ。その黄色い声は、広い飲食スペース中に響き渡った。

 

「普通こういう時は、選抜メンバーで来るんじゃないですか?」

 

女性司会者が尋ねる。指原ももっともだと思った。そして、その人数の多さに気付いて初めて、これは未来なんだと理解した。

 

「えっと、劇場支配人の兒玉さん!」

 

女性司会者の声に一列目の真ん中に座っていた女性が、はいっと返事をする。

 

(あっ、確かに、真ん中分けじゃないけど、はるっぴだ。でも、はるっぴが劇場支配人って?!)

 

指原は、驚きを隠せなかった。しかし、そんな指原の驚きをよそに遥は話し始めた。

 

「いやぁ、しゃっきまでホールでリハーシャルしてたもんですから、しぇっかくならみんなで来ちゃえって事になりましてぇ!」

 

悪びれずにそう答える遥に気を害したのか、女性司会者は少し意地悪な質問を遥に振った。

 

「ところで、HKT48さんは今回でもうン度目の返り咲き出場という事になりますが、ここまでHKTさんの出場した年に赤組が勝った事ってないんですよねぇ。その辺りどう感じてます?」

 

しかし、遥は動じない。質問自体を意地悪と捉えていないようだ。

 

「安心して下しゃいっ!今年はもう、ダブルシェンターの二人も、じぇっっったいに紅組キャプテンに優勝旗を握ってもらうんだぁって、燃えてましゅからね。」

 

遥の両隣りの少女たちが笑顔で頷く。
その内の1人は、田島芽瑠だと指原は気付いた。ただ、もう1人がわからない。一期にも二期にもいない顔だと思った。

 

(でも、どっかで会った事あるような気はするんだよなぁ・・・。)

 

そんな指原にかまう素振りもなく、遥は腰を浮かせファイティングポーズを構える。

 

「今年は紅組っ!勝ちに行きましゅよ~っ!」

 

そう言って小さくジャブを打つような仕草をする。ところが、その手の形はどう見てもボクサーのそれではなく猫パンチだった。
これには、意地悪だった女性司会者も思わず微笑んでしまった。その機を逃さず男性司会者が会話に割って入る。

 

「白組も勝たせてくれるかなっ?」

 

「いいとも~っ!」

 

HKTメンバー全員が思わず叫ぶ。
いやいやダメでしょと女性司会者がツッコミを入れた時には、記者やカメラマンなどその場にいた全員が爆笑していた。

 

「HKT48さんお時間終了で~す。」

 

仕切りのディレクターの声を合図にありがとうございましたぁと言って、HKTのメンバーが退席する。
ところが、端に座っているメンバーがひとり、その場を動こうとしなかった。
指原が怪訝に思っていると、程なくディレクターの声が響いた。

 

「はい、次AKB48さん、入りま~す。」

 

その声を合図に、やっと件のメンバーはその重い腰を上げた。

 

「まりこさま?」

 

指原は一瞬その女性を篠田麻里子と錯覚した。
少なくとも、指原の知る2012年当時のHKT48にはスレンダー美人という形容が似合うメンバーはいなかった。
唯一そのシルエットのイメージの近いメンバーが、福岡出身のAKBメンバー篠田麻里子だったのだ。

 

きっと三期以降に加入したモデル出身の誰かだと思った。

 

しかし次の瞬間、指原は更に頭を悩ますことになる。
そのメンバーは数歩歩くと、先ほどまで遥が座っていた司会者の正面席に座り直してしまったのだ。
そして、その周りにAKBのメンバーらしき人たちが座る。
全部で10人位、いわゆる超選抜メンバーなのだと指原はすぐに察することができた。
もっとも、すぐに顔と名前が一致するのは、先程の芽瑠の席に座った横山由依くらいだ。
後のメンバーは、会った事あるのかも知れないが自信はない。
2012年から何年経っているのか知らないが、その数年は少女たちを見違えるほど美しく成長させるのに十分な時間だった。

