自分を中心に生きる | 自死遺族の私が感じたこと日々あれこれ~誰ひとり取り残さない社会へ~

自分を中心に生きる

子どもの頃から一人っ子だったせいなのか、いつも母と父の間で二人の機嫌を伺って、顔色を伺ってふらふらしている私だった。


そして、生まれた家は大家族で周りには大人ばかりだった。人の出入りも多く、私はいつも周囲の大人の顔色ばかりを伺っていた、とても大人しい子どもだった。


父の自死後はさらにそれが酷くなった。

父の自死で苦しむ母。父の自死で家族もみな苦しめた。


父の自死は私のせいじゃないのに、子どもだからかなんだか自分がこの原因を作ったように思い込んで、更に自分がこの状況を何とかしないと、両親の名誉を回復したいと思い必死だったのかもしれない。


自分の人生を考える前に、父の自死という大きな大きな渦に巻き込まれてしまったように思う。自分としては自分中心で動いているように思っていたが、実はそうで無かったり。ふとそんな事に愕然とする。そんなのがもう50歳になる今の今まで続いている。これはトラウマの再演なのか。しかし、モラトリアムにもほどがある。いつまでも何かにふらふらと誰かに振り回される、空っぽな自分にほとほと疲れてしまった。


父の自死後は、ずっとこの両親じゃなければ良かったのに、もっと違う人生があったはず。他のみんなが幸せそうで、本当に羨ましかった。悔しかった。私は生まれた家を間違えたんだ、なんて何度も思った。


そして、自分の人生が上手くいかないのを大変申し訳無いのだが、全部両親のせいにするようになった。だって、そうじゃないと苦しすぎて生きていられなかった。


もちろん親の事もあるかもしれないが、私の性格の問題もあるだろう。自分で言うのも何なんだが、正直とても変わっているとは思う。


今はこの社会で生きる為に必死で、自分を適応させるよう枠に押し込めて頑張ってはいるけど、大人しかった子どもの頃の反動か。我ながらとてもはちゃめちゃな人間だとは思う。それは多分、隠せてないだろうし(泣)何とかやれているのは、ひとえにみなさんの理解や優しさでしかない。そのお陰で何とかこの現世を生きられている。感謝でしかない。


そして、両親がいなければ「私」は生まれてこなかった。両親が違えばそれはもう「私」ではないのだ。


二人が私に「生」を与えてくれたのだ。


どんな親であれ、父なんて本当にろくでもない父親だけど、それでも私にとってはたった一人の父だ。


思い出したのは昔、母方の祖父が言ってくれた言葉だ。


当時、お墓問題で父方のお墓を老朽化だったかな?新しくするという話しになった。そこで立て直すには父の骨も入ってるので、母にも立て直しの負担をお願いしたいと言われたそうだった。


そこで、それをきっかけに父の骨を引き取る、引き取らないと言うことが私と母の間で勃発した。私は父方の墓に入ってる父がみんなに迷惑かけて、お墓の中でも肩身の狭い思いをしてるだろうから、私と母で父の骨を引き取りたいと主張した。


しかし、母は嫌だと(母の気持ちも分かる)そのことを祖父に母が話したら、祖父が母に「お前にとっては、隆広さん(父)は憎い旦那かもしれないが、まゆにとってはたった一人の父親だろうが」と。


それを聞いて母は、それはそうだなと思い直してくれて、父の骨を引き取ってくれて父のために立派なお墓を建ててくれた。母も辛かっただろうに、感謝しかない。


そして、私の気持ちを考えてくれた祖父の言葉がとても嬉しかった。母方の祖父にも父の事で沢山心配や迷惑をかけたのに。そんな祖父ももう随分前に亡くなった。じいちゃん、本当にいつまでもいつまでもふらふらしている、わがままな孫でごめんね。気づけば、私も父と同じでみんなに心配や迷惑ばかりかけてしまってる。


いい加減、人ではなく自分の気持ちを中心に生きたいと思うのだ。