こんばんは。
人生再生ナビ 倉田純です。
施設に入居した父は、家族の中では
兄の言うことしかきかなかったので、
兄の家に近い施設にしたのですが
入居した当初は、他人の部屋から
ヒゲソリを持ってきてしまったとか![]()
タンスにしまった服を全部!
ゴミ用の大きなビニール袋に
詰め込んでしまうとか![]()
兄が施設から何度も呼び出されて
大変だった様です![]()
父にしてみれば、いきなり知らない所に
連れてこられた訳ですから、認知症とはいえ
無理からぬことなんですが![]()
兄が訪ねると父は、
「家に帰らなくちゃならないんですよ」
と言っていたそうです![]()
前回の投稿
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母からの新たなストレス編
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父の介護は兄に、母の介護は
私が請け負うこととなった訳だが
一人になったから楽になる。
と、単純にはいかなかった![]()
父が居た時は、
母の意識が父に向いていたが
一人になったら、頼る者は私だけ![]()
母の意識が全面的に私にシフトした![]()
母の買い物と、母の居住スペースの掃除は
今まで通りヘルパーさんがやってくれたが、
それは週に3回。一回につき僅か1時間程度。
朝夕食の準備や、月に一度の通院の付き添い等
(たまに兄のお嫁さんが手伝ってくれたが)
は元より、精神的負荷が一番大きかったかな![]()
私が仕事の間は母は殆ど一人なので、
何か不安なことがあると、直ぐに
私の携帯にかけてくるのだった![]()
(目が不自由なので、ボタン一つでかかる様に
セットしたのがマズかった
)
おまけに大の心配性ときてるので、
少しばかり私の帰りが遅いと
「今どこにいるの?」と
かかってくるのには参った![]()
娘の方は、中学の担任の先生から
外部の親子で受けられるカウンセリング
を紹介され、2年くらい月1~2ペースで
通っていた。
こちらでは親子別々でそれぞれの話を
聞いて貰えたので、効果があったかどうか?
は分からないが、私のストレスも溜まっていたので
良かったと思う。
学校には全くゼロではなく、行ける時もあったので、
娘の方は少しずつ落ち着いてきていた![]()
ただ、高校は当然出席日数でアウトだったので
塾の先生と相談して、都立のチャレンジスクール
という単位制高校を受験することにした。
中学受験の時ほどではなかったが、
本人の納得がいくように、やはり
結構いくつかは学校見学に付き合った![]()
学校には行かなくても何故か?
塾には行っていたので、
小論文や面接など、チャレンジスクールの
特殊な受験形式には全面的に塾の先生に
協力して頂けて、良かったと思う![]()
何とか、チャレンジスクールに合格出来て
私が精神的に学び直した、中学時代も
終わり、やっと義務教育も終了したので、
後は本人次第
と思える様になっていた^^
その頃、次第に体力が弱くなっていた父が
入院先で亡くなった。
私が父を見舞った時には、既に
目を開けることもなく、会話も出来なかったが、
コトバだけ掛けられたのは良かったと思う。
病院が遠かったこともあるが、
目が不自由な母は、晩年の父には
まるで暴力を振るわれていたかの様に
捉えていたので、施設にも病院にも
行きたいと言ったことすら、なかった![]()
私も、数年前に父から言われた一言が
トゲの様にいつまでも抜けずにいたが、
病院で最後に顔を見た時には
それも抜けた様な気がした。
私は臨終には間に合わなかった。
父は幸せだったのか?
私には分からないが、最期は
信頼していた兄に看取って貰ったことは
幸せだったのではないだろうか。
2012年の5月のことだった。
続く。
『人生再生ナビ』 倉田 純

