いきなりの冷え込みにやられてまた風邪を引いた。
体が熱くて頭が重くて動けない。
多少体調を崩してもいつもは家事育児に追われてるうちに治ってしまうのだけど、
今回はダメだった。
「お母さん少し寝てくるね」と娘達に言ってベッドに横になった。
夕方、長女が「おなかすいた」と言う。
「ごめんね、お母さん動けないの、もうちょっと待って」と私が言うと、
「じゃあわたしがなっとごはんつくるね」と言って
長女は台所へ向かった。
しばらくして長女がまたベッドにやってきた。
「おかあさん、おさらのところにおててがとどかないからとって」。
うちのお皿の戸棚は全部高いところにあるから確かに無理だよな。
私がふらふらしながら台所へ行くと、
長女の混ぜた納豆が台の上にあった。
「これ、じぶんでまぜまぜしたんだよ!」
長女は誇らしげだった。
彼女はタレの袋を開けた時に台に少し飛び散ってしまったのを気にしてたけど、
そんなの全然いいよ、と私は言った。
「自分で冷蔵庫から出して、自分で開けて自分でまぜまぜできたんだ。偉いね。」
ひとしきり誉めた後、私は長女に言われたとおり小さなお茶碗を2つ出した。
「おかあさんのは?」
「お母さんはお腹空いてないから大丈夫だよ」
「そっか」。
長女は炊飯器の開け方を私に訊いた。
「ここをおすんだよ」。
彼女は炊飯器を自分で開けてから
横にあったしゃもじを手に取った。
背伸びをして炊飯器を覗き込みながらうんしょ、うんしょ、とやっている。
「こうやって、かゆいかゆい、みたいにやってからお茶碗にぽんってやるといいよ」
私は力を入れずにごはんをよそう方法を教えた。
「かゆい、かゆい。ぽん!できた!」
長女は嬉しそうに笑った。
ごはんの上に、先に混ぜておいた納豆をそうっと慎重に乗せて、
「できた!」
妹の分もしっかり用意し、
スプーンも自分で引き出しから出して、
長女の作ったお夕飯が完成した。
長女は少し誇らしげな澄まし顔で、
次女はいつも通りのニコニコ笑顔で
なっとごはんを貪るように食べた。
何もできないと思っていた長女が自分でごはんを用意できるようになったんだ…。
私は子育てしていて初めて、
子供に何かをしてあげられる時間って何て短いんだろう、と感じた。
果てしなく続くように思えていた、時に苦行のような子育ての道のりは、
思ったよりずっとあっけなく終わってしまうのかもしれない。
長女の成長への嬉しさと同時に、言い様のない寂しさがこみ上げてきた。
一緒にいられるわずかな時間、
私が子供達にしてあげられることなんか本当にわずかなのかもしれない。
子供達はいつの間にか一人で自分に必要なものを手に入れて
あっという間に飛び去ってしまう。
親の役割なんて、親が思っているよりずっとちっぽけなものなんだろう。
私はただ、気負わないで、子供の邪魔をしないで、
傍にいるよ、見捨てないよ、と伝え続けることができるだろうか。
長女は4歳。
ちょっとしたことでヘソを曲げたりするので相手をするのはなかなか大変で、
ここのところ随分手こずっていたけれど、
そんなこともあっという間に思い出話になるんだろうか。
…などとしみじみ思いを巡らせた夜だった。
きちんと聴いたことがなかったので
30分番組を丸々ちゃんと見てみました。
感想は…音程を外さない浜崎あゆみという感じでしょうか。
歌詞を書くに当たって企画書を出すとか
意外と優等生っぽいところも見られて面白かったですが、
個人的にこの子の歌い方がピンときませんでした。
マイクにきっちり入りやすい感じの声質と発声なので、
カラオケで安定して90点以上を叩き出すタイプの歌い方だという意味では
技術的には決して下手ではないんですが…。
「歌心」が私には感じられなかったです。
自分で書いた詞の意味を理解して感じながら歌っているようには聞こえない。
言葉は何かしらの感情のトリガーだったりするものです。
例えば彼女の歌詞で代表的に揶揄されている
「会いたくて会いたくて震える」とか一つ取っても、
誰にどんなふうに会いたい気持ちになって、
どんな場所でどんな服で震えるのか、
細かいところまで実感の伴った歌詞ならば
歌っているときに彼女自身の感情が言葉に反応して
声にも表れると思うんだけど、
彼女の歌からは残念ながらそういうものが感じられない。
他人の作った曲を機械的に歌っているような感じがしました。
あくまで私の感覚ですが。
こういう機械的な歌に共感が集まるということは、
聴く側にそれだけ圧し殺された感情があるのか、
自分のことを他人事のように感じてしまうような人が多いのか。
少々考えさせられます。
