先日の夢の話です。
<うなぎの寝床式のアパート>とでもいうのでしょうか
細長い廊下の両側には小さなお部屋がずっと続いていて
お部屋の住人はわたしたが今まで出会った人たちであり
どの部屋のドアも開いている
という設定になっていました。
部屋の前を通ると
その部屋の住人がドアのところまで来るので、
わたしはほんの少し立ち話をします。
誰と話してもわたしは
<みんなが向かっているからって
自分もそっちへ向かわなくちゃって思わなくていていいのよ!>
とか
<みんなそう言っているからって
そういうことなんだと思わなくていいのよ!>
とか
<みんなについていこうと焦らなくていいのよ!>
など
ただ、同じような応答をしていました。
その人たちが
どんなことを言ったのか
どんな思いを抱いているのか、
何をしたいのか、
どこに向かっているのか、
それぞれの願望も現状も異なるだろうに
わたしはただ、同じようなことを言っていました。
最初は、
<大丈夫?>、<心配しないで!>
というような気持ちとともに伝えていたのですが
次第に、
ただたんたんと
<シェアする!><確認する!>
というスタンスになっていきました。
たくさんの人たちと話して
一番奥のリヴィングルームにたどり着いて
ソファでくつろぐ頃には
<ここに住んでいる
わたしが話をした人たちなんて
本当は
居ないのかもしれない!>
<みんな幻想なのかもしれない!>
という思いが湧いてくるようになっていました。
過去を振り返るたびに
<あの時、〇〇さんはこんなことを言った!した!>
という
わたしのその人に対する判断・解釈が
<あの時こんなことが起こった!>
という
わたしのその状況に対する判断・解釈が
わたしの中に
それそれの人のイメージを、それぞれの状況のイメージを
保っているだけで
そうした人たちも、そうした状況も、
<今、ここには存在しない!>
<写真のように
その状態をとどめているものなど何もない!>
という
さわやかなそよ風がわたしの心の中を吹き抜けていました。
なんども、なんども
同じようなことを口にすることが
口にしていることを自分が聞くことが
その時のわたしには必要だったようです!
そうすることで
<わたしが話しかけている対象は実は自分だった!>
<わたしが見ている・思っている相手というのは
存在していない!>
ということに気づくことができたのですから。
この夢をみた数日後
もう関わりを持たなくなって10年以上になる方の
お嬢さんが亡くなったと共通の知人から連絡が入りました。
メッセージを受け取ったら
その後に巡り来ることは、そのメッセージを体験するための機会です。
アイデアに留まらせずに体験を通して、
身を以て示す・デモンストレートしていきましょう!!
自分だけのためのものなどないのだから
メッセージもみんなと共有するためのものです!
このビジョンとメッセージが必要な方に届きますように。。。