Part1からの続きです。

マインドフルネスの話をしていた時に、お母さんに話した。


「感じた感情をそのまま肯定して消そうとしないって言うことをするの」


そう言いながら、やっぱりわたしはこれをされたかったんだなって気付く。



寂しい
悲しい
苦しい
辛い



そう言ったからって、どうにもならないのが我が家だった。


「仕方ないでしょ」


きっとお母さんは、お母さんで叶えてあげられない苦しい気持ちもあったと思うんですよね。

お母さんは我慢するのが当たり前だったらしいので、我慢がそんなに辛いだなんて分からなかったと大人になってから言われました。


きっと、お母さんはこの感情を自分で消化したり、はたまた感じてもなかったことにしたりしていたのかもしれないかなぁ。

(話を聞いたところ、自分で発散出来ると言っていた)

その為、どうやら分からないらしい…


わたしは、悲しい。ああ、そうなんだね。


このプロセスが苦手な様なのです。


子どもの頃から、お姉ちゃんが鬱になり「辛い辛い」泣いても我が家は無視だった。


なぜなら、それを聞かされる方も辛いから。


その感じはどの瞬間にもあり、わたしの前提は



わたしの感情はどうやら無視されるんだな。



でした。

わたしが願ったのは
叶えてもらうことよりも悲しいと分かって欲しいだった。

これがないからこそ、わたしは感情を認めてよいものだと認識出来なかったんだろうなーって思います。


大人になって、今ようやっと、ここをやっています。


愛ってそのままでOKってことですが

感情も含めてだなんて思えなかったです。
ずっと。

それがわたしを苦しめる要因でした。



お母さんもまた、それをされていなかったんだなーって思います。

うちのばあちゃんは、とてもじゃないけど、そんなこと出来る人じゃなかったです 苦笑


世代間連鎖です。


それを断ち切るのが、わたしの役目だなーって思っています。