まぁアーティストみんながみんな宇多田ヒカルみたいに生々しい感情を生々しく歌う必要はないし
色んなアーティストがいていいとは思うんだけど、
単純に、浜崎あゆみが西野カナに取って代わられたように
同じような路線で後に続くタイプはひしめいていると思うので、
飽きられないうちに歌心を磨いたらどうだろうと
老婆心として思いました。
音楽業界は凋落が激しいけれど、
心からの音楽は必ず人の心に響き続けると思うので、
今活躍しているアーティストさんには奢ることなく研鑽を積んでほしいと思っております。
色々疲れてうんざりしていて、
ひどい怒鳴り方をしてしまった。
すごく恥ずかしい。
今はすごく反省している。
私自身、子供の頃に親にたくさん怒鳴られて
すごく辛かったはずなのに、
いつの間にかすっぽりその気持ちを忘れていた…。
毒親との問題を乗り越えたつもりで、
実は毒親との記憶をばっさり切り捨ててただけかもしれない。
今日、ちゃんと考えて、私は気付いた。
私が傷付いたのは両親が私を傷付けたからじゃない。
私が両親のことが大好きだったからだ。
その気持ちまで切り捨ててたから
子供達が私を大好きな気持ちに気付けなかった。
両親のことを思い出すのは辛いし愉快なことではないけれど…
それでも、子供達のために、自分自身のために、
自分が両親のことを本当に愛していた気持ちを忘れてはいけないんだ。
誰かを愛すれば傷付くことと無縁ではいられないけれど、
だからと言って愛することと傷付くことに背を向けては、
私は私でいられないし、
そんなの人生とは呼べない。
覚悟を決めて、強くならなくちゃ…。
感情のリハビリをするのはすごくしんどいけど、
頑張らなきゃ。
自尊感情は必ずしも能力やスキルに比例しないし
(自慢じゃないが東大出ても自尊感情の低い奴もおります)
むしろ微妙に何らかのスキルとかを持ってるけど自信がない人を描いた方がリアルなのかなと思う。
『グレイズ・アナトミー』のメレディス然り。
全然関係ないけど、
大抵の人って鏡に映る自分を
実際よりちょっと良い感じに見てるらしい。
ドラマの登場人物への感情移入もたぶん同じで、
実際の自分よりちょっと良い人物と自分を同一視することで
良い気分になるという効用がある。
美男美女の主演が好まれるのは恐らくそういう訳。
今や30代女性の一番の憧れの一人とも言えそうな井川遥を主役に配するなら、
相当高いスペックの女性を演じさせるくらいでも丁度良かったんじゃないかと思う。
現に、彼女自身の持っている大物感やセレブ感と
役の人物像がフィットしていなくて
ちぐはぐな演技に見える時もある。
井川遥は役に合わせるよりは
合った役を演じる方が映えるタイプに見えるので、
彼女の責任というよりは脚本とキャスティングの問題かな、と思う。
そもそも義理の母が義理の息子と恋に落ちるなんてのは
あくまでファンタジーだ。
そこにリアリティを持たせるために必要なのは
中途半端な親近感ではないと思う。
浮世離れしてるくらい完璧な女性像にだって、
良い作品であれば人はちゃんと感情移入する。
それはきちんと人物を作り込んであるかどうかで、
現実世界にいそうかどうかとは全く別問題だ。
まぁそんな訳で…正直、
もっと面白くできそうな要素がいっぱいあるのにもったいないドラマ、
というのがおいら的な感想でした。
まぁ文句垂れつつ次回も見るかもしれないけどね。
超久し振りに日本のドラマ見た。
途中からなので的外れな意見だったらごめんなさい、と予め謝っておきます。
井川遥と斎藤工とゆう私の超好みの美男美女が
義理の親子で恋に落ちるっていう
熟女モノのエロビデオみたいな(笑)話で
一応期待を持って見ました。
まぁ面白くない訳ではないが
普段見慣れてる海外ドラマとどうしても比べてしまう…。
一つはっきり思うのは、
日本のドラマは画面から来る情報量が圧倒的に少ない。
これは恐らくカメラマンよりも監督のイメージとその伝え方の問題だと思うんだけど、
なぜそこでクロースアップなのか、とか
意図がはっきりしないショットが多い。
編集の仕方も、
たぶんアメドラとかだったら1秒程度で的確に切り取るところを
延々だらだら何秒も続けているから
ドラマ全体のテンポが遅く感じる。
日本のドラマは結局そのだらだらしている間を持たせるのを
俳優の演技に依存し過ぎていると思う。
俳優に喋らせ過ぎ、語らせ過ぎ。
自分語りの痛い長台詞とか必要最低限にしてほしい。
俳優が台詞で語る以上のことを映像と音を駆使して作るのが
ドラマを作る人達の仕事だと思うんだけどなぁ。
