田舎から見たらわざわざ時間かけてでも行ってみたい施設がわんさかあって…。
日本中の料理と世界中の料理が食べれるし、
動物園も水族館も何でもあるし…。
東京に住んでるってことは、
ディズニーランドに住んでるってことなんかな。
夢を買うにはお金が要るってことも含めて(笑)。
でも…
だから帰ったらも少し、頑張ろ。
夢は必ず叶うと、信じるだけならタダやしね(^-^)
あんまり長いんで記事分割してみました。
educationという英語についての話です。こちらの記事 からの続きです。
e/duc/at/ion ・・・分け方はちょっと難しいんだけどとりあえず。
まずはe。
これはex-の略です。
export(輸出)、express(表現する)、extend(拡張する)など。
ちょっとここで、この3つの単語に共通するイメージを繋げてみて!
Don't think! Feel! 考えるんじゃなくて、感じてみてね。
・・・何か感じれたかな?
ex-というのは「外へ」という意味合いの言葉。
exportはもともと「外へ運ぶ」、
expressは(中にあるものを)「外へ押し出す」、
extendは「外へ伸ばす」という意味合いを持った言葉なの。
「翻訳」っていうのはその単語のイメージに近い日本語を便宜的に当てはめているだけで、
決してただのイコールじゃないのよ!
だから暗記ばかりしてたって絶対英語なんかできるようになるはずないの。
英語を学ぶなら、リラックスして、ただ英語のイメージの世界を感じればいいだけ(^-^)。
ちなみにex-の反対語はin-。
import(中へ運ぶ)、impress(中へ押し出す)、intend(中へ伸ばす)
さあどんなイメージの言葉ですか?
イメージができたら、辞書を開いてみてね。
さてさて話が戻って、次はduc。
duceの略です。duceは「導き出す」の意味。
produce(前に+導き出す→生産する)、
introduce(仲間内の中に+導き出す→紹介する)、
reduce(後ろに+導き出す→減らす)
こんなイメージの単語の仲間がいます。
次はat・・・これはate、「~させる」というイメージの言葉です。
graduateなら grade(段階を踏ませる→卒業する)とか
collaborateなら co+labor(一緒に労働する→共同制作する)とか
humiliateなら humble(謙虚・卑屈にさせる→恥をかかせる)とか・・・
関係ないけど『O.C.』とか『gossip girl』とかのアメリカドラマで
You humiliated me!(よくも恥をかかせてくれたわね!)
ってセリフがちょこちょこ出てくるのでこの単語覚えたよ(笑)。
学校で習わないけどアメドラ頻出な単語って結構あるんだよなー。
ところで話が変わるようだけど、
animation(アニメーション)とanimal(アニマル)って似てるなーって思ったことある?
アニメと動物が何で似てるんだろ?
ちょっと考えてみようか?
こういう時、語源を探ってみる、という方法があります。
animalはラテン語のanima(魂、息、命)から来ています。
昔の人達は、人間も含め動物は呼吸する度に魂が出入りすると考えていたんだって。
なので、animalというのはもともと「呼吸する者」という意味。
で、animation=animateの名詞形なので、
animate=anim+ateで「魂を持ったものにさせる」「呼吸させる」ということ、
もっとナチュラルに訳すと
「魂を込める」とか「息を吹き込む」みたいな意味になるかと思います。
あ、先に説明しちゃった。
最後の-tionはよく見るよね、
communication(コミュニケーション)とか
navigation(ナビゲーション)とか
solution(ソリューション)とか、
「~する」っていう意味の言葉(動詞)の最後にくっつけて
「~すること」っていう意味の言葉(名詞)にしちゃう便利なヤツです。
solve+tionでソリューション。解決、ってことです。
関係ないけどビジネス用語でソリューションとか無駄に言ってるの、
私はあんまり好きじゃないです。。
普通に日本語で言えよって思う(笑)。
さてさてあまりにも長くて何の話かわからなくなってきたけど、
以上のことを踏まえて
educationをもっかい整理してみよう!・・・覚えてたかなみんな(笑)?
e(外に)duc(出す)at(させる)ion(こと)
↓
「外に出させること」
何を?
人の中にあるもの、だよね。
人の中にあるものを外に出させてあげること、
人の才能や能力を引き出して発揮させてあげること、
それがeducationなのだ!
どう?日本の「教育」とのイメージの違い。
日本語の「教育」って親とか先生が主役で子供達を「何者かにしてやる」ものだけど、
英語でeducationって考えると、
人間って実は初めから「何者か」であって、
それを外に見える形にしてあげるように周りがサポートするのが
本当の教育ってことなのかな、と思う。
先日ちょっととある人に会って
短い時間の間にボロクソ言われてひどく凹んでたmipolingです、こんにちは。
でも凹んでたんだけどちょっと思い直したら、
そのボロクソ言った人のあまりの見当違いっぷりにちょっと呆れてきた。
最近東大の色んな卒業生と出逢う機会が増えたんだけど、
「東大」って一口に言っても本当に色んな人がいる。
自分が頭良いことを鼻にかけて平気で周りを馬鹿にする人もいるし、
「東大」だと周りに見られるに恥じない生き方をしようと日々努力する人もいる。
どちらにしてもじっくり付き合ってよくよく話をしてみなければ
その人の本質はわからないし決め付けるべきでもないと思うんだけど、
頭が良いことで無駄に自信を持っていると
人の持っている肩書だけで人を判断してしまい、
それがまた頭良いだけに中途半端に当たってるもんだから、
自分の目の前の人が本当はどういう人なのか深く知ろうともせずに
知った気になっている、ということも多いのではないかと思う。
・・・ま、これが所謂養老孟司さんの言うところの「バカの壁」なんだと思うけど。
(気を付けよう~!)
