最近ネットで「ダブルバインド」という言葉を知って

色々調べてみたら、

あーこれまさにうちの母が私を支配したやり方だわ、と

溜飲が下がるやら腹の虫が収まらないやらで

脳内大騒ぎ。。


ま、大雑把に言うと、

気分によって矛盾することを命令されて

とにかく言うことを聞くようにされて

自分の意志で動く力を奪われ

そこから逃げ出すことすら禁じられる、と。


・・・いやー。これ、酷過ぎるよね。

ガチガチの袋小路だもん。逃げ場ないもん。


ていうかどっかの連続殺人事件のオバサンとそっくりじゃない?

カルト集団とかでもよくある手っぽい感じだけど。



命からがら逃げ出せただけでも

私、偉い!って思っといた方がいいかも。

私、相当苦労したと自分で思っててもいいはずだわ。

カルト宗教の洗脳からノーマルな社会に復帰したら

たぶん結構勇者でしょ。

うん、私、頑張ったわ。勇者だ勇者。


と、書いてたら妙に客観的になって

自分を誉めてもいいかなという気分になってみた。


しかし・・・

両親と絶縁して1年半、

まだまだインナーマザーはゴキブリのようにしぶとく生き残っておりやす。

まったくもって、ひと思いに叩き潰したいんだが!


馬鹿みたいかもしれないけど、たまに、どストレートに自慢とかしちゃうね。

私、東大出てるんだ。

私、絶対音感あるんだ。

一度聞いたメロディーは簡単に覚えられるんだ。

私、料理とかお菓子作るの得意なんだ。

英語のレシピで外国のお菓子を作ったりもするんだ。

私、英語得意なんだ。

私、色んなダンスを踊れるんだ。

私、今日児童館で、「歌がめちゃくちゃ上手い」って知らないお母さん達に絶賛されたんだ。

私、小説とか書いてたりするんだ。

私、絵を描くの得意なんだ。

目の前に見本とかなくてもアンパンマンの色んなキャラクターとか簡単に描けちゃうんだ。

私、薬膳とか漢方とか結構詳しいんだ。

私、今日ママ友に、こんなにすごい人見たことないって言われた。

そういうことを誰かに言ってもらえるの、初めてじゃないんだ。



私、そういう有難い言葉の後ろにいつも、

「そんな人いくらでもいる」

「私よりも凄い人なんていくらでもいる」って

心の中で呟いてるの。


呪いだよね。

母にずっと言われ続けた言葉。

私を一度も心から褒めてくれなかった母が私にずっと言い続けた言葉。

母は私の成し遂げたことだけは褒めて、

私自身のことは、みっともない、出来損ないの恥ずかしい子として扱ってた。

私はいつまでたったら、

「自分は出来損ないの恥ずかしい存在だ」という思い込みから抜け出すことができるんだろう?


自分に言い訳して、

自分はできない、ダメな人間だって思う方が、

努力しなくて済むから、ラクなんだ。

自分がダメだって思いながら頑張るのは苦しすぎるから。


だけど、私はダメじゃない、私は結構イケてる、なんてちょっと思おうとすると、

「そんなこと思うなんて恥ずかしい」って、

心の中の声が足を引っ張る。

自分がダメじゃないって思うことに、私は罪悪感を持ってる。


マリリン・モンローも世界中に愛されたのに、

親と、自分自身からだけは愛されなかった。

同じ痛みを、私は小説にきちんと反映させなくちゃ。

いつまでたっても「みっともない子」の自己像から抜け出せない惨めさと、

もっとちゃんと向き合ってみよう・・・。


















遅くなったけどまゆたんの退団記者会見をタカラヅカニュースで見ました。

こういう公式な場で本音を言うとも思えないので
綺麗事で固めた隙間から漏れてくる本音の気配を嗅ぎ取って邪推する他ないんだけど。


「退団したいと思った」と言う人は絶対にいない。
「退団したくないけど仕方なく」なんて言う人も絶対にいない。
「今なら退団してもいいと思った」がテンプレだよなぁと思ったらやっぱりそう言った。
「退団後は何も考えていない」もテンプレ。
別に結婚します!って見栄切ったっていいし
女優に転身しますって宣言したっていいと思うんだけどなぁ。


