プレッシャーを感じたら、
それは自分を小さく見積もり過ぎているサインだと思えばいい。

あなたが自分を小さく見積もってるのも、
外の問題とかを大きく見積もってるのも、
どっちもたぶん本当じゃないですよ。



これ…後からまた思い出してじわじわと安心をくれる言葉なんだろうな、という予感。

今日、この人と話せてほんと良かった。
自分の子供達との関係を大切にしてごらん。
それが、自分の親との関係の清算に繋がっていくから。



自分が親にされたひどい仕打ちを
自分の子供達には絶対にさせたくないと思って
ずっと気張ってきたけど、
そうじゃなくて、
ただ目の前の子供達を精一杯大事にして一生懸命関係を築いていけばいいんだ、って
今日久し振りに会った人に気付かせてもらいました。
感謝です。

アルバム・・・1773枚

曲・・・16559曲


思ったほど多くはないしまだまだ勉強しなきゃ!って感じだけど、

単純にこれ全部CDで持ってたらすごいかさ張るよな。

昔CD500枚くらい持ってた時は壁一面CDの棚だった気がする。

文明の利器はありがたい!

アルバムはとりあえず目標2000枚にしよう。

ま、今入ってるのも全部ちゃんと聴いてる訳じゃないので

どんどん聴いていこう。


ちなみにおいらはジャズ好きなのに意外とデータが少ない。

・・・あれ?と思ったら

黒くて大きいアレ、で持ってました。

あと、学生時代からジャズは基本、飲み屋で聴くもの、でした(笑)。

ああまた下北沢のバーに行きたい。


最近渋谷TSUTAYAでごっそりレンタル→郵送返却という便利な技ができるので、

マニアックなマイナーなやつとかもどんどん借りに行こうかと思っており。


そしてもうすぐ『レ・ミゼラブル』のサウンドトラック完全版も発売されるわけで

これは買わなきゃなんて思ったりもしており。


音楽にお金、かけ過ぎかなー。


植田景子先生でオペラ『アンドレア・シェニエ』のミュージカル化ですか。
これは楽しみ。

植田景子先生は『LAST PARTY』でとても感動したので期待してしまいます。
物書きとしての崇高な誇りを感じた。
もう一度見たいと思わせる素晴らしい作品でした。
ゆうひさんの演技も凄く良いものが引き出されていたと思う。
今度はまゆさんが植田先生に鍛えられて脱皮するのが楽しみだ!!


そして『アンドレア・シェニエ』という作品も、
私は個人的にちょっとご縁があって。
私の人生の中でも特に衝撃的だった音楽との出逢いの一つが
ホセ・クーラというテノール歌手の生の舞台を見たことで、
それ以来の大ファンなのです。
で、アンドレアは彼の得意とする演目でDVDにもなってるの。
これはDVD買って見る口実ができた(笑)。
嵐の大野くんが取材するウォルト・ディズニーの軌跡という番組を半年ほど前に録画してたのを
ようやく消化できました。

面白かった。

ウォルト・ディズニーと言えば夢とか想像力とかそういう方向のイメージが強かったんだけど、
それを実現するための技術開発の重要性をよくわかっていた人、
という意味では
アーティストであると同時に非常にアルチザン(職人)的な人だったのだな、というのが興味深かったです。

良い意味で、作品作りに変な精神論を持ち込まなかったのが勝因の一つなのかな、と。

話が飛ぶけど最近ニュースでWBCのことをやってて、
相変わらず日本のスポーツニュースは精神論しか言わねえなぁ(--;)と呆れてたところだったので
余計にそう思ったのかも。

あと、自分のビジョンを実現させるために、
まず先行して
アニメーターなどのスタッフに対して
快適な労働環境とか資材とかを惜しみなく提供しているのも非常に興味深い。

一つのアニメを作るのに当たり、
その世界をそのまま実物で再現してみて
そのセットの中でイメージを膨らませられるようにするとか、
そこまでするか?!とびっくりした。

