これからの10レッスンは

「奇跡とは何ですか?」とともに歩みます。

 

 

レッスン341

 

I can attack but my own sinlessness,

and it is only that which keeps me safe.

 

わたしが攻撃できるのはわたし自身の罪のなさだけであり、

わたしを安全に保つのもわたし自身の罪のなさだけです。

 

 


1. Father, Your Son is holy.

I am he on whom You smile in love and tenderness 

so dear and deep and  still

the universe  smiles back on You,

and shares Your Holiness.

How pure, how safe, how holy, then are we,

abiding in Your Smile, with all Yoour Love 

bestowed upon us, living one with You,

in brotherhood and Fatherhood complete;

in silenceness so perfect that the Lord of Sinlessness conceives us as His Son, a universe of Thought 

completing Him.

 

 

 

父よ、あなたの子は神聖です。

わたしこそ、あなたが慈愛の中で微笑みかけるその人です。

その愛と優しさに満ちた微笑みは

あまりに尊く、深く、静かなので

宇宙はあなたに微笑み返し、あなたの聖性を分かち合います。

それなら、あなたの微笑みのうちに住むわたしたちは

なんと清らかで、安全で、神聖なのでしょう。

あなたの愛をすべて授けられ、完全なる兄弟愛と父性の中で、

あなたと一つになって生きています。

わたしたちの罪のなさは完璧なので

罪のなさの主はわたしたちを、わが子であると

ご自身を完成させる思いという一つの宇宙であるとみなします。

 

 



2. Let us not, then, attack our sinlessness,

for it contains the Word of God to us.

And in its kind reflection we are saved.

 

 

それなら、自分たちの罪のなさを攻撃することは

やめましょう。

その罪のなさは自分たちへの神の言葉を保有しているからです。

罪のなさが優しく反映される中で

わたしたちは救われます。

 

 

 

 

 

13.奇跡とはなんですか?❶ 段落1 前半

 

奇跡とは訂正です。

奇跡は創造することはせず、

まったく何の変化をもたらすこともありません。

ただ荒廃状態を眺め、見ていることは虚偽であると

心に思い出させるだけです。

 

 

 

✼✫✳︎✶❅✵✳︎✯

 

 

 

*神と共に過ごす聖なるひと時とは*

 

*神に呼びかけるだけで

 あらゆる誘惑は消え去ることを理解するようになる

*言葉の代わりに、神の愛を感じるだけでいい

*祈る代わりに、神の名を呼ぶだけでいい

*判断する代わりに、ただ静かにして

 すべてを癒してもらえばいい

(パート2・イントロ、段落10)

 

 

 

 

朝と夜、できるだけたっぷり時間を取りましょう。

 

 

*今日のアイデア*

 

わたしが攻撃できるのはわたし自身の罪のなさだけであり、

わたしを安全に保つのもわたし自身の罪のなさだけです。

 

 

*祈り*

父よ、あなたの子は神聖です。

わたしこそ、あなたが慈愛の中で微笑みかけるその人です。

その愛と優しさに満ちた微笑みは

あまりに尊く、深く、静かなので

宇宙はあなたに微笑み返し、あなたの聖性を分かち合います。

それなら、あなたの微笑みのうちに住むわたしたちは

なんと清らかで、安全で、神聖なのでしょう。

あなたの愛をすべて授けられ、完全なる兄弟愛と父性の中で、

あなたと一つになって生きています。

わたしたちの罪のなさは完璧なので

罪のなさの主はわたしたちを、わが子であると

ご自身を完成させる思いという一つの宇宙であるとみなします。

 

 

 

*コメント*

それなら、

自分たちの罪のなさを攻撃することはやめましょう。

その罪のなさは自分たちへの神の言葉を保有しているからです。

罪のなさが優しく反映される中でわたしたちは救われます。

 

 

これらの言葉が心に沁み入るまで

心を満たして自分の思いになるまで

ゆっくり、じっくり

湧いてくる思いを受け止めながら何度も唱えましょう。

声に出して唱え、自分の声に包まれながら味わっていくと

いいかもしれません。

 

