チャレンジし続けたい | 自死遺族の私が感じたこと日々あれこれ~誰ひとり取り残さない社会へ~

チャレンジし続けたい

ブログを書いていて思う事。


なんだか同じようなことをぐるぐると書いているな~・・・ということ。

いや、そう思っていても、それでも過去の記事を読み直していると

少しづつ変化もあるからほっと安心してみたり。


友人や知人がこのブログを読んでいてくれるというのも励みでもあり

恥ずかしくもあり。

11月で私は40歳なのだが、

いよいよ父の自殺した年齢を超えてしまうなあということ。

来月は父の27回目の命日でもある。


先日のブログで父と自分をどうしても重ねてしまって苦しかった

ということを書いたのだけど

国政選挙を通じて自分は父と違うのだなあと強く感じたといっても

そうそう簡単には切り離せないし、多分切り離したくないのだろう。


私だけではなく、みなさん色んな人生の苦しみを抱えていらっしゃるとは思うけど

私の人生のテーマは「父」と「自殺」ってことなんだろうなあと。


こだわりが強く自分を大事にするあまり

ついつい考えすぎてしまい

どうしても前に進むことが出来ないのが

私の短所でもある。


選挙ってのは本当に私にとって、

社会とか現実をたくさん感じさせてもらったというか。

頑固者でなかなか納得しないと進めない

私のこだわりを捨てるにはとても良かった。


出会う人に「よく決断できたね」と言われるのだが

全く迷いがなく自分でも驚くほど簡単に決断できた。


大変なことは分かっていたし、

周囲には心配かけるだろう迷惑かけるだろうとわかっていた。


選挙で起こりうる大変なことは全て引き受けよう。

覚悟を決めた。

驚くほど心は平穏だった。


多分、本当に欲しいものが来たとときいうのは

そんなもので「これだ」と直感で分かるし

全くブレないものなんだと思う。


選挙の話が来る直前に活動で

「大きなものに巻き込まれることを覚悟しないといけない日がいつかくるだろう」

と思っていた。


自分の伝えたいことにあまりにもこだわりすぎていても

広がらないこともたくさんある。


そして人はよっほど興味関心がないと

そのことについて考えないものである。


私の活動テーマは楽しいものでもないし

あえて考えたくないから蓋をして置きざりにされているわけで。


それについて関心を持ってもらうためには

自分のこだわりをかなり捨てる必要がある。


活動をしている人にはそれぞれの考えがあるから

私の考えがもちろん、一概に正しいとは言えない。


私はただ、この活動をはじめるきっかけが

ある方の「自死遺族への差別偏見がある、ということを知らなかった」

という言葉に衝撃を受けたことだった。


なので、何はともあれ

まず「知って」もらうことを一番の重きを置いている。


最近思うのは

知らないうちに自分がいる世界が全てになり、当たり前になり

フェイスブックやネットで流れてくる情報が全てになってしまい

普段使っている言葉が実は知らず知らずのうちに専門用語だったり

(恥ずかしながら「当事者」という言葉も専門用語だったということを選挙を通じて知った)


生意気ながら、年齢を重ね経験を重ねてくるとだんだん

自分のいる世界が当たり前になり

それ以外の世界が「おかしい」と感じるようになり

そうやって社会と自分の乖離が出来たりすることだけは

怖いし避けたいと思っている。


先日ひさびさに活動初期に通っていた

自由大学に行って余計そう思ったのかもしれない。


こだわりも強く頑固なわりには

私は自分のいる場所に安定安住してしまうのがどうも苦手というか

すぐに外向きに気持が行ってしまい

周囲からは「何故あえて大変な方向に・・・」

ということがたびたびある。


それは昔からの性分で、

父の自殺が起こる子どもの頃から

「この町から出たい」と強く思っていた。


あの町にいれば苦しいながらも守られていてある意味

安心安定なところもあっただろうに。

どうも何となく先が見えると動きたくなるというか。


そんな人の性分ってものはそう変わるものではなく

ここまでくると父の自殺があろうとなかろうと

私はこういう性格なのだろうなあ、とも思ったりもする。


何について書いているのか分からなくなったのだが

これからも新しい世界に飛び込んだり新しい人たちと交流することに

臆することなく、チャレンジ精神を失くしたくない、と思うのである。