<わたしは誰?>
 
<ここはどこ?>
 
 
「こんな言葉が、時々、口をついて出てくるのよ!」と
 
姉の友人から聞いたのはもう40年近く前のことです。
 
 
そして気がつけば、
 
この頃わたしも同じようなことを呟いています!

 

 

 

 

 

<どこにも自分の居場所がない!>
 
 
孤立感や疎外感を感じているとしたら
 
 
 
<一人でいいのよ!!
人と関わるのは面倒だから。。>
 
 
一人気ままな日々を楽しんでいるつもりでも
 
時々言いようのない寂しさを感じているとしたら
 
 
 
本当は、
安心していられる場所を求めているのではないかしら。。
 
 
 
 
 
奇跡のコースでは
 
わたしたちは、この世で生きている
 
という夢を見ていると教えています。
 
 
あなたはまだ目覚めていませんが、
目覚める方法を学ぶことはできます。
(テキスト第9章・第6節・段落5)
 
 
 
この世界は、わたしたちにとっては<仮住まい>です!
 
 
だとすれば
 
 
<ここには(どこにも?)安住の地はない!>
 
と感じていてもおかしくありません!
 
 
 
この世界のどこかに属そうとしても
 
なんかしっくりこないと感じるのは不思議ではありません!
 
 
 

 

聖書は、深い眠りがアダムの上に訪れたと述べるだけで

アダムが目覚めたという記述はどこにも見当たりません。

この世界はいかなる包括的な目覚めも、再誕も

経験していません。

(テキスト第2章・第1節・段落3)

 

 

 

もし今、

 

 

<あてどなく彷徨い歩いている>

 

<どこにいてもなんか違う>

 

 

と感んじているなら、まだ諦めないでくださいね!

 

 

 

 

あなたが自分自身を眠らせ、

自分自身を自分にとって見知らぬ人にし、

誰かの夢の一部になるという夢を見ている以外には

何も起こっていません。

(テキスト第28章・第2節・段落4)

 

 

 
もちろん、
 
自分で自分を眠らせた?眠りに落ちた?
 
という記憶はありません!
 
 
 
夢の中では、
 
自分は夢を見ているという自覚はないからです!
 
 
ただ、
 
 
誰かの夢の一部になるという夢を見ている
 
 
 
つまり、
 
 
自分の意志とは関係ないことが起きている!
 
と感じているなら
 
 
自分の思いや感情は
 
出来事や人々の言動でコロコロ変わる
 
 
と感じているなら
 
 
 
 
まず、最初に見つめたいのは
 
 

心が

「これはわたしに対してなされているのではなく、

わたしがこれをしている。」

と認めることで肉体は解放されます。

このようにして心は、自由に

代わりになるもう一つの選択をすることができます。

ここから始まって、救いは、

分離へと一段一段降りてきたその歩みの向きを変更して進み、

いずれはすべてのステップを後戻りして梯子を消し去り、

世界という夢のすべてを取り消します。

(テキスト第28章・第2節・段落12)

 

 

 

 

「これはわたしに対してなされているのではなく、

わたしがこれをしている。」

 


 

 

わたしたちは、

 

この世界で、夜寝て見る夢の中で

 

自分が誰かに追いかけられようが

 

次から次に起こる出来事に必死で対応していようが

 

目を覚ました時に

 

それらは自分が作り出した夢だということを

 

疑うことなどありません。

 

 

それに、

 

 

夢の中で起こった出来事は

 

目を覚ましている自分には何の影響も及ぼしていない

 

ということもわかっています!

 

 

 

つまり

 

 

わたしが見る<夢>を作り出しているのは

 

夢の中に登場する<わたし>ではなく

 

<夢を見ているのわたし>です!

 

 

 

「コース」は

 

わたしたちは、

 

朝目を覚まし1日を始め、夜眠りについて1日を終える

 

という夢を見ているだけだと教えています!

 

 

 

 

もし自分が現実だと思っていることは

 

自分が作り出した夢なら、

 

自分の意志で、決断で、選択で

 

今のストーリーをやめ、別のものに代えられますよね!

 

 

 

わたしがドリーマー! 夢を見ている人!

 

 

 

このようにして心は、自由に

代わりになるもう一つの選択をすることができます。

 

 

 

 

何度でも思い出したいのは

 

自分は誰かの夢の一部に組み込まれたてしまった!

 

と主張している間は

 

自分は弱くて無力な被害者だ!

 

と言っているので

 

自分の意志の力、決断の力、選択の力を

 

弱さ、無力さ、

 

つまり、

 

被害者であることに使っているのです!

 

 

 

 

ここから始まって、救いは、

分離へと一段一段下降してきた向きを変更して進み、

いずれはすべてのステップを後戻りして梯子を消し去り、

世界という夢のすべてを取り消します。

 

 

 

わたしたちは

 

神のもとから、天国から、ワンネスから離れるという夢を見ている

 

だけなのです!

 

 

ワンネスを離れるということは分離を選んだということです!

 

ワンネスから梯子を下ろして?、

 

分離の世界へと一段一段降りてきたのです!

 

 

もちろん!

 

 

そんなことはまったく記憶にないことですが

 

 

 

もしそうだとしたら

 

降りてきた梯子を登って行けばいいだけですね!

 

ワンネスから分離へと下ろした梯子を、

 

分離からワンネスへと登っていけばいいだけですね!!

 

 

 

もう、分離の世界、

 

孤立した物体で成り立っている世界の中で、変化する世界の中で、

 

安住の地を探し求めるのはヤメて、

 

ワンネスへ、まったき安心、豊かさへ、限界のなさへ

 

戻る梯子を登って行きませんか?

 

 

 

ご一緒にこの梯子を登っていく体験して行きませんか?

 

 

 

 

*ご案内*

 

3月14日(木)のメディテーションサークルのテーマは

「リバース・再誕」

 

つまり

 

<目覚めへの旅><下ろした梯子を登る旅>です!

 

 

 

続きます🎈