閏年2月ラストナイトは

サマサティ死の瞑想会

に参加していた




『春分の前に一度死んでおきたい』


ふと目の前にやってきた案内にあった
その一文にピンときて
参加してみようと思った


「死」
いままで言葉にすることも
それについて考えるなんてことも
避けていたところがあった 


なんとなく直視したくない
怖いものだったからね

思い切って飛び込んでみた
(大げさだけどそんな気持ちだった笑)


すこし前に
OSHOトランスフォーメーションタロットの
『死/決して死ぬことのないもの』から
OSHOの講話を読み『死』について
観ていたことも影響していた



誰かの、というより、自分の死…
死生観というものなのかな


死ぬことと生きることは
ひとつのこと

死を考えることは
生を考えること
生き方のこと

何度か聴いたことはある言葉
そうなんだなと思ってはいたが…



死の瞑想は
とても優しい時間だった
とても魂を感じる時間だった

肉体から離れる前の小一時間の体験は
意識の次元が変わったのを感じた

愛と感謝があふれてきて
涙も静かにあふれだして

自分が歩いてきた道が
苦しみや痛みや怒りながら
歩いてきた道が
懐かしくて愛おしくて
大切に大切に手放していく感じがした
 
50数年の生きた時間なんて
ホンの一瞬なんだと感じた

同時に
どこか心残りも感じていた


肉体を離れるとは
過去も今も未来さえも
手放すということなんだ

そういうことなんだな…と
新しい感覚だった

すべてを手放し、解放され
自由になる魂

光の中でspiritのenergyを味わい
再た肉体に戻ってきた


じんわりあたたかさと優しさの
余韻にひたる



それにしても
あんなにも
感謝や慈しみが
あふれてくるなんて
ちょっと驚き


怖さはまったくなく
愛しかなかった
と思えた


人はみんな
たぶん自分が思ってるより
愛にあふれる存在で
豊かさにあふれてるんだな
たくさんのギフトを手にしているんだよね


信頼して生きていきたい



豊かなつながりと時間に感謝♡