まぁそう言いつつ私も俳優さん達の演技にはあれこれ言いますが(^^;)。
斎藤工くんは役者として非常に骨のある子だと思う。
良い面構えをしている。
前に見たドラマと全く違うイメージの演技をしていて、
これは将来楽しみだと思った。
中年になっても残ってる大スターになることだろう。
むしろその姿が待ち遠しい。
今はまだ20代?で若さを持て余している印象。
顔が出来上がってない感じ。
あれだけのイケメンで顔が出来上がっていないというのは逆に凄い。
決め顔とか得意な表情とかがなくて
役の人物の喜怒哀楽をまんべんなく表現できるのは
役者として強みだと思う。
(下手にCM慣れしてる女優さんなんかだと
笑顔だけが突出して良い出来とかいう
アイタタタ…な演技をしたりもするので。)
井川遥さんは雑誌の写真のイメージが強かったので
Photoshop無しの顔に最初違和感を覚えたが、
演技は悪くない。が、引き込まれるほどでもない。
演出の仕方の問題もあると思うので何とも言えないが。
井川さんについて少々勿体ないと思うのは、
声が喉で詰まっているために
深い感情が伝わりにくい喋り方になっていること。
相手役の斎藤工くんが非常に綺麗な声なだけに、少し気になった。
しかしこれは純粋にテクニックの話なので、
改善すれば何てことないだろう。
あと、脚本的に気になったのが、
井川遥演じる役の、美貌以外に何も取り柄がないという設定。
井川遥さん本人と同じ37歳という設定ということは、
ポストバブル世代。
就職氷河期でバブルの恩恵を受けてきた世代よりも非常に現実的で堅実な傾向がある。
だから「何の取り柄もない」を回避しようと頑張ってきたポストバブル世代の女性は結構多いと思う。
私の知っている限りこの世代の女性は
仕事を持って続けている女性も多い。
そういう意味で、同世代の女性が感情移入するにはやや残念な設定なのではないか?
それと、
冒頭に「熟女モノのエロビデオっぽい話」と敢えて書いたが、
真面目な恋愛ドラマとしてそこときちんと差を付けるには
よっぽどやむにやまれぬ事情を描かないと
義理の息子に簡単に股を開くような軽い女(--;)になっちゃうと思うのよ。
義理の息子に熱烈に恋い焦がれられる設定ならば、
美貌だけではなくてある程度の能力を持っているくらいの方が
視聴者も「そりゃぁ滅多にいない女性だからしょうがないね」と納得できるかもしれない。
だって…失礼な言い方だけど、
美人なだけならどこにでもいくらでもいるでしょ?
英語が喋れなくてパーティーでいたたまれなくて義理の息子くんに救出してもらうとか、
いくらなんでもそりゃお手軽過ぎるだろー。
いや、英語が喋れないのが悪いと言っているのではなくて、
その程度で禁断の恋に走るような軽い女に描いちゃダメだろー、ということ。
まだまだ書きたいけど一度ここで切ります。
某SNSの愚痴を時々ここに垂れ流すようなヘタレですいません。
いや、基本的にSNSで良好な人間関係を順調に形成していて
本当に恵まれてるな、と思うのだけれど、
時々心にちょっと引っかかってしまうのが、
ワーキングマザーをしている知人達の強気な書き込み。
仕事に復帰しても全然よゆーとか、良かったねーと思うけど。
子育て頑張り過ぎなママに
もっと力抜いてみようよって語りかけながら
自分に言い聞かせるようなコラムに対して、
イマイチ共感できないとかわざわざ疑問符つけるとか、
共感できなくて良かったねーと思うけど。
私より強く器用に生きている人達を見る度
自分のダメさ加減に凹むけれど、
凹んだあと最後に残るのは、
私、そんなふうに強く器用に生きたいなんて
少しも思ってないんだな、ということ。
しょっちゅういっぱいいっぱいになって
何度も凹んで泣きべそかきながら、
それでも何とか立ち直って一生懸命前に進もうとジタバタあがく
そのまんまの姿の自分以外になりたいなんて思わない。
私はこの人達とは違う強さをたぶんもうとっくに持っているし、
そのことにもう少しだけ自信を持つべきなんだと思う。
・・・てことでやっと、今回の凹みの底を打った感じです。
やれやれ。
頂いたコメントやメッセージのお返事とか滞ってしまってすみません。
まだちょっとぼーっとしてますが、
少しずつお返事していこうと思っております。
気長にお待ち頂ければと思います。。
結婚生活と同じだけ続けてきたブログですが、
書きたい時に書きたいことを書く、ということだけは守り続けてきたので、
心がちゃんと動いたときに、心の動いたままを言葉にして
ブログを更新し続けたいと思っております。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
