再び「ゆるし」というアイデア登場です。

今回は、丁寧に練習するだけではなく

「ゆるし」の意味を

ゆっくり、じっくり吸収したいので2回に分けてお伝えします。

テキストを読むように味わいながら読むことをオススメします🌱

パート1では、練習の目的、練習の仕方に続いて

わたしたちがいまだに信じている「ゆるし」というアイデアについて

じっくり見ていきます。

パート2では、「真のゆるし」がもたらしてくれるものについて

見ていきます。

通しで読んでから練習に入ることをお勧めします。

 

 

 

レッスン134

 

Let me perceive forgiveness as it is.

 

わたしがゆるしをありのままに知覚できますように。

 

 

 

 

まず、練習の目的をクリアーにしましょう。

 

一つに結ばれる時をこれ以上を遅らせないために

「ゆるし」というアイデアをしっかり受け止め

実践します。

わたしたちは、自由と平和のうちに自分たちの真の姿に出会う

つもりだからです。

わたしたちの練習は、

すべての兄弟たちのための道を照らす足跡となり

兄弟たちは、わたしたちと共有している真の姿に向かって

わたしたちの後に続きます。

(段落14)

 

 

さぁ練習です!

 

15分の練習時間を2回とります。

 

ゆるしの意味を理解していて

それをわたしたちに教えるために送られた導き手である

ホーリースピリットとともに過ごします。

 

ホーリースピリットに

 

わたしがゆるしをありのままに知覚できますように。

 

と頼みましょう。

(段落14)

 

 

それから

ホーリースピリットが指示するままにひとりの兄弟を選び

その人の「罪」が浮かんでくるたびに

一つ一つ並べ上げていきます。

どれ一つについてもくよくよ考えないようにして

罪というあらゆるアイデアから世界を救うために

その人の「不快にする行為」を用いているにすぎないということを

自覚してください。

手短に

その人について思った邪悪な事柄を全部考えてみて

その都度

 

「わたしはこのように相手を非難することで

自分自身を非難したいのだろうか?」

 

と自分自身に尋ねてください。

(段落15)

 

 

その人に対してあなたが抱いてきたすべての罪から

その人を自由にしてください。

そうすれば今、あなたは自由になる準備が整ったことになります。

もしあなたがここまで意欲を持って誠実に練習してきたなら

引き上げられる感覚や

胸をよぎる重さはやわらぎ

深い確かな安堵感を感じ始めることでしょう。

残りの時間は

兄弟を縛りつけようとして

実は自分自身を縛ってきた重い鎖から逃れられたことを

感じることに捧げてください。

(段落16)

 

 

ゆるしは1日を通して練習されるべきです。

あなたがゆるしの意味を忘れ

自分自身を攻撃することはまだ何回もあるからです。

そういう時は、このように言って

自分の心に、その幻想を見抜かせることです。

 

 

わたしがゆるしをありのままに知覚できますように。

わたしはこのように相手を責めることで

自分自身を責めたいのだろうか?

いいえ、わたしはこの鎖で自分を縛るつもりはありません。

 

 

 

何をする時も

これを覚えておいてください。

 

誰も一人だけで磔にされることはありません。

誰も一人だけで天国に入ることはできません。

 

(段落17)

 

 

 

✼✫✳︎✶❅✦✳︎✱

 

 

ゆるしというアイデアについてしっかり学ぶためのレッスンです📌

 

まずは、この世のゆるしについて見ていきましょう。

 

 

「ゆるす」ということの意味を見直してみましょう。

ゆるしというアイデアは歪められやすく

・正義の怒りを不当に犠牲にさせるもの

・不適当で受けるに値しない贈り物

・真実を完全に否定するもの

と知覚されがちです。

このような見方からすれば

・ゆるしは単なる常軌を逸した愚行

とみなされ、このコースが

・ゆるしとは気まぐれに基づいてなされるもの

だと言っているように思えます。

(段落1)

 

 

さぁ、正直に自分の思いを見つめましょう。

 

ゆるせない!

とか

ゆるしてはいけない!

とか

ゆるすべきなんだけど。。。

 

と感じたことがあるなら

わたしは「ゆるし」を全くわかっていない

と認め、ここで、もう一度

ゆるしをしっかり学ぶ決心をしましょう。

 

 

 

ゆるしの意味についての歪んだ見方は

ゆるしは真実に対して求められているのではないという事実

あなたが受け入れることができれば

簡単に訂正されます。

ゆるしは、誤りであるものだけになされます。

ゆるしは、幻想以外のあらゆるものとは無関係です。

真実は神が創造したものであり

それをゆるすことには意味などありません。

すべての真実は神に属し

神の法を反映し

神の愛を放射しています。

こうしたものがゆるしを必要としているでしょうか?

罪がなく、永遠に優しいものを

どうやってゆるすことができるいうのでしょう?

(段落2)

 

 

そうだよなぁ。。。とスルーしないでくださいね!

