はじめまして。
ひといちばい敏感&繊細で、温情派で情緒豊かな気質をもつHSP専門カウンセラー hitomi です!
自身もとってもHSPです!
その昔はHSC&偏食・少食です!笑
どうぞよろしくお願いします
※HSP = 味覚・聴覚・嗅覚・視覚・触覚など五感が人いちばい鋭かったり、人いちばい高い感受性を持っている人のこと。
感情の記憶力も深く、感動も、ビックリする味(苦手な味も!)も豊かに覚えている、そういうところ、あるんじゃないかな
私は初めての味に感激するため、食べ歩きが大好きです!
画像はチパコヤさんの生フルーツ自家製シロップがけの贅沢 かき氷 静岡グルメ
振り返ればいっさい外食をしない家庭で育ったため、私は母の手作り料理を食べ続けて育ってきたわけですが 母はエネルギッシュな人で、どれほど仕事で疲れて帰ってきても、ご飯を簡単に済ませることがなく。前日や朝のうちに1品煮物等作っておき、帰宅後プラス何品もスピーディーに作り、手抜きなくドレッシングだってチャチャっと手作り、必ず家族みんなで豪華な食卓を囲む、野菜盛りだくさん、どの料理もとても美味しい、そういう情熱的な人でした。
私はそういう家庭で育ちましたが、それなのに今でいうHSC (五感に敏感で繊細な子ども)で、母の手作り料理も美味しいとは思わずに小学6年生くらいまで超少食&偏食で憂鬱に過ごし、そして中学生くらいから徐々に偏食が治ってきて花開き、好き嫌いなくモリモリ食べられるように変化しています
中学でお腹がすいた感覚を覚えたときの感動を晴れ渡る感覚で覚えています。
私にとってはそのくらい唐突に、急激に変化したのです。
お腹がすくと、ちゃんと唾液も出て。そうしたら、食べ物は咀嚼し美味しいうちに飲み込むことができて「食べる」という、今まで簡単にはできなかったことが考え悩むことなくできるようになったのです。不思議ですが、そのように感じています
※味覚の鋭さからくる苦手は今もありますが、我がままな感情からではないんですよ~
野菜や肉、果物、辛いもの、酸っぱいもの、苦手だったものが中学生頃から食べられるようになったんだからいいか、という明るい話じゃなくて、それまでを振り返ると、そりゃあもう悲惨でした。幼稚園、教員室で先生と二人、喉を通らなかったパンを先生がストーブ上で温めてくれて「焼けば食べられる?」そう聞かれている記憶。お昼休みですから私以外の子は園庭を大声ではしゃぎ駆けずり回って遊んでいます。その賑やかさを見つめている光景を、私はしっかりと覚えています
小学生以降の、どうしても食べられないものを食べるまでひたすらに許してくれない、給食時の拷問!?のような時間。未だ覚えています。パンなんて水分がなくて喉を通らないんです。(唾液の出なくなったお年寄りの食事に水分量を増したりトロミをつけてあげないと食べられないというのと、同じ それを口に突っ込んで食べなさいと横で見張られていても無理なのでした)
食べられるメニューはクリームシチューとわかめご飯だけ。で、いつもどのおかずも少量の少量にしてよそってもらっているので、好きなメニューの日も量を増やしてとは言い出せず、いつも100cc程の幼児食くらいの嘘みたいな量を食べていました。それでも6年間、毎日延々食器を広げて罰のようにポツンと教室に居残る。おかずもフルーツもみんな食べられません。小学校でもクラスの皆んなが外遊びしている昼休み、私はずっと机で給食の皿を見つめうつむいていました。クラスメイトとの普通の交流が、できませんでした。
食べられない、普通のことが普通にできない、不思議な子、ダメな子。消えゆく自尊心。
みんなについていけない落ちこぼれ。給食室のおばさんに迷惑をかけないように自宅から弁当箱を持ってくるようにと、教師から提案されたこともありました。
少食・偏食の子に、食べ終わるまで食事が終わらない、離さない罰はよくありませんよね。
学年によっては先生からの食の指導もきつかった!
怒られ否定され、ダメ出しの嵐。食べずに許してもらおうとは思っていなくて、甘えじゃない。
家庭でも食べずに許してもらったことは、ありませんでした。私と違って、とても厳しい母でした。キャベツの千切りが食べられなくて1時間座っていても、食べ終わるまで許してもらったことはありません。
大人しい私は、大人の言うことをきかずに反抗した試しなど一度たりと無いのです。
残すことは許されないとわかっていても、食べられないものは食べられないのです。
毎日の苦しさ。自分が悪いのだから、反省しなくては。心の葛藤。
私は、意見など何も言えない子になりました。
感情が表に出ない子になりました。
このことはとても大きな問題だと思っているので、ちょっとクドクド書いてみました!!