でもってそのやり方で大きな挫折もなく出世とかしちゃった場合、
当然反省することもなく夜郎自大ワールドを広げて
「俺の成功を見習え」的な恥ずかしいビジネス書を出しちゃったりするのかな、と推測する(苦笑)。
そういう人達も結局社会で一定の評価を得ていること自体は尊敬するし、
色んな人がいて世の中がある訳だから、
そういう人を見て自分がどうありたいかを考える材料にすればいいと思うんだ。
その人は私に一応好意は持っていてくれているようだし、
協力してくれるとも言ってくれたの。
だけど私が嬉しい気持ちになれなかったのは、
その人の言い方が
「お前は何者でもないから俺が何者かにしてやる」的な話法だったから。
この話法って、実はすごーく色んなところに蔓延ってるんだよね。
まずは親子関係でもそう。
「子供は未熟で何もわかっていないからしつけないと」と言って叱る親。
「あなたのことはママが一番よくわかっているのよ」と言って子供の人生を決める親。
学校でもそうだよね。
「お前らはまだ子供なんだから先生の言うことを聞きなさい」。
わからないことを質問しても「それはそういうものだから覚えろ」。
「宿題をやれ」「スカートを短くするな」子供はいつもやらされる側、試される側。
体罰も結局、教える側が気に入る形に生徒を矯正する手段ってこと。
社会に出たって新入社員に発言権なんて無い。
社員教育で誰もが言われるのは
「お前らはまだ一人前じゃないんだから黙って言われる通りにやればいいんだ」。
知識や知恵は人間の外側にあって、
それを手に入れていない人間は未熟で野蛮で尊重されるに値しない、
だから教育して何者かにしてやる。
そういう考え方が日本の教育には蔓延している気がする。
だけどね、教育ってそんなものじゃないんだよ!!
ここで一つ、英語のお勉強。
「教育」は英語で何て言うかな?
education。エデュケーションですな。
さて皆さん、英単語って実は分解できるって知ってますか?
日本語で言うと漢字の部首とつくりみたいに、
小さな部分の集合で出来てる単語もいっぱいあるんだよー。
・・・というところで、
書いてたら異常に長くなってしまったので
とりあえずここで一度アップしまーす。
子育てを普段一人でしていると、
時々不安に襲われることがある。
子供達を一人でちゃんと見られるだろうか?っていう怖さは
正直常にある。
だけど、子供達を見ていてふと思った。
この子達の方がきっと何倍も不安なんだと。
私は一人で街を歩いてもそうそう簡単に死んだりしない。
どう歩けばいいか知ってるから。
だけどこの子達は私に見放されたら家の中でだって
無事で生きていけるかどうかわからない
(もちろん私は絶対に見捨てたりしないけど)。
そんな中で健気に一生懸命笑って泣いて遊んで生きてるんだな・・・。
l子供達は私よりも不安なはずなのに、
私よりもずっとたくさん笑ってる。
ボロボロに汚れたクレヨンの箱を、
まるで宝箱を見付けたみたいに大喜びで何度も抱きしめて、
私の鞄からひっぱり出したタオルを頭にかぶって
何度もいないいないばあをして・・・。
私も、不安を抱えたままでもいいから、
もう少し勇気を出して、たくさん笑って毎日を過ごしたい。
この子達と一緒なら、きっと大丈夫だと信じて。
最近ちょっと考えてしまう。
何となく無意識に綺麗なこととか言い方とか並べようとし過ぎたかなぁ・・・
人を傷付けるような不用意な表現をしたくないとか思いつつ、
本当の心の底のドロドロとした本音をうまく表現する道を
見出す努力をするのもいいかなぁ・・・
だって私、そんな綺麗な人間じゃないもん・・・。
昔は布おむつしかなかったけれど、今は紙おむつもある。
洗濯乾燥機も食器洗い機も発明されて、家事の負担は格段に減った。
外に行けばおむつ替えシートの用意されたトイレも増えた。
それで子育てが大変なんて、甘ったれるな。
・・・という言説を時折目にする。
でも敢えて言おう。
そういう作業的なものは、子育ての大変さの本質ではない。
だからそこがどれだけ楽になろうと、子育てが大変じゃなくなることなどないのだ。
では子育ての大変さの本質とは何か?
誰かの命と人生に責任を持つことの重さ、だと私は思う。
この小さな命に対して、絶対に失敗の許されない責任を負っている。
うっかり死なせる訳にいかないんだもの。
怖いよ。
それが当たり前。
「母親とはこうするもの」というのがガッチリ決められていて、
それを疑いもなく実行しすれば
「自分はいい母親だ」と思い込めた時代もあったんだろう。
そんなふうに思い込めればラクだろうし、
育児が大変なんて思わずに済むだろう。
そして「育児がラク」と感じている自分を誇ることもできる。
だけど、そんな母親に育てられた子供達はどうなる?
子育てが大変、という声を挙げる人が近年増えたように思う。
それは、甘えでもわがままでもない。
子育ての怖さに向き合って、素直に不安を口にする人が増えただけだ。
自動車が人を轢き殺しかねない道具であることを常に忘れてはならないのと同じで、
子育てがラクだなんて間違っても思い上がっちゃいけない。
そういうものなんだと思う。
育つ主役はあくまで子供。
正解は子供の中にしかない。
親にできるのはただ粛々とその答えを問い続けることだけだ。
あなたのことは私が一番良く知っている。
・・・なんてことを抜かす親になったらオシマイよ(笑)。