ただ、「『コンガ』と『オーシャンズ』で心から楽しめる瞬間があって幸せだったのが退団の決め手となった」
というので思い出したのは
まゆたんがトップになったばかりの時に受けた雑誌のインタビューでの言葉。

真矢みきさんのコンサートに最下級生で出させてもらった時に、
「楽しむのが一番大事、それがお客様に伝わるから」とみきさんに言われた言葉が印象に残っている、
とかそんな感じだったかな。


あくまで私の勝手な想像だけど、
まゆたんはずっと芸事を厳しく追究することと
舞台で自分を解放して楽しむことの狭間で
いつも揺れ動き悩みながらやってきた感じがする。

そんな彼女が舞台の上で心から楽しめた瞬間があったことは喜ばしいことだけど、
みきさんの教えを律儀にずっと覚えていた彼女が本当にそんな理由で辞めようと思ったんだろうか?
と正直とても疑問に思う。

舞台で楽しめたのは、
これからだ!と自分を鼓舞する理由にはなっても
辞める理由にはならないんじゃないか?

私には…辞めるのを自分で納得するために後付けで理由にしたように思えてならない。

いずれにせよ辞めるのはもう決まったことだし
彼女も(無理矢理にしても)納得して記者会見の場に臨んだんだろうから
ある程度すっきりした顔をしてたのが救いだけど…。

なんだかなぁ。
もったいないとか言ってももう仕方ないんだけどさ。
こういう記者会見でも辞めたくなかった本音とか一切出さず綺麗にやりきる人だからこそ、
惜しいなぁ…と思ってしまうんだけどなぁ。

色々思うところがあって、
コメント欄をしばらく閉鎖してみることにしました。
これまでもすごく無精でコメントにお返事しそびれたりとか随分あったので、
せっかくコメント下さった方々には申し訳なく思っています。


始めた当初から、
自分の書きたいことを書く、というためにブログを続けてきたのですが、
その初心に帰るには
今はシンプルに書くことだけに専念した方がいいな、と
ふと思いまして。

何かあったらメッセージの方でご連絡お願いいたします。
時間はかかるかもしれませんが
お返事はするつもりでおりますので。
そんな訳で、今後ともどうぞよろしくお願いします(^-^)。
ただのひとりごとですが…。

今日の子供達を今日の私が精一杯愛する。
それがすべてだよな。
なんてふと思ったら子育てが少ししんどくなくなったかも。

何だかんだ言って私は子供達に早く育ってほしい、
話が通じるようになってほしい、とか
思い過ぎてた気がします。

もう4歳になったんだからもっとしっかりしてほしい…とか…。
下の子がもうちょっと大きくなったら子育て楽になるかな、とか…。

でも、目の前のこの子達は、
4歳児である前に、1歳児である前に、
この子達なんだよな。
私だって、「何歳だからこのくらい」っていうのに反発して育ってきたのにね。

何年後、どんな子達になってるかはわからないけど、
いつかわからない先ばっかり見て
今日のこの子達を見逃したらきっと後悔するよな…。
今だって、赤ちゃんの頃もっと可愛がってあげればよかったって思うくらいだし。

今日の小さなこの子達を抱き締めて頬擦りした感触は
何年後まで取ってはおけない。
心の中に残るだけ。
取り戻したいと思った時には二度と帰らない宝物なんだよな…。

そしていつか私も、
子供達が育つのはあっという間だと思う日が来るのかな。

その日が来るまで、
そんな予想なんか忘れて
毎日をひたすら丁寧に生きる、
その日の子供達と精一杯向き合う、
それしかないよな。
それでいいんだよね。


どんなに困ったことをやられても、
今日の母ちゃんは今日の君達が大好きだよ。

毎日そう伝えられるように、楽しく頑張ろ(^-^)。
NHKドラマ『ガラスの家』、
文句言いつつ何となく続きが気になって見てる。

文句言いつつも見れる程度には面白い…かもしれないけど。


個人的に一番イラッとするのが、
物語を引っ掻き回す役に「メンタルに問題のある作家」を登場させてること。
いや、私、自分が人のこと言えるほど物を書いてる訳じゃないですけど(--;)、
「物書き」を登場させるのって
よっぽど物語の構成がしっかりしてて
よっぽど必要不可欠な位置に持ってこない限り
物語全体がちゃちくなってしまう地雷のようなキャラだと思うのですよ。
物書きが物書きのことを書くのって中途半端にやると
書き手の取材力の無さと取材サボった感を露呈するだけみたいになっちゃう気がして。

