碇のりこ認定講師

石黒アキです。

 

 

前回の記事から

少し間があきましたが

つづきです。

 

生まれて45年も

ずっと繰り返される問題の、

その発端はなんだろうと

探り続けた結果、

生まれる前からすでに

存在していたのがわかりました。

 

私の、生まれる前後は

こんな感じでした。

 

両親は私が生まれる7年前に結婚し、

すぐに子宝に恵まれ・・・るはずでした。

結婚して間もなく命を授かるも、

8か月めの早産で待望の男の子を

敢えなく亡くなってしまいました。

 

それから3年後も、

またもや8か月めで早産で

男の子をなくしてしまったのです。

 

現代の、最新医療であれば、

8か月なら助かった命だったかもしれません。

しかし、おりしも当時は昭和40年代初期。

大阪府であっても保育器が府下の全病院で

1台あるのがやっとの状況でした。

そんな中で、今にも命が危ないという赤ちゃんが

2、3人入ってるか、または待機中だったのです。

仮に急いで搬送したところで

命に縁がなければ助かる保証もなく・・・

 

8か月だと十分に体はできているので

出産と同じです。

頑張って出産したのに、

手の施しようもなくて

消えゆく命をただ手をこまねいて

見守ることしかできませんでした。

そんな経験を、

両親は二度も味わねばならなかったのです。

 

それでも、

両親は子供をあきらめることはありませんでした。

 

母の早産になりやすい体質というのは

子宮口が柔らかすぎて

妊娠後期になると

日常生活で少しでも動けば

妊娠の継続には耐えられない状態だったそうです。

なので、

7~8か月ぐらいを境に、

トイレと入浴以外は絶対安静の生活を

余儀なく指示されました。

 

そうやって、やっとの思いで、

その後病院や周りの援助の手を借りて

無事に女の子が生まれたのです。

それが私の姉でした。

 

その時は両親も無事に産まれてくるのであれば

希望は男の子であっても

女の子でもいい、と心底無事に産まれたことに

喜びを感じていました。

 

それから、3年後、

両親のもとに二人目の子供が授かりました。

 

姉の時は、

とにかく無事に産まれてきてくれることが

何よりも悲願だったので、

性別などは問いませんでした。

 

二人目だと余裕が出たのか、

それ以上に

どうしても男の子が欲しいという願望が強すぎたのか、

父親の、男の子に対する期待から

周りの人に男の子が生まれると賭けをしてみたり、

母にも男の子がいいと繰り返し言ってたようです。

 

しかし、生まれてきたのは

父親の期待にそぐわず、

女の子でした。

 

それが私でした。

 

・・・

 

つづきます。

 

 

 

本日もお読みいただきまして

ありがとうございました

 

 

愛と感謝をこめて

 

石黒アキ