【研修】多様なルーツを持つ子どもたちとの関わり方
8月5日にあしながレインボーハウスさん主催の
子どものグリーフサポートファシリテーターのフォローアップzoomでの研修に参加しました。
講師は社会学者の下地ローレンス吉孝さんです。
があります。ご自身もハーフの下地さん。
子どもグリーフサポートのファシリテーターとして参加する中で色んなルーツを持つ子ども達と接する機会が増えてきました。
どのように接すれば良いのか?と、悩む事がありました。その為この研修はとても楽しみにしておりました。
こちらが良かれ、と思ったり仲良くなりたい、と思っていて発する言葉。
例えば、背が高い子がスポーツをしていない事に対して「もったいない」…
「何人なの?」「いや、私は日本人ですけど」。
見た目で分かりやすいこともあり、ご本人はもう言われ慣れていて、日々の事でうんざりする。
下地さんはこれを「蚊にさされる事をイメージして下さい」と言われました。一歩外に出ると、日に何回も蚊にさされる。これが毎日続くのです、と。
そして、やっとの想いでこの人この場であれば分かってもらえるんじゃないかと辿りついた場でも、同じようなことが起きる。絶望して自死したくなったという方の体験談を事例として聞きました。結局はその方は日本を離れて留学されたそうです。
こういうのってありますよね…
私もありました。
やっとの思いで辿りついた先で絶望感を感じると、「もうあきらめろってこと?」「これはもう私に死ねって言ってるのかな?」私も何度もそう感じたことはありました。
しかし、私は逆にある日突然吹っ切れました。もう、いいやと。人に期待したり、何とかしてもらうよりは、私が変わろうと。そして、その決断を理解して、それをサポートしてくれた人たち沢山いました。ありがたいですが、それもたまたまで、もし、それがなかったら、私はどうなっていたか…ぞっとします。
いつも、たまたま。運が良かっただけ。
そんなギリギリのところです。
その後、研修では多様なルーツを持ち親を亡くした当事者の方がご自身の経験を話して下さいました。
多様なルーツを持つ子どもは片方の親を失う事でその親のルーツまで完全に失ってしまうこともある。
例えば私であれば、父方との親族との繋がりが完全に無くなる事は無かったものの、今まで住んでいた家から離れる。父を失った喪失と同時に住環境ががらっと変わったり家族の関係性の変化など、喪失の連続でした。多様なルーツがある子ども達はそれに加えて国籍や言語の問題などもあるとのこと。
しんどさを比べるものではないけれど…大変だなあと感じました。
あと、マイクロアグレッションという言葉を初めて聞きました。これは「自覚なき差別」というものです。
無意識の差別、というのは誰でもあるものです。私にももちろんあります。今まで育ってきた環境生育歴で持ってくるものです。
無意識だからこそ、気がつきにくい。
私も人を無意識で何らかの差別、自分のファクターで人をジャッジしているという前提で言動には気をつけねば、と思っています。
私の当たり前と正義が、それ以外の人の絶対ではない。人それぞれ、千差万別です。
いつも言ってますが、私は自死遺族として活動はしていますが、それが私の全てではない、ほんの一部でしかない。活動の場で会う人と職場で会う人、プライベート、友達、親族。それぞれ見せる違う顔があります。私は色んな私で出来ている。
でも、自死遺族として生きてきた私の方が長いので、その部分が大きくなっているのは感じます。でも、そうではないんだよ。と、自分自身にも言い聞かせています。
あと差別、と言われるものは必ずしも、悪意からくるものばかりではないものもあるように感じます。
例えば自死に対して無くしたい、防ぎたいと思う気持ちは皆同じです。自死をしてはいけない、悪い事だと訴える。でも、その後ろには遺族がいる。防げなかったのは私たちのせいなのか?
そんなに悪い事をしてのか?と声を上げられず苦しむ人たちもいる。
あの人と仲良くなりたいと思うが、どのように接していいか分からない。何とか関わりを持ちたいと思って放った言葉が相手を傷つけてしまった。
一体、どうしたらいいんでしょうか?
下地さんも仰っていましたが、結局は一人一人その人自身を見て、丁寧にコミュニケーションを取るしかない。どうして欲しいのか?相手との距離を見ながら関わっていくしかない。埋めていくしかない。と私も思います。
自分も含めてですが、人は分かりやすいもの、今までの人生で経験した自分が理解できる範囲内で何とか情報や出来事を処理しようとして自分の枠内に納めようとしてしまうのではないでしょうか?
だからこそ、「知る」ことや「教育」は大事だと改めて感じました。
下地さん、当事者の方、参加者のみなさん、スタッフのみなさんありがとうございました。