例えば先日亡くなられた山崎豊子さん、
私は全作品読んだ訳じゃないけど、
あの人の物凄い取材量から考えると
安直に物書きを登場させるなんてことは絶対にしなかったと思う。

『ガラスの家』の物書きさん役に関しては脚本も演技も
申し訳ないけど私には深みを全く感じられない。
メンヘラ設定だけ取っても
あんな素人がイメージするテンプレみたいなメンヘラは実際そんなにいないだろうし、
もっと深みのある面白い設定にすることは可能だったと思う。
目を剥いて他人を大袈裟に罵るとか失笑モノだよ。
あれだけでも真面目に見る気が失せた。


繰り返しで悪いけど、
義理の親子で恋に落ちる物語っていうのは
本当に難しい設定だと思うの。
普通に考えてただの不倫以上に倫理的に問題のある関係だし、
不潔とかエロいとか色々ひどい言い様があるし、
まーだからこそエロビデオの専売特許的な(笑)設定でもある訳で。
(嫌な言い方ですいません)


それを純愛として見せ切るためには、
「メンヘラの物書き」なんていうエロビデオに出てきそうな(苦笑)ちゃちいキャラを登場させちゃまずいと思うでー。


おいら爆推しの斎藤工くんと
演技力はそこそこの印象だけど雰囲気は間違いなく一級品の井川遥さんとで
すごく良い感じのドラマになりそうな部分もあるのを
メンヘラ作家の存在がぶち壊しにしてる印象。


あと…全体的にテンポがかったるい。
あと20分くらいあるかなーと思ったらいきなり終わってビックリしたど。
え…これだけですか?と。

丁寧に描くこととただテンポが遅いことは似てるようで違う気がする。


ほんと…うまく転べばすごく面白くなりそうな要素が色々あるだけに
勿体なくてイラッとくるドラマ、という前回と変わらない感想なんだけど、
そういうのも含めて勉強になるなぁとも思うので、
感想はこのくらいにしておきます。
さっきあんなツンなこと書いといて、
後から何か真綿で首を絞められるみたいにダメージ来た。

旦那に
「マグロだー\(^o^)/と思って食べたらニンジンだったorz」みたいな顔してる、
と言われました。

いつもながらそのユニーク過ぎる喩えもどーかと思うんだけど(笑)、
まゆたんのいない宝塚なんてニンジン以下だよ。

腹を立てても涙流してもしゃーないだけに、
気持ちの持っていきどころがなくて
いきなり悟る方向に行ったらしいです私(苦笑)。
ふつー順番逆だろ、と思うんですが(^-^;)。


何ともかんとも、やりきれないです。
来たか。
人間、ショック過ぎると冷静になるもんかな。
でも、まゆたんはもう色々限界だったと思う。
どのインタビュー記事でも「休みたい」「お休みがほしい」って書いてあったし。
優等生の彼女がそういうのを隠せない時点でもう相当キてると思っていた。
CSでも、おっとりとして溌剌として可愛らしかった彼女が
やつれ果てて虚ろになっていくのを見るのが少し辛かった。
どこからどう見ても必要以上に背負い込みやすい真面目な性格の持ち主が、
ここまでよく頑張ったと思う。

もったいないとか残念だとか色んな思いを言えばキリがないけれど、
それよりも何よりも、
彼女の宝塚生活が最後まで幸せであるように、
彼女の卒業後の人生が幸せであるように、
そして彼女が愛する宝塚がどうか彼女の愛した通りの宝塚になってくれるように
心から祈っている。


