何回も書こうとして書けなかったんですが
14歳だったうちの犬が亡くなりました。
頭が痛くなるほど泣いて
昨日は家族でお別れ会をして
心配させないように
彼が安心して、虹の橋を渡れるようにと思って
でも、今日もふとした時に泣いてしまい
他のことでも悩み続け
考えすぎて疲れました。
在りのままただ在ることを自分に許すことが
また難しく感じるようになってしまいました。
今日は息子のことでも頭を悩ませることがあって
もう、何もしたくなくなって
ふて寝して起きて、お風呂に入って
夫が作ってくれたパエリアを黙々と食べました。
夫にはとても感謝しています。
今回、犬を看取るにあたっても
夫がいろいろ背中を押し、手を尽くしてくれました。
でも、パエリアを食べながら、ふと、政治の話になって
ここ最近感じてなかった
「あぁ、この人とはやっぱりわかりあえないのかな」っていう
力の抜けるような寂しさを久々に感じて、悲しくなった。
彼は自分の感情をあまり表に出すタイプの人間ではなくて
言わなくても察してよっていう人。
恐らくだけど、比較的、たくさんのことに気づいて
でも、それを指摘するとこうなるだろうなぁとか
こういう理由でできないんだろうなぁとか
言ってやってもらうの面倒だしなぁとか
表向き丁寧な物腰の裏にはいろんなことを考えて
そこで浮かんだ感情に蓋をして閉じ込める人。
話は、耳を通すという意味でとてもよく聞いてくれるけど
何だろうな・・・
それで自分の判断基準を変えたりしない、っていうか
理解はしてくれるけど、それで考えを変えたりしない。
共感は・・・どうだろう・・・
私は夫と話しているときに
他の人よりは心のドアをたくさん開けて
かなりプライベートな部屋で話しているんだけど
本当の本当の、自分の中のいちばん奥の部屋には入れたことがないんだろうと思う。
お互いの心の中にまだ
鍵をかけた部屋があるんだろうと思う。
いつもはその部屋の前を通ることもないし
別の、他の人は入れない部屋では話しているから見て見ぬフリができているけど
自分の中の鍵が開いていない部屋の前で
夫の中にも鍵が閉まっている部屋を見て
しかも、夫はそんな部屋があって当然、くらいの感じでいるような気がして
もう、いいや、って
わかりあいたいっていう希望を、その場で手のひらから落っことしてしまう。
本当は、聞いてほしい気持ちがあって
だけど
もうずっと前になるけど
何とかわかりあおうとしてダメだったときのことを思い出して
もう、また同じ想いをしたくないやって思って
今、思えば
本当にわかりあいたいのなら、まずやることは、
自分の部屋の鍵を開けること
なんだと思うんだけど
当時はね
自分の部屋の鍵だけは開けて、ドアは開けないまま、中を見せずに
「私は鍵を開けたんだから、アンタも開けなさいよ!」って
相手の心のシャッターをがっしゃんがっしゃん鳴らすような
そういう、ズルくて乱暴な覚悟も愛もないコミュニケーションをしていたから
そりゃあさ、開けないのは当然だよねって思う。今はね。
今は
単に、怖くて開けられない。
向こうが以前と同じように
鍵がある部屋があって当然だよね?ってドアの前に立っている姿を見て
本当は、見て欲しいんだ、って言う、勇気が出ない。
本当は私の部屋、ぐちゃぐちゃなんだ。
本当は私の部屋、どろどろなんだ。
ゴミが腐って
どれが本当でどれが嘘かわからなくなってて
どれが愛で、どれが悲しみで怒りで寂しさだったのか
私ひとりで見ることさえ、今更、怖くてできなくて
だからじゃあ、もう、いいよ。
って
寂しい、
も、言えなかった。
何も言えなかった。
だけど
自分だけは、そうか、寂しかったのか。
そうか、その鍵を、開けたかったのか。
そうか、できれば、ちょっと掃除しようと思ったんだな。
ゴミ捨てて、どろどろになったものを乾かして
こびりついた汚れを取り除いて
埃を払って
奥に何があるのか、見てみたかったんだなって
自分だけは
その気持ちをわかってあげようと思ったから
今、書いてみた。
自分にそんな気持ちがあることを。
本音をごまかしても、生存してはいける。
鍵を開けなくても、生きてはいける。
でも
そこから目を背けていては
何も変わらないんだろうなと思う。
まずは
相手にわかってもらえなくてもいいから
自分で鍵開けて、自分で掃除するところからなんだろうな。
自分の気持ちを自分で見てみてから
相手のいることは考えようかな。
寂しさや悩みや、考えすぎたせいでの疲れ、みたいなものが
肘から指先までの手に
重みやだるさとしてずっと溜まっている気がするのです。
でも
感じ切ることから逃げてる気もする。
逃げても一生。それもまた人生。
だけど
それでよかったのか?
どう生きたいんだよ?