8月末から怒涛の行事月間が何とか終わりましたー。
ふう。
うち、旦那のお母さん、旦那、うちの長女、と3代に渡って9月生まれで、
お誕生日祝いを探しに出かけたり色々大変でした。
長女の幼稚園の行事に参加し、
小説の原稿を無謀にも出版社に送ってみたり、
更に大学の知人のつてで新しい仕事の面接に行ったり、
色々と・・・やってるようで実はやってるように見せかけて(苦笑)
若干沈没気味の日々でした。
このブログを読んで下さる方にはバレバレだと思いますが、
「他人の評価」というものを意識した途端に凍り付く困った性分なんです。
小さい頃からテストで99点取ったら「何で100点じゃないんだ」と怒られ、
2番になったら褒められることもなく「次は1番ね」とハッパをかけられ、
センター試験で800点切ったら「もう今年は東大に入るの無理だわ」と罵倒され(結局入りましたけど)、
完璧じゃないと評価してもらえないと長年思い込んでいた癖を取り除くのは大変で、
小説を公開したり面接に行ったりして
人からの評価に晒されることがとっても怖くて
「どうせ私なんてダメだ」という卑屈モード全開でいじけて過ごしてました。
せっかく小説楽しみにしていて下さる方もいらっしゃったでしょうに、
アップが滞ってしまって申し訳ありませんでした。
・・・と言いつつ、正直私は
自分のことを好意的に思って下さる方が存在することに対しての想像力が極めて弱いです。
小説書くくらい妄想力あるはずなのにね。
そういえば私結婚式の時、
誰も来てくれなかったらどうしよう、って本気で泣きべそかいて悩んでたな。
チャペルのドアが開くまで、誰も来てないんじゃないかって不安でしょうがなかった。
・・・友達もたくさんできてきて、だんだん人が怖くなくなってきたはずだけど、
心の中の「誰にも認められない、誰にも愛されない私」が時々顔を出してくると
どうしようもなく苦しいです。
それでも私が何かを書き続けようと思えるのは、
たぶん、そういう孤独でダメな自分を正直に見せることに罪悪感を持たなくていいことを
今は辛うじて知っていて、
同じように孤独で自分をダメだと感じている人がネットの向こう側にいると
少なくとも時々は信じられるようになったから。
明るく楽しい文章じゃなくて申し訳ないですけど、
暗くて重いものを一生懸命抱えるのが私はどうやら好きみたいです(苦笑)。
あ、そうそう、私、無類の亀好きなんですけど
(相変わらずぬいぐるみが増え続けております)、
中国の想像上の生き物で龍のご長男で
重荷を背負うのが大好きな亀の姿の生き物がいるそうです。
・・・私みたいな神様だから、拝んだら守ってくれるかな(笑)?
ちなみにその名は「贔屓」、だそうです!
私も実は最近知りました。
世の中知らないことってたくさんあるなぁ。
てことで、これがほんとの?
今後ともご贔屓に、よろしくお願い致します!!
同級生に対するいじめがエスカレートし、
監禁や嫌がらせに止まらず
ついには万引きの冤罪を擦り付け、
音楽学校は事件をきちんと調べもせずに
いじめられていた生徒を退学に追い込んだ、という
ひどい事件がありました。
そのいじめの主犯格であるにも関わらず
劇団から記録を塗り替える抜擢をされるなどの
厚遇をされてきた夢華あみの退団が発表されました。
私はいじめっ子を通り越してもはや犯罪者になってしまった子が
宝塚の舞台に立つこと自体
非常に不快としか思えなかったので
そういう意味では少しほっとはしています。
でも…私は夢華の才能は全く買っていませんが、
才能があると感じる人もいらっしゃるとは思います。
彼女を庇うような表現になってしまうのは嫌なのですが、
若気の至りで人を傷付けてしまうことは往々にしてよくあることで、
それがエスカレートしないように止めたり諭したり誘導してやるのは
周りの大人の務めだと思います。
そういう意味で、
いじめを止めるどころか一緒になって煽り、
挙げ句裁判所による再三の復学命令まで無視した
音楽学校側の責任は非常に重いと思います。
夢華も学校側がきちんとした対応をしていれば
いじめがエスカレートせず、
こんな形で辞めることもなかったんじゃないかな、
なんてちょっと思います。
なので…一番ちゃんとした形でけじめをつけなければいけない音楽学校・劇団側が
知らぬ存ぜぬを決め込んでいる状況で
夢華が辞めたところで、
何か後味悪くてしょうがないです。
いじめってそんななめくさった対応で済む問題と違うから!
と、声を大にして言いたいです。