 

「さて、すでに紅白常連の風格漂うAKB48さんですが・・・。」

 

女性司会者が、話始める。

 

「えーと、総監督・・・は、話がぐだりそうなので、やめときまして・・・。」

 

「なんでやねん?!」

 

なぜ、そこで横山がツッコミを入れるんだろうと指原は思った。
しかし、その理由について指原が深く考察することはなかった。
それ以上に指原の心を支配する驚きが、すぐに訪れたからである。

 

「やはり、ここはセンターに伺いましょう。兼任ながら今年もセンターで歌唱される予定の宮脇咲良さん。」

 

そう言って女性司会者は、正面に座る女性メンバーに視線を向けた。

 

(さっ、咲良だったの?!)

 

女性司会者の視線の先を追った指原は、漸く目の前に座るスレンダーな女性が、咲良であったことに気付いた。
言われて見れば、その大きな瞳を始め随所に面影が残る。まさしく咲良だった。

 

(咲良が、AKB48のセンター・・・。)

 

「今年は昨年と違い、HKT48としても出場される訳ですが、ずばりAKBとHKT、宮脇さんとしては、どちらのパフォーマンスをより見て欲しいですか。」

 

(さっきから、何だこの失礼な司会者はっ!!)

と、指原は思った。

 

しかし、咲良はこの司会者に悪い感情は持っていないようだった。

 

「まったく、他人行儀なわりに、ずけずけと・・・。」

 

苦笑を交えつつこう言うと、咲良はこの司会者に質問し返した。

 

「ご自分はどうなんですか?念願の初司会にして、自身の出身グループであるAKBとHKTが揃って出場となるこの紅白。どっちのパフォーマンスがより楽しみなの?さっしー!!」

 

(えっえぇーーーーーっ!!)

 

咲良から出た思いもよらない言葉に、指原はその視点を急いで咲良の後方に切り替えた。
そして、咲良の視線に合わせて、その視線の先にいる人物を見た。

 

(わっ、わっ、私だぁーーーっ!!私が紅白の司会ーーーい?!)

 

あまりの驚きのためか、指原の視界はぐるぐると回転し出す。
そうして、段々とズームアウトして行く。
意識の時間旅行に終了の時が来たのだ。

 

***

 

ジリリリリリリリーーーーーン!!

 

けたたましい目覚ましの音に、指原は叩き起こされた。
寝起きの悪い指原は、普段なら音源に向かって枕を投げつけている所だ。
しかし、今日は自分でも不思議なくらいスッキリと目を覚ますことができた。
明け方まで寝付けず、十分な睡眠時間も取れていないにも関わらず、気持ちは晴れやかだった。

 

何か、すごく良い夢を見た気がした。
内容は憶えていない。
せっかくなので、思い出そうと試みたが、思い出せなかった。
代わりに何故か目から一筋、涙がこぼれ落ちた。

 

夢に励まされた。そんな気がした。

 

大丈夫。その道を進めば良いよ、ちゃんと未来に続いている。
そう言われた気がした。

 

気持ちが軽くなった。

 

今日は心の内を、きちんと伝えることができそうだと思った。

 

相変わらず、胸はどきどきしていたが、このどきどきは不安ではなく、期待だと思った。

 

(私、指原さんがHKTに来てくれる事になったと聴いた時から、ずっとorvertureが頭の中で鳴りっぱなしなんです。わかります?)

 

わかるよ、咲良・・・。

 

 

 

 

私も今、胸の奥でorvertureが鳴りっぱなしだ!

 

 

 

 


でもそれは今日限りだと、指原は思った。

 

明日からは、新しいステージを始めるんだ。
咲良やはるっぴ、メンバーたち。みんなで、それこそ、スタッフやファンも一緒になって。

 

私がこれまで追って来た理想のアイドルグループ像を全てぶつけてやる。

 

 

 


そして、

 

 

 


「誰も諦めさせるもんか!」