 

 

 

父よ、あなたの子は神聖です。

 

 

わたしこそなたの子です。

 

あなたこそわたしの父です。

 

あなたの延長であるわたしは神聖です。

 

 

 

わたしこそ、あなたが慈愛の中で微笑みかけるその人です。

 


あなたは

あなたの愛し子であるわたしにいつも微笑みかけているので

わたしも微笑まずにはいられません。

 

 

 

その愛と優しさに満ちた微笑みは

あまりに尊く、深く、静かなので

宇宙はあなたに微笑み返し、あなたの聖性を分かち合います。

 

 

あなたの愛と優しさに満ちた微笑みは

限りなく尊く、深く、静かであり

全宇宙があなたの微笑みに満たされ、

あなたの聖性を分かち合っています。

 

 

 

それなら、

あなたの微笑みのうちに住むわたしたちは

なんと清らかで、安全で、神聖なのでしょう。

 

 

わたしたちの住みかはあなたの微笑みの中なので

わたしたちは完璧に安心しています。

 

わたしたちの清らかさは、安全は、聖性は

あなたと同じように揺るぎないものです。

 

 

 

あなたの愛をすべて授けられ、

完全なる兄弟愛と父性の中で、

あなたと一つになって生きています。

 

 

宇宙のすべてが

あなたの愛に、聖性に満たされているのだから

すべては、あなたを父とするわたしの兄弟姉妹たちです。

 

わたしたちは一つであり、あなたとも一つです。

 

 

 

わたしたちの罪のなさは完璧なので

罪のなさの主はわたしたちを、わが子であると、

ご自身を完成させる思いという一つの宇宙であると

みなします。

 

 

神には罪はないので神の子であるわたしたちにも罪はありません。

 

神と神の子であるわたしたちは一つなのでワンネスしかありません。

 

神の思いと神の子であるわたしたちの思いは一つなので

ワンネスしかありません。

 

神の意志と神の子であるわたしたちの意志は一つなので

ワンネスしかありません。

 

 

 

 

だから

 

 

わたしが攻撃できるのは

わたし自身の罪のなさだけであり、

わたしを安全に保つのも

わたし自身の罪のなさだけです。

 

 

誰かに罪を見ているときは

 

一つであるわたしたちの一部をもぎ取って、分離させて

 

断罪しているのです。

 

 

けれど

 

一つであるものを切り離すことはできません!

 

一部に罪を見るとは

 

ワンネス全体を断罪することなのです。

 

 

 

それなら、

自分たちの罪のなさを攻撃することはやめましょう。

その罪のなさは

自分たちへの神の言葉を保有しているからです。

罪のなさが優しく反映される中でわたしたちは救われます。

 

 

 

罪のなさを否定し攻撃するのはエゴですね!

 

神から離れたわたしたちは罪深いと主張するのです!

 

肉体を自分とし、

 

神から離れたことを信じているわたしたちですが

 

罪悪感を抱えて生きるのはあまりにも辛いので

 

あなたのせいでわたしは苦しんでいる!

 

あの人のせいでわたしは辛い思いをしている!

 

と自分の罪悪感を自分の外に転嫁して

 

誰かを攻撃することで罪悪感から逃れようとするのです!

 

 

けれど、この試みはうまくいきません!

 

 

なぜなら

 

罪悪感というアイデアは自分の思いから生じたからです。

 

 

 

とはいえ

 

 

レッスン235

神は、慈悲を持って、わたしが救われることを意志しています。

 

 

の祈りの言葉は

 

 

父よ、あなたの聖性はわたしの聖性です。

あなたの愛がわたしを創造し

わたしの罪のなさを永遠にあなたの一部としました。

わたしには罪悪感も罪もありません。

あなたの内には罪悪感も罪も全くないからです。

 

でしたね。

 

 

 