涼紫央、蘭寿とむ、壮一帆の82期トリオが
私の中でほぼ最後の「宝塚の男役らしい男役スター」だった。
壮くんが卒業したら宝塚はもう見ないかもしれないな…。
あとは轟理事を見に行くか。


そういえば以前理事が大劇場公演に落下傘するのが
各組のトップのファンからは煙たがられていた覚えがあるけど、
今にして思えば煙たがられようが何だろうが
あれは続けた方が宝塚のためだったのかもしれないと思う。
誰の背中を見て育ったのかわからないような生徒が出世して、
宝塚らしい男役を追究してきた生徒が志半ばでどんどん辞めていく現状を見ると。


何かもう、蘭寿とむと春風弥里と悠未ひろと、あと愛音羽麗あたりで卒業後「新・宝塚」でも作ったらどうかね(笑)。
一澤帆布が店の人間丸ごと抜けて信三郎帆布に行っちゃったみたいにさ。
娘役トップは美羽あさひちゃんあたりで。
あ、これじゃほぼ新・宙組か(^-^;)。


しかしまぁ、蘭寿とむのいない宝塚100周年なんてお笑い草だね。
宝塚音楽学校入試が史上最高倍率だった82期の不動の首席ですよ。
これだけでも食い付く人はいただろうに。

でもおいらはもう、宝塚にも蘭寿とむにも思ったほど未練はないです。
もともと宝塚でトップをしているからという理由で彼女を好きになった訳じゃないし、
卒業してからの人生だって長いしね。

彼女の一つの大事な節目を笑顔で見守りたいと思います。

…とか真面目に熱く語ってしまう痛い自分に赤面するのももう当分ないってことかー(苦笑)。

小説の更新が滞ってますが、


更新する前にちょっと、こないだ書いた


マリリン・モンローが本人の死について言及したセリフについて、


あれを書いた背景を薀蓄披露がてら?書こうかと思います。






マリリン・モンローの伝記本、


テレビ・ドキュメンタリーなどでは


自殺説、


誤って薬物を大量に服用したことによる事故死説、


ロバート・ケネディによる殺害説、等々


本当に諸説あったんですが、


サム・ジアンカーナというマフィアが自伝本『「アメリカを殺した男』で


マリリン・モンローの殺害について生々しく言及していたのと、


マリリンと親しかったマーロン・ブランドが自伝本『母が教えてくれた歌』で


死の直前に彼女と連絡を取り合っていた感じでは


自殺するような精神状態ではなかったと断言していることから


やはりマフィアによる他殺かな、と思うようになりました。




証言の信憑性について。


まずジアンカーナについてですが、


マフィアが本当のことを言うかな、


俺が殺したと自慢したいだけじゃないかな、とも思いましたが、


殺害方法について


座薬での殺害方法がマフィア特有のものであったこと、


検視結果(血中から検出された薬物)ときっちり一致することと、


彼の本を1冊読んでみて嘘八百を書き立てたような本にも思えなかったので


(あくまで私の感覚ですが)


