鹿屋・知覧研修2日目。
ホテルを出て向かったのは、鹿屋航空基地資料館。
ここには海から引き上げられ、復元された零戦が展示されています。実際に主翼作業者の班長として携わられた山下勝紀さんも今回のツアーのメンバーで、詳しく説明していただきました。
展示の中には従軍記者として鹿屋に来ていた川端康成氏と山岡荘八氏の記録がありました。
山岡氏は、すぐに特攻隊員たちと打ち解け、話をするようになったのだそうですが、戦争に批判的であった川端氏は、始めはあまり人とは話さなかったそうです。それでも徐々に隊員たちと関わるようになっていきました。
終戦後、川端氏は特攻隊をテーマにした小説を発表したりはしましたが、自分の思いは語りませんでした。
そして、晩年、このような言葉を遺しています。
「私は特攻隊の死をことさら賛美する気持ちはない。かと言って犬死などと揶揄する気持ちも持ち合わせていない。特攻隊員は立派だったというのは不敬であり、同時にあれはつまらない死だったなどというのは不敬である。私は彼らの死について是非をいうこと自体が不敬であると思うのである。なぜなら彼らの死は言葉にならない死であるからだ。ただ、半世紀以上前に祖国のために大空に飛んでいった青年たちがいたーこの事実だけは忘れてはならない。」
川端康成氏がいう「この事実」を忘れない為に、是非多くの日本人に鹿屋に来ていただきたいです。