オープンハートで、どこまでもゆったりゆっくりと過ごし、目の前のものをゆっくりゆったりと味わう、天界の神々の在り方。外側にしか求めなければ、例えば、ご飯をゆっくり食べるのが健康によいとか、1食に何十回も噛んでたべたほうがよいよとか、わけわかんなくなるが。


今ここ、この瞬間の目の前のものや自分自身の内側の愛と光の感覚にシフトすると、あらゆるものが更にも増して色鮮やかにうつり、水さえもワインに変わるとはこのことだ。


考えるな感じろとは、例えば、手を合わせてスリスリしているだけでも、その内側の感覚にメタ認知と至福を与える。外側の視点では、何かに祈っている様にも、温めているだけにも、如何ようにも瞬間、瞬間に捉えらるし捉えどころがない。


しかし、何をやっているのかと言うのは、内側に意識が、今ここにあると、今ここから何処に行かずとも今ここにすべてがあることに気付き、今、ここで波動を上げられるだけ上げられるにも気付く。


セルフラブの極限は半霊半物質であり、自分自身を内側で身体や心や頭を感じる感覚に限界がないことにも、気付く。全身が性感帯になる精度が上がり続けてそれが半霊反物質になるまでの波動の上昇であることにも、現象として到達することがわかる。


すべては内側であるので、触りたくもないのに触っていても逆に皮膚を痛めてしまいます。内側の愛や光や、ありがとうや愛してるなどのアファメーションを出来れば言葉に最初は出してもよいし、出さないでよりメタ認知やなりたい自分自身にシフトするためには、内側のチャクラやイメージやヴィジョンや愛、を感じながら触れるなのです。


内側から気持ちいいところや痛みの癒しなのです。


外側の視点で見ていたり、波動が五次元の感覚に、内側の愛と光や至福状態になっていないと、何を言っているのか理解できないどころか、波動を下げる役として買ってでたりします。皆さんがというよりも、目の前の相手や周りの人々です。


つまり、外側に意識を向けさせるといった問題が、他にあるだろうと考えてしまうこと自体が波動を下げ、波動は干渉し合うと、それだけでも影響を受けていて、折角波動を上げたのに次の瞬間にどうした?どうした?といったよりネガティブをより認識したりもします。


外側に問題があるとして、争うこと自体が波動を下げる一番の罠であることを闇の勢力は蜘蛛の糸の巣のように張り巡らせているので


全八百万の神々が無条件にわたしを全力でサポートしています、わたしは愛と光で満ちていますといった内側に意識を向ける訓練を常日頃から意識したりなどあらゆる束縛から解放されるまで、今ここに意識を合わせます。


それは逆に何処にも遠くにゆく必要もなかったりあったりして、要は、波動を上げてゆくと現実化がはやくなるので、その方法は何にでも個人的なガイドや歩むプロセスに従い


それには、目の前のものや相手は100%自分自身と同一といった視点が大切であったり、


それはつまり、如何なる正論よりも、闇の勢力が仕掛けてきた罠や、相手がネガティブになる瞬間のトリガーに対して、愛や光や中庸と言った争わない視点が必要です。


波動がちょっとでも下がると、水がワインに感じられないような、微妙な周波数の変動にも気付き、


また自分自身で、コミュニティや瞑想やエネルギーワーク、グラウンディング、クリアリング、セルフラブや食事や健康を通して、直ぐに戻せますが


すべては、内側の自分自身なのです。