こんばんは。
人生再生ナビ 倉田純です。
娘は、無事に中学の入学式を終えて
テニス部なんぞにも入部して
これから楽しい青春だね![]()
なんて、古いドラマみたいなことを
考えてルンルンしていた私でしたが
そんなに甘くはなかったのです![]()
調子よく通えたのは最初の3ヶ月程度![]()
約一年間のブランクの間も
塾には通っていましたが
私立の勉強の進み方やスポーツ部の厳しさ
細かい校則に早くも適応できず![]()
またもや朝の腹痛が再発してしまったのです![]()
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不登校再発と介護のはざま編
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安心したのも束の間、
5月のGWが終わった頃から
またもや不登校再発の兆し![]()
朝の腹痛と、私の出勤前の攻防戦![]()
義務教育とはいえ、そこは私立![]()
中・高一貫校だったので、当然!
出席日数が足りなければアウト![]()
私はまだ学びが足りなかった様で![]()
ここでも焦りの行動に走ってしまい
行かせようと試みてしまうのでした![]()
担任の先生も何度か家庭訪問に
来て下さいましたが、右に同じで
娘の気持ちを考えるというよりは
正論で攻めるタイプ![]()
益々学校に行こうという気持ちが
萎える結果となったのは、
言うまでもありません![]()
自己中だけど、毎朝出勤前に
「今日も休みます」「今日も行けません」と
学校に電話を入れなくてはならない義務が
たまらなく私のストレスで![]()
頼み込んで、途中からメール連絡に
変更してもらって、少しホッとした![]()
だが、私のストレスはこれだけではなく
徐々に蝕む認知症で壊れていく父と
緑内障治療がもう限界で
視力を失っていく母の間に立って
自分の気持ちをしっかり保っているのが
やっとの状態![]()
こんな時も支えになってくれたのは
家族の一員ラブちゃんのお陰![]()
それでも
自分一人ではどうにもならないので、
母の買い物の付き添いやお掃除などは
ヘルパーさんにお願いして
その他の家事は、体は健康だった父が
記憶は細切れの中も、最初の内は
何とかやってくれていた。
だが、そんな父も次第にやることが
理解不能になってきたり、
正論で攻める母に怒りをぶつけたり![]()
ということが増えていた。
昔の人で、元々ワンマンなので
「黙ってオレの言うことをきいてればいい!」
というタイプの人
益々拍車が掛かってました。
ある時娘が、父がラブちゃんに対してやったことに
文句をつけると、父が鬼の様な形相で
娘に詰め寄ったので、病気と分かってはいても
私も頭に血がのぼってケンカになり
父が胸倉を掴んでくる!
なんて修羅場もありました![]()
(娘はそれ以来おじいちゃんが大嫌いに
)
ただ、記憶が薄れていく中でも
唯一兄の言うことは素直にきいたので、
認知症検査の時などは、
離れて住んでいる兄に頼みました。
しかしながら
進行を止めることは出来ず、
目の不自由な母も、依存するか
正論で攻めるかのどちらかだったので![]()
この頃の家の中は、それはもう!
殺伐とした空気が流れてました![]()
私と娘は外階段の2階にいたので
夜は穏やかに眠れたのですが
ある晩下が騒がしいので外を見ると
おまわりさんが来ていた
なんてことも
父が母に言われたことに腹を立て、
ちょっと押した(多分)ら母がふらつき
倒れてガラス扉にぶつかり割れた
で、
父が慌てて110番通報した。という流れ![]()
(こういう時は正気に戻るんだね)
このままにしていたら、いつか誰かがケガをする![]()
と、限界を感じ兄に頼んで兄の家に近い施設に
父に入居してもらうことになった。兄に付き添われて。
実家に戻って3年目の8月、ある暑い日のことだった。
兄は、父を騙すようで辛かった
と後々言っていた。
続く。
『人生再生ナビ』 倉田 純