そこまで与えておいて、
クリエーター達に妥協のない仕事を要求する。
良くできたシステムだと思います。

世の中には社員に何も与えないでおいて結果ばかりねだるしょうもない社長とか上司とか多いけどね。
親子でもそうか。
子供に対して何か結果を要求するなら、
まず自分がどれだけのもの(情報とかも含めて)を与えているか
考え直すといいのかも、と反省しました。

ま、でもそれはともかく…
やっぱり夢を持つっていいなって思ったよ。
現実は必ずしも甘いものじゃないけど、
それでもやっぱり、恐れや悲観で全ての未来を塗り潰してしまうのはね。
少しだけ勇気を持って明るい未来を思い描き続ければ、
まぁ何とかなるかもね。

ウォルト・ディズニー、よく知らなかったけど勉強になりました!
同じ映画を見ても、見る自分は毎回変わる。

今回はたぶん、泣きに行きました。

そして、ジャヴェールが見てて辛くてすごい泣いてしまった。


たくさん泣いたら、ちょっとすっきりしたかな。
もはや心のセーフティネット(笑)。


「何者でもないこと」を一人一人が心の底から愛せたら、
世界はきっと変わるんだろうな、
なんて思う寒い夜でした。
私達は目に映る光をそのまま理解することはできない。
その光にどんな意味があるのか理解するのは目ではなく脳の役割だ。

私達の脳の中には編集部があって、
その編集部が発行する新聞を日々読んで
それを「自分自身そのもの」として錯覚しているだけだと
脳科学の本で読んだ。


私達が今感じている以上に本当は色んな自分や色んな記憶があって、
意外と忘れてるもんだな、と今日ふと気付く瞬間が何度かあった。

パソコンで久し振りに写真を見返して、
私は長女の離乳食を食べる姿をすっかり忘れていたし、
その時私がどんな顔をしていたかも知らなかった。
学生時代に通ったピエトロズ・パスタの「絶望スパゲティ」というユニークな看板メニューの名前や、
落ち込んだ時によく食べたスパゲティグラタンの味も忘れていた。
中学生の頃リチャード・マークスをよく口ずさんでいたことも
たった今ドトールの店内放送でやっと思い出した。

私の中には私自身も忘れ果てている素敵な宝物がたくさんあるのに、
私はどうして今の悲しみに浸って大事なものを忘れてしまうのだろう?


頭の中の編集部さん、
少し編集方針を変えてみませんか?
新しい風を入れようよ。
もう、春だよ。
ガチガチのルーティーンな編集の仕方を少し変えて、
編集会議の端っこで小さくなっている
「幸せ収集担当」ちゃんに、もう少し仕事を振ってあげたら?
「危機管理担当」とか「悲しみ担当」「真面目担当」が怖いワンマン上司で
仕事を全部背負い込んで常にオーバーワークしてちゃ、
他の編集者ちゃん達が可哀想よ。

「能天気担当」「のんびり担当」、良い編集者はいっぱいいるでしょ?
経験はなくても、仕事を振ればきっと育つはず。
「悲しみ」も「真面目」もちょっと手出ししないで引っ込んでなよ。

今日もすごく悲しい気持ちに溺れそうな時に
自然とチャップリンの『smile』を口ずさんでた私の中の音楽担当ちゃんはかなり優秀よ(^-^)。
そういう私のことが、私はやっぱり大好きだ。

だから…今日はとにかく、笑えればいい。

…ウルフルズ好きなのも忘れてたよ。

とにかく今、今日、元気で笑えればいい。
明日の心配は明日すればいい。
きっと何とかなる。


なーんてね。


帰ったら宝塚の録画でも見ようかな(^-^)。
面白かったー!
あのクマ欲しい。
映画館出ておもちゃ屋さん行って
でっかいぬいぐるみ即買いする勢いだったよ(^-^;)。


うつは落ち着いているような気もするけど、
依然として不安感は結構ある。
変な考えが浮かんでは消えて、
何とか変な考えに引っ張られないように持ちこたえてるような状態。
やっぱり医者にかかった方がいいかな。
その前にまた『レ・ミゼラブル』でも見てすっきり泣いてくるかな。
何か…泣く理由を探してるような状態。
疲れてるだけかな?

