【人生を再生するまで⑫】母からの新たなストレス編 | 本当の自分で生きるということ

本当の自分で生きるということ

驚くことに、私は人生の後半になるまで接ぎ木で生きてきたらしい。
「らしい」というのは、自覚していなかったけれど、長年の間に埋め込まれた思い込み。偽りの自分から、接ぎ木でない本当の自分として生きる覚悟を決めた私は・・・

こんばんは。

人生再生ナビ 倉田純です。

 

 

 

施設に入居した父は、家族の中では

兄の言うことしかきかなかったので、

兄の家に近い施設にしたのですが

 

 

 

入居した当初は、他人の部屋から

ヒゲソリを持ってきてしまったとかあせる

タンスにしまった服を全部!

ゴミ用の大きなビニール袋に

詰め込んでしまうとか叫び

 

 

 

兄が施設から何度も呼び出されて

大変だった様です汗

 

 

 

父にしてみれば、いきなり知らない所に

連れてこられた訳ですから、認知症とはいえ

無理からぬことなんですがガーン

 

 

 

兄が訪ねると父は、

「家に帰らなくちゃならないんですよ」

と言っていたそうですしょぼん

 

 

前回の投稿

【人生を再生するまで⑪】 不登校再発と介護のはざま編

 

 

 

 

 

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母からの新たなストレス編

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父の介護は兄に、母の介護は

私が請け負うこととなった訳だが

一人になったから楽になる。

と、単純にはいかなかったショック!

 

 

 

 

父が居た時は、

母の意識が父に向いていたが

一人になったら、頼る者は私だけ汗

母の意識が全面的に私にシフトした叫び

 

 

 

 

母の買い物と、母の居住スペースの掃除は

今まで通りヘルパーさんがやってくれたが、

それは週に3回。一回につき僅か1時間程度。

 

 

 

 

朝夕食の準備や、月に一度の通院の付き添い等

(たまに兄のお嫁さんが手伝ってくれたが)

は元より、精神的負荷が一番大きかったかなガーン

 

 

 

 

私が仕事の間は母は殆ど一人なので、

何か不安なことがあると、直ぐに

私の携帯にかけてくるのだった汗

(目が不自由なので、ボタン一つでかかる様に

セットしたのがマズかった!?

 

 

 

 

おまけに大の心配性ときてるので、

少しばかり私の帰りが遅いと

「今どこにいるの?」と

かかってくるのには参ったショック!

 

 

 

 

娘の方は、中学の担任の先生から

外部の親子で受けられるカウンセリング

を紹介され、2年くらい月1~2ペースで

通っていた。

 

 

 

 

こちらでは親子別々でそれぞれの話を

聞いて貰えたので、効果があったかどうか?

は分からないが、私のストレスも溜まっていたので

良かったと思う。

 

 

 

 

学校には全くゼロではなく、行ける時もあったので、

娘の方は少しずつ落ち着いてきていた合格

ただ、高校は当然出席日数でアウトだったので

塾の先生と相談して、都立のチャレンジスクール

という単位制高校を受験することにした。

 

 

 

 

中学受験の時ほどではなかったが、

本人の納得がいくように、やはり

結構いくつかは学校見学に付き合ったあせる

 

 

 

 

学校には行かなくても何故か?

塾には行っていたので、

小論文や面接など、チャレンジスクールの

特殊な受験形式には全面的に塾の先生に

協力して頂けて、良かったと思うニコニコ

 

 

 

 

何とか、チャレンジスクールに合格出来て

私が精神的に学び直した、中学時代も

終わり、やっと義務教育も終了したので、

後は本人次第ビックリマークと思える様になっていた^^

 

 

 

 

その頃、次第に体力が弱くなっていた父が

入院先で亡くなった。

私が父を見舞った時には、既に

目を開けることもなく、会話も出来なかったが、

コトバだけ掛けられたのは良かったと思う。

 

 

 

 

病院が遠かったこともあるが、

目が不自由な母は、晩年の父には

まるで暴力を振るわれていたかの様に

捉えていたので、施設にも病院にも

行きたいと言ったことすら、なかった汗

 

 

 

 

私も、数年前に父から言われた一言が

トゲの様にいつまでも抜けずにいたが、

病院で最後に顔を見た時には

それも抜けた様な気がした。

 

 

 

 

私は臨終には間に合わなかった。

父は幸せだったのか?

私には分からないが、最期は

信頼していた兄に看取って貰ったことは

幸せだったのではないだろうか。

 

 

 

 

2012年の5月のことだった。

 

 

続く。

【人生を再生するまで⑬】 明るい兆し編

 

 

『人生再生ナビ』 倉田 純