 

じっくり、ゆっくり受け止めていきましょう。

 

 

ゆるす対象は神が創造していないもの🌱

 

神が創造したものは完璧なので罪を犯すことなどありえない!

 

そして

 

神が創造したものだけが実在している!

 

 

でも

 

 

わたしが見ているものは

わたしには「実在している」としか思えません!

とても幻想だとは思えません!

 

 

 

だからこそ

ここで立ち止まって

 

 

わたしが見ているものは愛を放射しているだろうか?

 

と自分に尋ねてあげましょう!

 

 

わたしは神が創造した美しきもの、優しきものを

見ているだろうか?

 

 

応える時間もたっぷりとってあげてくださいね。

 

 

 

では次に、わたしたちがいまだに信じていることを

丁寧に見ていきます。

 

 

 

まがいものでないゆるしを行う際に直面する最大の難しさは

あなたがいまだに

幻想ではなくて真実をゆるさなければいけないと信じている

 ことから生じます。

あなたはゆるしを

そこにあるものを見過ごそうとする無駄な試み

真実を無視し、幻想を真実に仕立て上げることによって

 自分自身を騙そうとする根拠のない努力を強いるもの

 だと思っています。

この歪んだ見方は、あなたが自分のことを考える時

罪というアイデアが、いまだにあなたの心を掴んでいる

ということの反映にすぎません。

(段落3)

 

 

 

罪というアイデアが、いまだにあなたの心を掴んでいる

 

つまり。。。

 

わたしの心の中には、罪とうアイデアを握りしめている部分がある

ということです。

 

そしてこの部分をエゴと呼ぶのですね。

 

 

神のもとを離れ、一国一城の主人であろうとしているわたし!

自立・自活できることに価値を見出しているわたし!

天国という我が家より良い住み処を求めているわたし!

 

家出した自分に父なる神は怒り、罰するに違いないと

信じているわたし!

 

 

罪を信じていれば、罰は当然の報いです!

悪を信じていれば、懲罰は避けられません!

 

 

 

 

自分が見ていることが事実・現実・真実だと信じていれば

それらは幻想だ!

実在していない!

と言われても納得できません!

 

 

罪を見ておいて

 

それでも

 

それなりに理由があるに違いない!

 

とか

 

いいところを見てあげよう!

 

 

と配慮してあげることはゆるしではありません!!

 

 

 

 

さぁ、自分に尋ねましょう。

 

 

わたしは、わたしの判断をホーリースピリットと共有しているだろうか?

 

 

 

 

あなたは、自分の罪が実在すると考えているので

ゆるしをごまかしだとみなしています。

罪を本当のものだと考えておきながら

ゆるしは偽りだと信じずにいることは不可能です。

そうなると、ゆるしは

他のすべてのものと同じように

実際には罪でしかないということになります。

ゆるしは、真実とは偽りだと言い張り

不正を働くものたちが

まるで若草のように非難の余地がなく

雪のように純白であるかのように

微笑みかけるのです。

その見方は、何を成し遂げられるのか

勘違いしています。

明らかに間違っていることを正しいとみなし

忌まわしいことを良きことにしています。

(段落4)

 

 

 

丁寧に、自分の思いを受け止めてあげてくださいね。

ゆるしを強いられているように感じたことはありませんか?

ゆるせない自分はまだまだダメだ!

と感じたことはありませんか?

 

 

 

 

こんな見方では、ゆるしは幻想から逃れる手段にはなりません。

このようなゆるしは

せいぜい隠したり

否定したり

別の名で呼ぶことができるだけで

罪はゆるし難いものだということのさらなる提示にすぎません。

こうしたゆるしは

真実に対する裏切り行為です。

もしあなたが罪を犯すならあなたの罪悪感は永遠に続きます。

罪は本当だという見地からゆるされた者たちは

哀れなほどにばかにされ、二重に咎められるのです。

まず

自分が犯したと思っている罪について自分自身によって咎められ

さらに

自分をゆるす者たちによってもう一度咎められるからです。

(段落5)

 

 

 

もし自分がしたことがバレたら責められる!

 

と感じているなら

 

すでに、自分で自分に

 

お前は有罪だ!

 

 

という裁きを下しているということです。

 

 

すると

 

誰もがその自分の判決をサポートしてくれるので

 

 

 

お前は有罪だけれど、今回は見逃してやる!

 

 

表現する

大目に見る人たち=ゆるす人たちが現れたり

 

 

 

お前は有罪なので罰を与える!

 

 

と表現する

咎める人たち=ゆるさない人たちが現れます。

 

 

 

 

さぁもう一度自分に尋ねましょう!

 

 

わたしは

まったき愛である神に創造されたわたしたちでも

罪を犯すことができると主張したいのだろうか?

 

 

 

✼✫✳︎✶❅✦✳︎✱

 

パート2では、真のゆるしがもたらすものを

丁寧に受け取っていきましょう。