割り込み御免!!

割り込み御免!!

あなたの脳みそに割り込むインターラプトメッセンジャー「まいたけ」の
下手絵下手ブログです。

Amebaでブログを始めよう!
実話です。


とある夏の夜。

私は街灯もなく、暗い夜道を一人で歩いておりました。

と、そこへ前方から歩いてくる人影を感じ、少し傍へ避けるようにしました。

ふと顔を上げ、人影を確認した私は、

あっ

と思わず叫びそうになりました。

何と、そこには暗闇に浮かび上がった青白い女の生首があったのです。


いや、むしろ怖いとゆーより事実を確認した私は、吹き出しそうになってしまいました。


もうお気づきのことと思いますが、それはスマホを見ながら歩いていた若い女の子でした。


まー最近では歩きながらスマホをいじってる人は多いのですが、まさかこーゆー怪談噺をする稲川淳二のよーな光景に出くわすとは思いませんでした。


夜道の一人歩き。
若い女性は特に気をつけましょう。
(⌒▽⌒)





こんなこと、言われたことありますか?


私がもし、誰かにこう言われたなら、きっとこう言うでしょう。


私が天才なら、世の中の人すべてが天才だよ。
って


天才に努力や運が必要なことは広く言われていますが、考えてみると、誰でもそんな天賦の才は持っているのではないでしょうか。

ただ、それを認める人がいないか、少ないかということだけで。


そう考えると、私は間違いなく断言できます。


このページをお目にかけてくれた方、


あなたは間違いなく天才です!!


たまーに、自分がどうでもいい存在だと気付く時がある。


何を今さら、とゆー気がしないでもないんだけど。


アイドルタレントでもなくて、重要な仕事を任せられているわけでもない。
世間一般としては、いてもいなくても大差ない。


それでも多くの人は、身近な誰かを支えている。
ま、だから日々生活できている。
もちろん、やりたい事や実現したい夢のために、というのもあるかもしれない。


もしかしたら、そういうものが人間の生命維持能力なのかなあ。
だって、どんなに素晴らしい人でも、大自然の中にあっては、一人の生物であることに変わりはないんだし。


だから、自分と偉人の間に大きな隔たりがあるとは、あまり思ってない。


たとえシステム構築とゆー「便利なもの」を生み出すしか能がない人間だとしても。


...たださ。
こういう人間が霊魂になっても、残るのは何処かのサーバーに、変なプログラムが残ってるだけなんだろうなあ。


落人の怨念が森の中に...
とゆーわけには、いかないんだろうなあ。
いやな時代だ。

どうしようもない羨望感に襲われて、自分が嫌になってしまうようなことはありませんか?

あー
同じ歳の誰々は、こんなにすごいのに今の自分は
みたいなやつです。

こーゆーのってやっぱり「比較」ですよね。

人間の住む社会は、人の集合なので、当たり前なのですが、多かれ少なかれそう思わせるように「出来てる」んだと思います。

人ってそれぞれ違うものだから、そもそも比較する事自体が間違っているのですから、あまり気にする事ではないのですが。

こう思ってみるのはどうですか?

すごい人はきっと、自分に代わってやってくれているのだと

だってそうでしょう?

たかだか百年やそこらの人生で、プロのスポーツ選手になって、人気抜群のスターになって、知能明晰の科学者になって、なんて出来やしません。

どんなにすごい人でも「出来ない」ことはあるのです。

つまりその分野に関しては諦めているのですから。

何かで成功したと思っている人は、別の分野の成功者をきっと、心の底ではこう思っているはずです。

自分に代わってこっちの分野で成功してくれてご苦労、と。

比較ばかりしていては世の中楽しくないのですが、では、どうして比較してしまうのでしょう?

