ここのところ、人生振り返りシリーズ書いてて
その影響もあるのか、朝ハッと気づいた
私の父は態度こそ1ミリも出さなかったけど
私のことを深く理解していたのだ、ということを
(👆 テキサスの果てしない一本道)
私はそのことを知っていたけど
知っていることに気づいてませんでした
父は昭和の日本男児で
身内のことは公の場では謙遜して言う風潮に乗って
みんなの前で私のことをわがままとか
何にもわかってなくて頼りなくて大丈夫なんだろうか
とかしか言わなかったから、
へ〜、そ〜思ってんだね〜
と判断し、思春期の頃から
女子供をバカにしてる様に見える父を
避ける様になりました
👆こんな父さんだったらなぁ〜って思ってた![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png)
![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png)
そんな自分のレッテルを剥がすために
また
父に頼るしかない病気の母の様にならないために
男に頼らない私になるのだ
と固く決意しました
だけど、結局私は父を死ぬまでめちゃくちゃ頼りにしてきた
就職も父のコネで大手商社に入社して2年で辞めたにも拘らず
父はその翌月から転勤で東京に引っ越してきて
私は路頭に迷わずに済んだし
スペインに1年滞在中に
母の緊急手術の時も
大丈夫だから帰ってこなくていい
と言って最後までスペインにいさせてくれた
踊りを主体に生活していた時も
あまり私の踊りに興味がなかった様でしたが
亡くなった後に親戚からこんなこと言ってたよ、
と聞いた父の言葉
「Etsukoは、踊ってれば幸せだから。。。」
ある頃から人間関係の苦しさで
踊る喜びを感じられなくなったけど
踊ることは純粋に嬉しかった
踊っているその瞬間は気分良かった
なのに、あまり私の踊りを見たことなかった父の理解に驚いた
わかりやすいことが好みの私にとって
普段の父の態度からかけ離れたその言葉は驚きでした
日本の女性がいかに縮こまって生きているのか
に気づきました
"母" という集合意識の美徳を纏うか
男性のプライドを立て
女性自身も自己価値を低めて生きていた方が楽
っていう周りの風潮に腹の底から怒りが湧いて
それが父に向かっていったんだ
結局、いつも私の好きなように生きさせてくれた父なのに。
今朝、布団の中でそんなことを一瞬で感じながら
もう、男性意識とケンカするのはやめよう、、、
と決意した
できれば態度と言葉と意識を一致させて
分かりやすくしていて欲しいけど
わからないから
ムカつくから
といって
切り捨てるのはやめて
本当の本当の本当はどうなのか
私の期待と一致しないかもしれないし
その可能性は大だけど
ありのままを愛の眼差しで見つめます
と意図した朝でした