…やっぱりぬいぐるみ買うかな。
うちには時々お客さんが来る。
外食もいいけど
うちに来て頂けたら子供達も自由に振る舞えるし
色んな意味で気が楽だ。
それと、東京で一人暮らししていると
普通のお味噌汁とか家庭料理を食べる機会が意外と少ないのを
私自身ずっと寂しく思っていたので
たまには普通の家で普通の食事をしてもらうのも悪くないかな、なんていう
余計なお世話な発想(笑)。

そんな訳で仲良くなった人にはちょこちょこうちに遊びに来て頂いている。


今日も一人お友達が来ることになっていたので、
午前中に昼御飯の支度をしながらふと思った。

もしその友達が今日久し振りに実家に帰ることになっていたとしたら、
友達のお母さんはきっと同じことをするだろうな、と。
友達のお母さんと同じ気持ちで私がごはんを作ってそれを出してあげられたら、
友達はちょっとだけ実家に帰ったような気持ちになれるかな。
なれるといいな、と。
そういう気持ちを友達に対して持てた時点で、
その友達はもう、家族なのかもしれない。


愛のある思いを伝え合って、
一緒に幸せな時間を過ごせたら、
また会いたい人にお互いがなれたら、
それはきっともう、家族ってことなんだと思う。
近くにいても、離れててもね。


心から大好きで、大事にしたいと思って、
でもどんなに愛しても幸せになってくれない相手もいる。
そういう人とは離れればいい。
愛されたかった思いは残るけど、
その人が愛してくれなくても、
世の中にちょっとずつ愛してくれる人はたくさんいる。
だからもう寂しくなんかないよ。

ここのブログでも、
心が触れ合って大切に思えたらもうある意味家族なんだと思うよ。
私にできることは限られてるかもしれないけど、
それでもね、
あなたのことを家族みたいに思ってるよ、って思いをちょっとでも伝えてくれる人がいたら、
ちょっとだけ、寂しくなくならない?
それであなたがちょっとでも寂しくなくなるなら、
私は何度でもそう言うよ。


…宗教っぽいかもしれないしビョーキっぽいかもしれない言い草だと自分でも多少思うんだけどさ、
そうやって、
みんなが誰かのことをちょっとだけ家族みたいに思って接することができたら
素敵かもしれないな。

私達はしばしば
自分が愛されたかった人の代わりを探してしまうけど、
今自分のそばにいる人に対して、
その人をそばで愛したかった人の代わりになってあげられたら、って気持ちで
接することができたらいいのかな、と思う。

親は先に死ぬし、
恋人とは別れることもあるし、
誰かを一生そばで愛し続けることはなかなかできない。
だからこそ人は愛に誓いや証を求めてしまうのかもしれない。
愛を強く求めるがゆえに苦しむことも多い。

でもたった一つの完璧な愛はどこに行っても手に入らないかもしれないけど、
小さな愛をたくさんたくさん集めたら無限の愛になるかもよ?


そうやって生きていけたらいいな…なんてふと思ったのでした。


ちなみにお客さんが来て私は本当に楽しかったし、
子供達もめちゃくちゃなついて、よっぽど楽しかったらしい。
今日はお客さんに子育てして頂いちゃいました(笑)!
ありがたい!
色んな人に色んな可愛がり方をしてもらえるうちの娘達は
きっと幸せなんじゃないかと思う。


まぁそんな訳で…今日は疲れた!眠いっす!