それはやはり目標意識がないと、生命力そのものがなくなってしまうからなんでしょうね。

だって戦国時代の武将たちが、俺が天下をとってやる。
と思わなかったら、ずっと戦国時代だったのでしょうから。

最近は、すぐに答えを出したがる風潮にあるみたいですが、近道って、本当にあるのかな?
と、思ってしまいます。

ゲームの世界ではツールやアイテムを駆使して、早くゴールにたどり着く人はいるでしょうけど、人生って、そーゆーのがあるとは、思えないんですよね。








photo:01



時々


人間ほど残酷な種族はいないな


と思うことがあります。


この世の生あるものを殺し、それを正当化し、食らう。


すべからくそれが、彼等の生きるための手段であることが。


殺し、それを食さなければ生き残れない種族。


そして、それを自分たちの夢を追いかけることで、あえて忘れようとしていること。


生き残る事は、未練以外の何ものでもないかもしれませんが、彼等の言う「夢」は本来、何処へ向かっているのでしょうか。


混沌に
帰すは生まれし
もののふの
さだめと知りつつ
未だ見果てぬ夢

やっかいな事件や問題を解決しても、手柄は世間的に認知されている者たちが横取り。


無論彼らに、そんな問題を解決できる手腕などないのだが、多くの人はそれを知らない。


経験や実績から、解決の方法を提案しても、大抵は無視される。


または、出しゃばるな、と、言われる。


失敗すれば、責任をなすりつけられ、出来ないやつ、のレッテルを貼られる。


この世界には、一体どれだけの杉下右京が存在するのだろう?


まー人それぞれでしょうが。


私の場合、嫌な夢、怖い夢を見た日は、大抵あまりいい気分で寝つけることがありません。


別に予知夢とか、ドリームホールだとか、そんなたいそうなものではなく


ただ単にその夢を一日引きずってしまうからでしょう。


多くの場合は人に話すこともなく、私たちの日常から消え去ってしまう悪夢ですが。


一つだけいい事を教えてくれます。


今日会った人、今日起きた事は、もう二度と会うことも、起きる事もないのかもしれないと言う事。


だから、一日の終わりを感謝して終わらなければいけないんだろうなあ。


今日という日は、もう二度と来ないんだという事を。
今さらITでもないんだけど、時々、こういう話を聞いたことがないですか?


この人は何でも知っている。
何でも出来る。


そんな筈はない。


と、思いながら話を合わせる事は多いんだけど。


こういう事を特にこの業界で耳にするのは、やっぱり知識がものをいう世界だからだろうか。


ただ、やっぱりこれって、分数の問題で、分母が小さければ「何でも知っている」事になってしまう。


何でも知っている人


と、賞賛を込めて言うのは、自分の分母の小ささを知らしめているだけ


になってしまうので、気をつけよう。


それに


知らないとゆーことも、悪いことではないような気がするなー
これは何だろう?


最近ではインターネットの普及で、顔も知らない人とつながっている。


そう、ソーシャルネットワークとゆーやつだ。


これをやっていれば、一歩も外に出ることなく、人とつながっている。


インターネット回線が世界中とつながっているからだ。


でも、本当にこれだけがネットワークだろうか?


とゆーか、そんなことをしなくても、人は必ず誰かとつながっている。


何故なら、人は一人で生まれてきたわけでもなければ、一人で生きているわけでもない。


誰かが「何か」をしたことは、必ず誰かに影響する。


いいことも、悪いことも。


そういう意味ではソーシャルと同じ。


顔が見えないからといって、失礼な事や、不快にさせるような事はしてはならない。


悪いことは、悪い影響になって、まるでウイルスのように広がっていく。


誰でもそうなのかもしれないけれど、悪い話は聞きたくない。


出来ることなら、いい話、楽しい話だけを目にして、耳にしていきたい。


現実の世界でも、ソーシャルの世界でも、悪いことは言いたくないなあ。


生きているのは、他の人を不快にさせるためじゃないんだから。


最期に嫌な気分で死んでいくのは、嫌だもんねえ。


でも、自分一人が我慢すれば、他の人が楽しいままでいられる程、やっぱり世の中は単純ではないんだよなあ。


そう


それも、こいつのせいだ。

まいたけです。


なりたい自分の姿。


お金、権力。


こういうものを「夢」と呼ぶなら、眠っている時に見るあれは、何と呼んだらいいのだろう。


妄想?


でも、夜見るあれは、自分の思い通りには動かないしなあ。


幻想。


ちょっと近い気がする。


たとえばもしも、自分の身体から霊魂が抜け出して


まったく違う場所を彷徨ってたりしたら


面白いかもしれない。


幻想列車に乗って