先週金曜日、「沈まぬ太陽」を途中から見ました。
よく土曜日、高校時代の恩師や先輩、友人達と食事をしたとき、その話題を出したのですが、
「あ~、やっぱり重たすぎて見れなかった。」
との返事が返って来ました。
ちょうど私が見出したのは、主人公演じる渡辺謙が、左遷先のアフリカから戻り、墜落事故の遺族補償担当になったところからでした。
日本航空123便墜落事故。
そのとき私は高校3年生でした。
休みのない受験生生活の合間を縫って、友達が家に泊まりに来ていました。
(そのうちの一人が一緒に食事をしていた友人です。)
「飛行機が落ちた」
というニュースが流れ、夜通しカタカナの搭乗者名簿がテレビの画面に映し出されていました。
当時は、テレビは24時間ではありませんでした。
12時になればNHKは「君が代」のBGMに「日の丸」の映像を映し、その後は砂嵐になっていた時代。
夜通し映像が流れているのは異例でした。
珍しいのでテレビをつけっぱなしにして夜更かしをしていた私たちは、その搭乗者名簿の中に学校の先生の名前を発見したのです。
「でも、カタカナやし、同姓同名の人もおるよ。」
でも、次の日、電話連絡網が回ってきて、それは決定的になりました。
修学旅行の下見に行っていた先生方3人がこの事故で命を落としました。
生徒達の人気が高いいい先生ばかりで、中の一人は、つい数日前まで受験生向けの特別授業でお世話になっていた先生でした。
秋には神戸ワールド記念ホールで学校葬が行われました。
しんどかった受験生の夏の一番つらい思い出です。
このことについて書くと、本当に長くなってしまうので、詳しくは書きません。
日航機事故、JR福知山線の事故・・・。
多くの罪のない人々が命を落とす事故はとても衝撃的です。
それは、「絶対安全」という上に成り立っている「交通」の分野で引き起こされる「まさか」の事故だからです。
普段、電車や飛行機に「死ぬんじゃないか?」と思いながら乗っている人はいません。
絶対的な安全を提供している中で「あってはならない」ことだと思います。
さて、「沈まぬ太陽」に話を戻します。
映画の中で描かれている事故の事後処理(この言葉自体なんだか冷たくて私は嫌いです)。
「組織」と「責任」についていろいろ考えさせられました。
結局はどんなに役職が上の人でも「責任」を感じない人がいる一方、
この会社の一員である=「自分の責任」と考える社員がいる。
その人たちが顧客の信頼を得ながら、次代の安全安心を担っていくのだと。
「会社側」であれ、「労働組合側」であれ、それは同じことだと思います。
そのあたりの対立軸を強調しすぎている内容でしたが、私は、会社側だから「悪」、労働組合側だから「善」ということでは決してないと感じました。
ラストはちょっと釈然としない部分もありましたが、今度は原作本を読んでみようかな?なんて思っています。