あなたの問いは、

「どうすれば

兄弟を肉体なしに見ることができるでしょうか?」

であってはなりません。

「わたしは本当に兄弟の罪のなさを見たいだろうか?」

とだけ尋ねなさい。

そして、それを問う時は

兄弟の罪のなさが、

恐れからのあなたの脱出手段であることを

忘れないようにしなさい。

救いこそ、ホーリースピリットのゴールです。

その手段はビジョンです。

なぜなら、見ることができる者が眺めるのは

罪のなさだからです。

愛する者は裁くことはできません。

だからその人が見るものは非難を免れています。

その人が見るものは、

その人が作り出したものではありません。

それは、

その人が見ることを可能にしたビジョンと同じように、

見るようにとその人に与えられたものなのです。

(テキスト第20章・第7節・段落9)

 

 

 

 

少なくとも1時間に1回は

 

 

わたしが攻撃できるのはわたし自身の罪のなさだけであり、

わたしを安全に保つのもわたし自身の罪のなさだけです。

という思いで心をリセットしましょう。

 

 

心が揺れていることに気づいた時は

 

 

すぐに

 

 

わたしが攻撃できるのはわたし自身の罪のなさだけであり、

わたしを安全に保つのもわたし自身の罪のなさだけです。

 

と唱えましょう。

 

 

 

さらに

 

祈りの言葉を加えてもいいですね!

 

 

 

心の静けさ、穏やかさを大切にしましょう。

 

神と共有している心の平和です。

 

鎮まった心には神の声が聞こえてきますよ。

 

 

 

今日という日をホーリースピリットに導いてもらう日にしましょう。

 

ホーリースピリットに

 

自分の声を、自分の手を、自分の足を使ってもらう日にしましょう。

 

 

自分の見方を手放して・ゆるして

 

ホーリースピリットが分かち合ってくれる


キリストのビジョンを受け入れましょう。

 

 

 

 

夜も朝と同じステップを踏んで

 

言葉を置いて

 

神をお迎えする準備をしてください。

 

 

 

1日のどこかで、祈りのひと時を始める時に、以下を読み

一文一文を丁寧に受け止めてください。

 

 

13.奇跡とはなんですか?❶ 段落1 前半

 

奇跡とは訂正です。

奇跡は創造することはせず、

まったく何の変化をもたらすこともありません。

ただ荒廃状態を眺め、見ていることは虚偽であると

心に思い出させるだけです。

 

 

 

奇跡とは訂正であり、創造することはせず、

まったく何の変化をもたらさない。

 

ただ、

 

荒廃状態を眺め、見ていることは虚偽である

と心に思い出させる。

 

 

 

パート2の最初の特別に関連するテーマ〈ゆるしにも

同じことが述べられていました。

 

 

ゆるしは、じっと静かにしたまま何もしません。

ゆるしは、実在が示すいかなる様相にも逆らうことはせず

自らの好みに合うように捻じ曲げようともしません。

ゆるしは、ただ見つめ、待ち、判断を下しません。

(段落4)

 

 

 

 

 

奇跡はゆるしの自然なしるしだからです。

(テキスト第1章・第1節奇跡の原理・段落21)

 

 

 

ゆるしも奇跡もこの形あるの世界に属するものであり

 

天国にはありません。

 

 

天国では訂正されるべきものなどないからです。

 

 

つまり

 

 

ゆるしとは訂正の手段であり

 

奇跡は訂正を選んだことの証です!

 

 

奇跡は、

 

神が創造したものは未来永劫不変でることを

 

心に思い出させてくれるのです。

 

 

だから

 

今見ている戦争を、病気を、問題を、荒廃状態を                  

 

なんとかしようと試行錯誤することはやめ

 

 

「わたしが見ているものは

 

神のまったき愛を反映していません。

 

わたしは自分が見ているものを

 

事実であり、現実であると主張することをやめます!

 

自分の知覚を手放します!ゆるします!

 

あなたが創造したものの反映を見させてください。

 

あなたの反映だけをわたしが見られますように!」

 

 

と祈りませんか?