2016年9月記

 

 今年は年初から、世論を二分する出来事が多いようです。

 

 代表的なところでは、ペルーの大統領選挙や英国のEU離脱。そして11月まで続くアメリカ大統領選挙などがあります。

 このような世界に衝撃を与えるような事例でなく、身の回りに起こるような些細なことでも意見が真っ二つ!などということが最近増えているように感じている方も多いことでしょう。

 

 これらの内容は今までのコラムでもいろいろな角度から述べさせていただきましたが、今回注目したいのは、これらの事柄から浮かび上がってくる「2つ」の問題点です。

 

 一つ目のそれが「多数決の副作用」ということ。

 

 民主主義という、今では誰もが「当然」で「良いシステム」と思っているであろう考え方の中で、この「多数決」はその典型的な手法であると皆さんも認識していることでしょう。

 そんな良いシステムに副作用があるの?と思う方も多いはずです。

 極論を言ってしまえば、この「多数決」はある意味「どうでもよい」問題、つまり、「どっちになっても大差ない!」という場合には有効ですが、社会問題になるような事柄や人々の利害に大きく関わる、または国の存亡に関わるような重大な問題には適さないことが多いのです。

 このような死活問題に「多数決」を使うとほぼ遺恨が残る結果となってしまうのです。

 

 多数決によってあなたには納得できない方向で決まってしまっても、あなたは社会常識として多数決に従わなくてはなりません。

 それをあなたは納得できますか?

 もちろん表向きは従うでしょう。でも本心ではきっと納得出来ません。

 

 これが多数決の原理であり、そこから生じる副作用です。

 

 これは社会の中で致し方ないことかも知れません。すべての人々の意見を集約することはいずれにしても不可能であるからです。

 唯一の解決方法があるとすれば出来る限り時間をかけ、双方が事柄の問題点を導き出し、一つ一つじっくりと問題点をつぶして行きながら、より多くの人の理解を得てゆくこと。

 しかしながら外交を筆頭にさまざまな問題にはそんな時間がかけられないから一定期間内に結論を出すため「多数決」を使ってしまい、禍根を残しながらも物事を進めてしまっているのが現実です。

 今、社会で起こっている「世論の二分」問題でも「徹底的に議論が尽くされたかどうか」を検証する必要がありますし、「安易に世論に諮れる問題かどうか」を考え、時間をかけて議論をしなくてはならないのにそうしていない場合が感じられるところに世界の危うさを感じます。

 

 またこの「世論を二分」問題の二つ目の特徴は「世代間格差」です。

 

 昔から世代間ギャップはどこにでも存在しますが、現代に起こっている「それ」は今までのものとちょっと趣を異にしている感じがします。

 世代間ギャップが起こる大きな原因は「時代感覚の違い」です。

 

 世界は日々刻々と変化しますので、楽しむ文化も食生活も環境も徐々に変わって行きます。これらによって考え方が変化しギャップが生じます。

 歴史上、社会が大きな変化をしたことは何度もあるでしょう。歴史的革命、紛争、18世紀の産業革命、世界大戦……。

 

 そして今、起こっている大きな「革命」はデジタル技術の発明と実用化でしょう。

 これは人々の「考え方」と「スピード感」を劇的に変化させました。

 

 しかしこの革命の特徴は「目に見えにくい」というところにあります。

 

 目に見えて変化していると人間は「変化したこと」を認識しやすのですが、そうでない場合、なかなか理解が出来ません。

 そのため社会の大きな変化に気が付かないという問題が起こってしまいます。

 世論が二分されるとき、それぞれの意見の年齢構成分布が広い場合はまだ良いのですが、年齢別に偏るとほぼ社会は断絶に向かいます。

 何故かと云うと、そこに世代間の排除が始まるからです。

 

 「年寄りが多いから若者が年金を支えなくてはならない!」

 「若者は経験不足だから役員登用にはまだまだ!」

 「子どもは親が育てるべき、否!共働きは当然で社会インフラの充実が先!」等々……

 

 すでに皆さんも良く聞く話題でしょう。今まさにそのギャップが生まれているときだと感じます。

 この「世論が二分」から読み取れる2つの問題、「多数決の副作用」による諍いの激化、「新たな世代格差」による社会の断絶を今、地球の問題として考える必要があります。

 これらの問題をきっかけとして更に広げて考えると、激化する宗教間紛争や愛国主義蔓延による内向き現象、貧富の差の拡大など多くの社会問題と、実は底流では同じ構造の問題を抱えていることに気付くでしょう。

 

 また、宇宙のチャネリングから気付くことは、地球人は今、「科学技術の進歩」によって知識の量が増えてしまい、反面「考える」「調整する」というごく人間的な作業が苦手になっているように感じられるということです。

 

 考えていただきたいのは「何を優先するか」ということ。

 

 地球に存在するすべての人の生存を基調に考えるのか、弱肉強食の原理で社会を進めてゆくのか、効率化優先か、人の存在価値はどこではかる? などなど基本を整理しなくてはならないことに気が付くことでしょう。

 

 それではどのようなことをしたら、人類はこの混乱から抜け出せるのか……この点については次回、もっと詳しく考えてゆくことにしましょう。