って自分に問うことが
何になるのかももうよくわからなくなって疲れてきた。
ので
オラクルカードを引こうと思います。
14歳だったうちの犬が亡くなりました。
頭が痛くなるほど泣いて
昨日は家族でお別れ会をして
心配させないように
彼が安心して、虹の橋を渡れるようにと思って
でも、今日もふとした時に泣いてしまい
他のことでも悩み続け
考えすぎて疲れました。
在りのままただ在ることを自分に許すことが
また難しく感じるようになってしまいました。
今日は息子のことでも頭を悩ませることがあって
もう、何もしたくなくなって
ふて寝して起きて、お風呂に入って
夫が作ってくれたパエリアを黙々と食べました。
夫にはとても感謝しています。
今回、犬を看取るにあたっても
夫がいろいろ背中を押し、手を尽くしてくれました。
でも、パエリアを食べながら、ふと、政治の話になって
ここ最近感じてなかった
「あぁ、この人とはやっぱりわかりあえないのかな」っていう
力の抜けるような寂しさを久々に感じて、悲しくなった。
彼は自分の感情をあまり表に出すタイプの人間ではなくて
言わなくても察してよっていう人。
恐らくだけど、比較的、たくさんのことに気づいて
でも、それを指摘するとこうなるだろうなぁとか
こういう理由でできないんだろうなぁとか
言ってやってもらうの面倒だしなぁとか
表向き丁寧な物腰の裏にはいろんなことを考えて
そこで浮かんだ感情に蓋をして閉じ込める人。
話は、耳を通すという意味でとてもよく聞いてくれるけど
何だろうな・・・
それで自分の判断基準を変えたりしない、っていうか
理解はしてくれるけど、それで考えを変えたりしない。
共感は・・・どうだろう・・・
私は夫と話しているときに
他の人よりは心のドアをたくさん開けて
かなりプライベートな部屋で話しているんだけど
本当の本当の、自分の中のいちばん奥の部屋には入れたことがないんだろうと思う。
お互いの心の中にまだ
鍵をかけた部屋があるんだろうと思う。
いつもはその部屋の前を通ることもないし
別の、他の人は入れない部屋では話しているから見て見ぬフリができているけど
自分の中の鍵が開いていない部屋の前で
夫の中にも鍵が閉まっている部屋を見て
しかも、夫はそんな部屋があって当然、くらいの感じでいるような気がして
もう、いいや、って
わかりあいたいっていう希望を、その場で手のひらから落っことしてしまう。
本当は、聞いてほしい気持ちがあって
だけど
もうずっと前になるけど
何とかわかりあおうとしてダメだったときのことを思い出して
もう、また同じ想いをしたくないやって思って
今、思えば
本当にわかりあいたいのなら、まずやることは、
自分の部屋の鍵を開けること
なんだと思うんだけど
当時はね
自分の部屋の鍵だけは開けて、ドアは開けないまま、中を見せずに
「私は鍵を開けたんだから、アンタも開けなさいよ!」って
相手の心のシャッターをがっしゃんがっしゃん鳴らすような
そういう、ズルくて乱暴な覚悟も愛もないコミュニケーションをしていたから
そりゃあさ、開けないのは当然だよねって思う。今はね。
今は
単に、怖くて開けられない。
向こうが以前と同じように
鍵がある部屋があって当然だよね?ってドアの前に立っている姿を見て
本当は、見て欲しいんだ、って言う、勇気が出ない。
本当は私の部屋、ぐちゃぐちゃなんだ。
本当は私の部屋、どろどろなんだ。
ゴミが腐って
どれが本当でどれが嘘かわからなくなってて
どれが愛で、どれが悲しみで怒りで寂しさだったのか
私ひとりで見ることさえ、今更、怖くてできなくて
だからじゃあ、もう、いいよ。
って
寂しい、
も、言えなかった。
何も言えなかった。
だけど
自分だけは、そうか、寂しかったのか。
そうか、その鍵を、開けたかったのか。
そうか、できれば、ちょっと掃除しようと思ったんだな。
ゴミ捨てて、どろどろになったものを乾かして
こびりついた汚れを取り除いて
埃を払って
奥に何があるのか、見てみたかったんだなって
自分だけは
その気持ちをわかってあげようと思ったから
今、書いてみた。
自分にそんな気持ちがあることを。
本音をごまかしても、生存してはいける。
鍵を開けなくても、生きてはいける。
でも
そこから目を背けていては
何も変わらないんだろうなと思う。
まずは
相手にわかってもらえなくてもいいから
自分で鍵開けて、自分で掃除するところからなんだろうな。
自分の気持ちを自分で見てみてから
相手のいることは考えようかな。
寂しさや悩みや、考えすぎたせいでの疲れ、みたいなものが
肘から指先までの手に
重みやだるさとしてずっと溜まっている気がするのです。
でも
感じ切ることから逃げてる気もする。
逃げても一生。それもまた人生。
だけど
それでよかったのか?
どう生きたいんだよ?
って自分に問うことが
何になるのかももうよくわからなくなって疲れてきた。
ので
オラクルカードを引こうと思います。