【本】カナリアの歌:自分のからだを愛せない人へのメッセージ | 自死遺族の私が感じたこと日々あれこれ~誰ひとり取り残さない社会へ~

【本】カナリアの歌:自分のからだを愛せない人へのメッセージ




高校生の時、自分が異常に食べ物や体重にこだわるようになりなんだかこのこだわり方は異常だし、私はおかしいと思った。でもだからといってこんな事を誰かに相談できることも出来なかった。言って、あんたおかしいんじゃないの言われるのが怖かった。自分がおかしいのは十分分かっていたから。


そして、自分なりに調べて巡り合ったのが精神科医の斎藤学先生の本だった。摂食障害という病気がある事を知り自分もそうじゃないかと思った。そして、そこから摂食障害の自助グループにつながり、自分と同じように苦しんでいる仲間たちと出会った。そして、一人じゃないんだ、と安心した。


昔は母の作ったちゃんとした料理を食べると何故か太ると思い込んでいた。父の自死後も母はフルタイムで仕事をしながらも、私のお弁当も作ってくれていた。母はお店の出来合いのものやレトルトなどは身体に悪いといい、極力ご飯は手作りだった。朝食も朝から味噌汁を作ってくれていた。栄養も考えて身体に良いものばかりだった。


なのに、私は母のご飯を食べると太ると思い込み、出来るだけ拒否しお菓子やジャンクフードを食べたいと言った。そして、ご飯をたべず、お菓子ばかり食べて太った太ったと騒ぐ。そりゃ太るでしょ。私は過食嘔吐出来なかったので、下剤乱用をした。体重は一時的に減るが、それは水分が出ただけで、脂肪が落ちたわけでない。身体がおかしくなって当然だ。母の作ってくれた栄養のあるちゃんとした食事をしっかり食べる方が太らないのに。でも、当時は認知の歪みもあり、考え方がかなりおかしかった(今も認知の歪みはあると思うが)


摂食障害のグループにつながってから、そこから、アノニマス(匿名)で自分の思いを会報に書いたり、イベントなどで話させてもらえるようになった。そして、反応があると嬉しくてまた書いたり話したくなった。


その後、自死遺族のグループにもつながり自分で活動するように今に至る。


完璧な母への抵抗、私は母のようにはなれない。そして、自死した父への抵抗。私は父のようにはならない。


私は長らくこんな状態が続き、50歳にもなるのに、未だに二人の「娘」という立場にしがみついている。もういい加減自立しないと、と思うのだが、これがなかなか娘、という立場は苦しくもあるが、時には非常に甘美なものでもあるので、手放すのが難しいなとも思っている。


何度かの引越しでこの本ももうどこに行ったか分からなくなってしまった。読み直したかったけど、残念…昔はそれはそれは、色んなジャンルの本を沢山読んでいて、自室が本だらけだった。今は本だけじゃなくても、無料でネットで情報を入手できるけど、やっぱり本はいいな。