ご覧いただきありがとうございます。
ところで
Facebookやブログ、Instagram
SNSを始めたきっかけって
心に強く思う、
自分だから伝えられる
自分にしか伝えられないと思う何かがあるから
なのではないでしょうか?
わたしだけかな
何言ってるのって否定されるの怖いです。実は。
「素敵なものでもなければ
役にたつ知識でもない
ただの独り言なら要らない」と
この時↓うまく言葉にできなかったこととどうもつながっているようで
認知症介護実践者研修は、ケアマネ研修以上に
「拙いなりにも、ではなくて
教わった型どおりに質の高い成果物提出を要求されて、できなかったら一回で即失格。
人の命、人生がかかっていることだから」
その覚悟を決められず焦ってました。
実際のところ、型どおりに最初からできるわけがなく
責められるではなくて
研修受講中は講師陣
誰よりも実習対象者である認知症の当事者と
やりとり、対話してひとつずつ教えていただき時には粉々に失格ぶりを痛感しながら身につけていくもの
「だからできなくていいでしょ?大目にみてね」と自分から開き直って言うのは論外なわけで。
研修を始めとする、教わることができる立場のうちにちゃんと失敗という経験を積んで成長することが必要。
研修を修了したら終わりではなく
終わってからが本番
より
心に強く思う、
自分だから伝えられる
自分にしか伝えられないと思う
認知症になったら
症状のひとつとしてうまく言葉を使うことが難しくなっていくというのがあるから
ケアマネとして
終わりという絶望感をなくしていく
なってからもよりよく生きたいと願う人の言葉を代わりに使う
を実現していく覚悟を
研修の一環で作成した勉強会の資料の一文を載せることでここに示します。
※認知症が痴狂と称されていた1900年代初頭
認知症基本法が施行され2年が経った今、2026年のことはきれいごと以前、想像もしなかった。
疾病や、症状を対象としたケアのあり方ではなく、その人が生きてきた歴史や人間性、本人の物語をケアの中心にとらえ、その人の内的体験を聴くことにケアの中心をおく
ーそれが当たり前になる未来をここから作ることができるかもしれない。言葉にして望まなければそもそも叶わない。少なくともわたしたちは「認知症に『なったら終わり』ではない」ことを知っていてケアにあたっています。
「終わっている」人についてはイラつくことさえないから、無関心ではないのが何よりの証拠。嫌い、イラついても許されると思います。※
本当はイラつかず喜び合いたい
それさえ望まず気持ちが少しでも凪ぐだけでいいのに
その思いが叶わなければ嫌いにもなる
そこからどうするかを常に考えて
のたうちながらブログを綴っていきます。
お読みいただきありがとうございます。
