ザ・ノンフィクション『私のママが決めたこと〜命と向き合った家族の記録〜』 | 自死遺族の私が感じたこと日々あれこれ~誰ひとり取り残さない社会へ~

ザ・ノンフィクション『私のママが決めたこと〜命と向き合った家族の記録〜』




番組を見て、かなり時間が経過している。

なかなか整理が出来てなくて、支離滅裂かもしれないけど、ご容赦頂きたい。


安楽死については興味はあるが、センシティブな内容だけにどのように書いて良いかいつもとまどい、書くことをやめる、という事が何度もあった。


しかし、安楽死関連については以前から興味があり、本を読んだり、



番組をみたり、過去には随分と前になるが尊厳死協会



のイベントにも勉強に行った事もある。


そして、この番組もTVer史上一番の再生ということで、いかに社会からも高い関心を寄せられているか、ということがわかる。


あくまでも個人的な見解で感想を書く。


自死というのは遺族の中でも『尊厳死』なのだ、いう方もいる。


私は自死が尊厳死かどうかは、正直分からない。しかし、同じ死でも、自死と安楽死や尊厳死の違いは何だろうとよく考える。


番組を見ると、マユミさんは全身に転移したがんで苦しんでいた。家族は夫と思春期の娘さんが2人とネコ。


この選択に至った経緯には大変な苦悩があったことに違いない。ちょっと番組を見た私なんぞが、ああだ、こうだなんて軽々しくは言えない。


自分に置き換えて考えてみた。


私はいつも父に対して苦しんでもどんなにカッコ悪くてもいい、その姿を見せて欲しかった、生き抜いて欲しかった、と思う。


でも、私にそれが果たして出来るのか。


私には子どもも配偶者もいない。兄弟もいない。

家族は母だけだ。ありがたいことに親しくして頂き、支えてもらっている友人達はいる。


しかし、母が亡くなった後、もし、私が自死しなくとも、病に苦しみ、回復の見込みもない病になったとして、生きるその苦痛と、かさむ医療費に不安を抱えて生きていけるか、というと正直自信がない。


私も今年で51歳。


先輩方にはまだまだ若いといわれるが、父の自死した39歳を超えられるかどうか、が目標だったので、随分と年をとったものだ…と思う。39歳以降の人生のビジョンが全く無かった。


今は何とかかろうじて健康でいられているが、いつ病に侵されるか分からない。無理がたたって、急にガクッとくるかとしれない。また、病気や自死しないまでも災害や事故にあうかもしれない。こればかりは自分のことだけど、分からない。


そうなったら、生きる、ということに希望を果たして持てるのか?


健康で生きていても、ギリギリの綱渡りで大変なのに。若い頃ほど、気力も体力もない状況で耐えられるのか?


安楽死、という選択があれば、もしかしたら、自分も選択するかもしれない、なんて思う事も正直あるのだ。


こんな活動していて、皆さんに自死しないで欲しい、生きててくださいという立場の私がこんなことを書くべきではないかもしれない。


私も自分の最期を考える。

父の事があるから、私にとっては、自死だけでなく、死というのは人生のテーマである。


どう死にたいかはどう生きるか。

みないつか死ぬ。それは絶対だ。


ぴんぴんころり、が理想だけどそう思い通りにいかないのがまた人生である。


友人とも最期はどうしたいとか、そんな事を話す時もある。自分はこんな弱気な事を書いているが、大切な人には苦しんでても最後まで生きて欲しいと思う矛盾。


あとは私は家族の墓問題で苦しんだりもしたので、お墓なんかいらない、散骨でいいわ、とか。財産なんてのも無いし、むしろマイナスなのに、遺言を書いてみたこともあった。


保険って、お守りみたいなもの、だと言う。

使わないのが一番だけど、いざって時にあると安心みたいな。


安楽死がそのお守りみたいに思うのって、おかしいのだろうか。死ぬ時くらいは、自分の尊厳を守りたい、と思うだけなんだが。


うーん、だったら、生きている時から、自分の尊厳を大切にすればいいじゃない。


そうなんだ。

私は尊厳を持って生きたいし、死にたいのだ、

という結論に至る。


そして、自死は父なりに精一杯生きた最期のメッセージなんだ、ということも。



     関東はやっと梅雨入り。