自殺対策活動に思うこと
3月は自殺対策強化月間だ。
こういったキャンペーンを社会全体として取り組んでいる、というメッセージを伝えるのはとても重要だ。
昔はそんなものなんてなくて、自殺は個人の問題でしかなかった。
どんなに私達が辛い思いをしても、
「自死したお前の父親が全部悪いんだ」
もちろん、そんな事は直接言われる事はなかなかない。しなし、言葉にならないこういうメッセージを常に感じたものだった。そして私もそう思っていた。
ただ、前提として自殺は私はして欲しくないし、自殺対策活動はとても大切な事というのは私も思う。
だが、自殺対策活動、特に防止活動と自死遺族の間には乖離もある。何故なら遺族は「止めれなかった自分達を責められているよう」に感じるからだ。私もそうだ。
そんな風に相手は言ってるつもりは無いし、よかれ、と思っている事だ。しかし、立場や立ち位置が変わると見え方、感じ方がかわるのだ。
そして、罪悪感というのは本当に厄介だ。
サバイバーズギルト。
生き残ったものの苦しみ。
私だけが生きて幸せになっていいものか。
私が父を死に追いやったのか。
そして、私がみんなを不幸にしたのか。
それはずっと抱えて生きていくもので、原罪のようなもの。無くなるものではなく、むしろこの活動へ向かう原動力にもなっている。
ただ、この苦しみが強すぎて、自死の連鎖につながるのは悲しいことである。そこだけは避けたい。そして、この苦しさを少しでも和らげたい。
他の遺族の人には「生きてていいんだよ、幸せになっていいんですよ」と言えても自分にはなかなか言えないのは何故なのか?
この罪悪感を感じるのは私はそれだけ、父が大好きだったのだなと改めて思う。
もちろん、変わらないところもまだまだある。
苦しんでいる人達も沢山いらっしゃる。
だから安易に言うべきではないかもしれない。
しかし、社会は少しずつでも変わっている。
遺族として自分の感じたことを発信できるようになったこと。
その事について議論して、みんなで考えていこうと言えるようになる、その変化を少しでも感じて、父に報告できる事は私にとっては嬉しい事でもある。
新宿区からリーフレットを送って頂きました。
ありがとうございます。
こんなリーフレットを私達も作れたらいいのだけど…なかなか力及ばず。
その分、沢山の行政の方達が頑張って下さっていることを心強く思う。