これはおそらく本当だろうと判断しました。




それと、マーロン・ブランドの自伝本での記述の信憑性ですが、


何せマーロンが80歳過ぎに書いた本なので


都合良く記憶を書き換えている可能性は否定できません。


ただ、この人の人を見る目、


特に自分と同類の、「虐げられた者」の本質を見抜く目は見事という他なく、


それが彼が名役者であることの重要な要因でもあると思うので、


マリリンについての記述に間違いは無かろうと直感しました。




それと、私がマリリン像を描くに当たってすごく重視したのが


写真でした。


私は写真から人の表情の小さな機微まで感じるのがすごく好きなので、


マリリンの素に近いと感じる写真を


古書の写真集とかも含めてとにかく漁りまくりました。


そうしてマリリンについてある程度の人物像を描いた感じと、


マーロンが書いているマリリン像がすごく近いと感じたというのもあり、


マリリン・モンローは精神的には非常に繊細で脆くはあったものの、


自殺するような人では絶対にない、


最後の最後まで生命力に溢れた底力のある人だったはずだ、


という確信を私は個人的に持っています。




ちなみにこの生命力について、


その根拠の一つとして、


故人の名誉に関わることなのであまりおおっぴらに語るのは失礼なので


作品の中で語ることは避けましたが、


マリリンは12~13回ほど中絶手術を経験したという記録があるそうです。


私もそれを知った時は相当ショックでしたが、


逆に、それだけ中絶を繰り返してもなお妊娠する力のある生殖器の持ち主だったということは


彼女の生命力を奇妙な形で証明しているようにも思えます。




マリリン・モンローは閉塞的な時代の中で、


溢れるほどの明るさと健康美で人々に愛されました。


若く豊かで希望に満ちていた頃のアメリカの象徴でありました。


どんなに深い絶望に苛まれても希望を捨てることのない


陽気で楽観的な「強いアメリカ」そのものでありました。


謎に包まれた死を遂げてもマリリン・モンローが時代を超えて人々を魅了し続けるのは

彼女の比類ない明るさと優しさゆえのように私は思います。


私が描いているマリリン像が本当かどうか証明するすべはありませんが、


精一杯故人の遺したものと向き合い、


故人に対する敬愛の情を何よりも念頭に置いて書いてみたつもりです。




マリリンに対して並々ならぬ思いを抱いている方々も多くいらっしゃる中で


死の真相について本人に断言させるセリフを書くのは勇気が要りましたが、


私なりのマリリンへの思いを現してみたらこんな形になりました、


と言い訳させて頂きます(;^_^A。




あ、そうそう、ジョー・ディマジオとの再婚話についてバッサリ斬っちゃった件ですが、


これも根拠として重要になったのは写真でした。




ジョー・ディマジオと結婚していた当時のツーショット写真を見ると、


彼女が愛していたのはジョーよりもマリリン自身だと感じました。


言い方はアレですが、


すごいハイスペックの男と結婚できた私すごいでしょ、イケてるでしょ的な


自意識を感じる写真が多いです。


個人的に、マリリンのそういうしょーもないところも普通の女の子っぽくて好きなんですが、


こういう間柄では関係が長持ちしなかったのも当然だと思いました。




3番目の夫、アーサー・ミラーとの写真と比べるとなおよくわかります。


マリリンがアーサーの隣にいる時の写真は、


大好きな人と一緒にいられて嬉しくてたまらない女の子そのものです。


嬉しくて嬉しくて見つめてしまう。そういう顔をしています。


ジョーとの写真も相当探しましたが、


夢中で恋している表情のマリリンの写真は見つかりませんでした。


(ま、撮った写真家の腕も関係あるのかもしれませんが。)




なので、それだけ大好きだったアーサーと別れたからと言って、


特に好きでもなかったジョーと再婚しようとするだろうか?


しかも結婚が本当に決まっていながら別の男(マーロン・ブランドとか)と関係を持つか?


等々考えると、


やはりジョーの方がほぼ一方的に迫っていたと考えるのが妥当かという推論に至りました。




ジョー・ディマジオはマリリンの葬儀を仕切り、


毎日マリリンの墓に薔薇の花を捧げ続け、


本人が亡くなる時には「やっとマリリンに会える」と言ったと伝えられていて、


それは純粋にイイハナシダナーと思うんですが、


マリリンが同じように感じていたかどうかは・・・うーん。と思ってしまいます。




でも、そこで一つ言えるのは、


やっぱりマリリンは「男を追いかける女」じゃなくて


「男に追い掛け回される女」の方が絶対似合う!ということ。


だから、ロバート・ケネディに別れを告げられて


追い縋って殺されたなんて絶対ないない!


子供の頃からたくさんの別れの痛みに耐えてきたマリリンが


彼に対してだけみっともなく追い縋るなんて考えられないですね。




そんな訳で・・・


いろいろぐだぐだと書いてしまいましたが、


マリリンの本は本当にたくさんありますし、


色んな説やエピソードがインターネットにも落ちているので、


色んなマリリン像を思い描きながら小説を読んで下さるとまた面白いかな、なんて思います。




・・・更新が滞っててほんとすみませんが、


絶対に更新しますので!


楽しみにしててください!