親は学校に交渉してでも、大目にみてくれるように頼んでおくべきではないでしょうか
さて初の就職、18歳。職場の先輩と土曜日の半日勤務後に、喫茶店巡りをするようになり、私にとっては初の外食、その魅力にドップリはまりました
給料をもらって自由を得て、同級生たちとも毎週お出掛け。身近なお店を制覇していく楽しさ、喜び。車の免許をとったから、(友人の運転で!)市外、県外にも足を運びました。
ソフトクリームを食べるためだけに富士五湖、豚足そば1食のために横浜中華街へ
ファミレスもマックも知らなかった私には、刺激が強くて食べ歩きが本当に楽しかった!
転職先の先輩は私よりも随分年上で、創作料理やフレンチなどの高級な味を教えてくれました。月に一度、一緒にフレンチを食べに行く。それが予定に組み込まれました 当時は高級フレンチ、と思っていたけれど、お店は私のお財布に合わせてくれていたのが今ならわかります
そうでした、HSPで超不器用に生きていた私をとても可愛がって面倒みてくれた職場の先輩がいました! 私と正反対タイプの活発&華やかな人で、大人しい私に彼ができるように、明るくなるようにと、よく遊びに誘ってくれました
夜のカジュアルなお店で、スパークリングワインを飲みながら先輩が 「hitomiはなんで、会社でみんなで話しているときに一言も発しないの?」って聞いてくれたこと。集団の中で私は内気でお喋りができなかったのだけれど、それが自然体だったから、そのことに対して何とも思っていなかった。何も感じていなかった。
でも自分が口を開かないことを気にしている人がいるなんてと驚いたり、私の意見や話を聞きたい人なんているのかな? と思ったり、そうか私はいつも黙っていて話に入らないな、と気づいたり。
あの頃たくさんの勇気づけで私を大きく変えてくれた先輩には、今も感謝しています
社会のなかで多くの人との心の交流を重ねながら、私はどんどん変わっていきます!
給食の時間、その他も、自分を発信できずにただうつむいていた私は、だんだんに消えていきます。人と交わること、自分が楽しいと思えることを存分に味わうこと、たくさんの良い影響をうけて、心が開いていったのです
結婚前には、社交的な、元気なお喋りサンに変貌していました !
子育て期。その頃のお財布事情は生活していくだけで精一杯。子どもの幼稚園ママたちに、しょっちゅうランチに誘われるのだけれど、いつもいつも行くのはお金がもったいなくて(夫に悪くて)、数回に1回は断るなど多少セーブ(工夫)したお付き合いを。
だから断らなかったときのランチはナケナシのお金を使うのだからと納得のいくものを食べたくて、私が安くて美味しい店を念入りにチョイス
私の選んだお店で楽しい会食をして、みんなが喜んでくれる。それも嬉しいことでした。
人との交流が、大好きになっていました
大人になってからの外食の楽しさに興奮していた私は、とにかく、ちくいち感動が大きいので、飲食店の名前・値段・メニュー名・料理の味・盛りつけのセンス・食べたときの情景、みんなみんな頭にインプットされてしまう! 若い頃の記憶力はすごいから、結構な情報通でした。
今も 「いいランチ情報教えて」 と、昔のママ友から連絡が入ります!
初めて出会う香辛料の香り、繊細な味つけ、芸術的センスの盛りつけ、温かく素敵な接客、そういうのに触れるのが大好きです
静岡に大好きな食のブロガーさんが2人います笑
そしていま、この記事を書いていて気づいたことがあるのですが、、、
私は「食べ歩き」が好きなんだけど 「食べること」だけが好きなんじゃなくて、
ホントは人が好きなんだってこと
だって1人では、どんなに時間があったって食べには出掛けないんです。
一緒に食べる人との笑いや「食」への感動があるから、外食が好き
人と楽しく食べるご飯はとっても美味しいから
喜びを、人と分かち合うことが、幸せ!!
今コロナで、その、人との分かち合いの機会が減っていることが、切ないことです。
早くコロナ感染の拡大が終息することを切に望みます!
料理には手間と時間がかかります、丁寧な下ごしらえが必要。その仕事が美味しさや一品の美しさ・完成度に繋がるのだけれど、食べてくれる人を想う愛がなければ真心込められないってこと、知っています。
美味しいものには店主の溢れる愛が見える、だから感動する!
「未知」 (味・盛りつけ・店内) を知ることも、とっても楽しい