娘はいまテスト週間
リビングで勉強している

今日は朝から現代国語の勉強

音読していた


「命は誰のものなのか」
〈柳澤桂子〉



娘の音読を聞きながら
涙が止まらなくなった




この本の6章です


''「この点滴を止めて下さい」
自殺幇助と安楽死
ただ生かされてしまう不安に対して''





私の祖父は大腸癌で亡くなった

大腸癌の術後

「痛い!!痛い!!
こんなに痛いなら殺してくれ!!」

病室で叫んでいたらしい



私の父が心肺停止から一命を取り留め

植物状態になるかもしれない
医師から話があった時

母は

「植物状態になってもいい。
死んで欲しくない。」

「居なくなってもらっては困る」

と言っていた



私の叔父がくも膜下出血で倒れ
植物状態になって入院していた時

いろんな機械や点滴の管に繋がれ
意思疎通はできない

そんな状態の叔父に対し

叔母は
「ここに居てくれるだけでいい」

と言っていた



母が肺がんの術後ずっと続いている
癌を進行させないための抗がん剤


母はすぐにでも止めたいと言っている


でも父や姉、私は
死んでほしくないから
抗がん剤続けて欲しい
とお願いする




「命は誰のものなのか」




医療が進歩していなかった時代では
病気の家族を家で看取ることができた

でもいまは発達した医療のおかげで
生きることが出来てしまう


治療をしている本人からすれば
思うようにいかない自分の体



私の術後病理の結果
抗がん剤をやるかやらないか
ギリギリのライン


医師達は
「念の為にやっておいた方がいい」
「標準治療だから」
と口を揃えて言った


私は出来ることなら
抗がん剤をやりたくなかった


回避できるならしたかった


でも家族が言った
抗がん剤やってほしい


家族が私に
「生きていて欲しい」
と望んでくれるから
頑張ろうと思った



「命はその人個人のものであろうか?」


''一人の人の命は多くの人々の心の中に
分配されて存在している。

分配された命は分配された人のものである''







考えさせられる内容です



皆さんはどう思いますか?