<どうやってコミュニケーションを取ればいいのかわからない!>

 

とか

 

<コミュニケーションを取ることは苦手!!>

 

 

と感じたことはありませんか?

 

 

そして

 

 

<人と関わるのは面倒くさい!>

 

とか

 

<一人でいた方が気楽!>

 

 

と言いながらも

 

 

 

ふとした時に

 

 

<ひとりぼっちで寂しいなぁ。。>

 

とか

 

<誰かに受け止めてもらいたいなぁ!>

 

 

と感じていませんか?

 

 

 

コミュニケーションを取るとはどういうことでしょう?

 

コミュニケーションを取ることは難しいことなのでしょうか?

 

 

 

さて、

 

 

幸せな夢とは、

 

目覚めることをゴールにした人が見る夢です。

 

 

そして

 

 

 

目覚めるとは、

 

神の子に目覚める、ワンネスに目覚める

 

ことなので

 

 

幸せな夢とは、

 

<わたし>という囲みも、<あなた>という囲みも、

 

<わたしたち>という囲みも、

 

<あなたたち>という囲みも手放して、

 

 

つまり

 

 

肉体という囲みを手放して

 

スピリットの

 

区切り、線引き、溝、塀、壁、距離のない世界を

 

体験していく夢です。

 

 

自由を体験する夢なんですね。

 

 

 

だから

 

 

<意見>や<好み>の相違があったっていいんです!

 

 

<違い>を比較検討し、どちらが正しいか、間違っているかを

 

判断しなくてもいいんです!

 

 

相手を<攻撃>したり、自分を<防御>したりする必要は

 

ないのです!

 

 

だって

 

 

<意見>や<好み>の相違というのは

 

肉体のわたしに属すものだからです!

 

 

そして

 

 

攻撃も防御も肉体に対するものだからです!

 

 

 

 

スピリットには固有名詞などありません!

 

 

みんな同じ名を有しています!

 

 

 

 

 

エゴが知覚するものはすべて、

それぞれに別個に完結している全体であり、

そこには実在を暗示するリレーションシップはありません。

だから、エゴは、

分離している状態を終わらせるためではなく

定着させるために利用するのでない限り

コミュニケーションに反対します。

エゴのコミュニケーションのシステムは

エゴが指図する他のすべてと同じように

エゴ思考体系に基づいています。

エゴのコミュニケーションは、

自らを守る必要性によってコントロールされています。

だから脅威を経験したときにはコミュニケーションを

中断させます。

この中断は、ある特定の人、もしくは、人々に対する

反応として起こります。

(テキスト第4章・第7節・段落2)

 

 

 

 

エゴがコミュニケーションを用いる目的

 

他のあらゆるものを用いる目的と同じで

 

分離状態を維持するため、違いを維持するためなのです。

 

 

 

それに対して

 

 

ホーリースピリットがコミュニケーションを用いる目的

 

他のあらゆるものを用いる目的と同じで

 

神は分離状態を創造していないので幻想であること、

 

わたしたちはみんな繋がっていることを

 

実証するためです。

 

 

 

 

 

存在することも実在することも

ともにコミュニケーションが支えています。

とはいえ、存在することは、

どのように、何を、誰と

コミュニケ〜ションを行うことに価値があると

判断するかについて具体的です。

実在することには、こうした区別はまったくありません。

実在するとは、心が実在するすべてと

コミュニケーションを保っている状態です。

(テキスト第4章・第7節・段落4)

 

 

 

 

 

<誰と>、<いつ>、<何を>、<どのように>

 

そして

 

<どの程度>

 

<コミュニケーションをとる>ことが<もっともベストなのか>

 

ということを

 

瞬時に、あるいは時間をかけて判断していないでしょうか?

 

 

 

つまり

 

 

どの程度気をゆるしてもいい人なのか

 

どの程度信頼しても大丈夫な人なのか

 

どの程度受け止めてくれる人なのか

 

その人と自分との距離を

 

瞬時に、あるいは時間をかけて検討していないでしょうか?

 

 

 

それなのに

 

 

あの人(たち)にあそこまで言うんじゃなかった!

 

とか

 

信頼するんじゃなかった!

 

 

と後悔したり、罪悪感を抱いたりしていないでしょうか?

 

 

 

とはいえ

 

 

 

神に創造されたわたしたち、スピリットは

 

一つなのだから

 

本当は、

 

判断も、比較検討も、罪悪感も、後悔もまったくいらないのです!

 

 

 

 

罪悪感を感じている時は、

エゴは確かに神の法を犯してきたけれど

あなたは犯していないと言うことを思い出してください。

エゴの「罪」はわたしに任せてください。

(テキスト第4章・第4節・段落5)

 

 

罪悪感を抱いていることに気づいたなら

 

即座に、

 

イエスに・ホーリースピリットに自分の罪悪感を差し出してください!

 

自分は誰かを傷つけることができる

 

とか

 

自分は誰かに傷つけられ得るという思いに注意深くありましょう

 

 

 

では、最後は

 

あなたとわたしという線引きについてです。

 

 

 

意見や好みが合わないくても

 

お互いを尊重し合うことも、つながることも

 

可能です!

 

 

 

 

 

例えば、誰かと好きなものの話になって

 

その人の好きなものに対して、

 

<そんな物が好きなんて信じられない!>

 

<えっ、あなたってそんな物が好きな人だったの!!>

 

<趣味悪いなぁ。。>

 

 

と思った時

 

 

一気にあなたをわたしから切り離し

 

あなたとわたしの間に溝を作ることは

 

もうヤメませんか?

 

 

 

 

<へぇ〜そうなんだ!

 

どういうところが好きなの?>

 

 

と尋ねてみませんか?

 

 

 

これは

 

意見・好みの合わない人とも付き合いなさい

 

ということではありません!

 

 

 

だた

 

 

ホーリースピリットがコミュニケーションを用いる時は

 

切り離すのはなく、つながることが目的だということです。

 

排除するのではなく、包含することが目的です。

 

 

 

 

コミュニケーションは

 

わたしたちが一つであるっことを思い出す手段です!

 

どうやってコミュニケーションを取っていいのか分からない

 

と嘆く前に

 

〇〇さんとわたしは神の子として一つであることを

 

わたしは体験したいだろうか?

 

 

と自分に尋ねてくださいね!

 

 

そして

 

 

 

どんな応えが湧いてきても

 

丸ごと全てホーリースピリットと分かち合ってくださいね!