ここのところ、人生振り返りシリーズ書いてて
その影響もあるのか、朝ハッと気づいた




私の父は態度こそ1ミリも出さなかったけど
私のことを深く理解していたのだ、ということを



   (👆 テキサスの果てしない一本道)


私はそのことを知っていたけど
知っていることに気づいてませんでした



父は昭和の日本男児で
身内のことは公の場では謙遜して言う風潮に乗って


みんなの前で私のことをわがままとか
何にもわかってなくて頼りなくて大丈夫なんだろうか
とかしか言わなかったから、

へ〜、そ〜思ってんだね〜

と判断し、思春期の頃から
女子供をバカにしてる様に見える父を
避ける様になりました




👆こんな父さんだったらなぁ〜って思ってた爆笑
     


そんな自分のレッテルを剥がすために
また
父に頼るしかない病気の母の様にならないために


男に頼らない私になるのだ


と固く決意しました






だけど、結局私は父を死ぬまでめちゃくちゃ頼りにしてきた



就職も父のコネで大手商社に入社して2年で辞めたにも拘らず
父はその翌月から転勤で東京に引っ越してきて
私は路頭に迷わずに済んだし


スペインに1年滞在中に
母の緊急手術の時も
大丈夫だから帰ってこなくていい
と言って最後までスペインにいさせてくれた


踊りを主体に生活していた時も
あまり私の踊りに興味がなかった様でしたが


亡くなった後に親戚からこんなこと言ってたよ、
と聞いた父の言葉



「Etsukoは、踊ってれば幸せだから。。。」







ある頃から人間関係の苦しさで
踊る喜びを感じられなくなったけど


踊ることは純粋に嬉しかった


踊っているその瞬間は気分良かった



なのに、あまり私の踊りを見たことなかった父の理解に驚いた


わかりやすいことが好みの私にとって
普段の父の態度からかけ離れたその言葉は驚きでした







  (👆ホームスティから3年後、成長したブライアンとニコニコ)




アメリカに行って

日本の女性がいかに縮こまって生きているのか
に気づきました



"母"  という集合意識の美徳を纏うか

男性のプライドを立て
女性自身も自己価値を低めて生きていた方が楽
っていう周りの風潮に腹の底から怒りが湧いて
それが父に向かっていったんだ



結局、いつも私の好きなように生きさせてくれた父なのに。



今朝、布団の中でそんなことを一瞬で感じながら
もう、男性意識とケンカするのはやめよう、、、
と決意した



できれば態度と言葉と意識を一致させて
分かりやすくしていて欲しいけど



わからないから
ムカつくから



といって
切り捨てるのはやめて
本当の本当の本当はどうなのか




私の期待と一致しないかもしれないし
その可能性は大だけど




ありのままを愛の眼差しで見つめます

と意図した朝でした