杉田 水脈(すぎた みお)オフィシャルブログ

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衆議院議員「すぎた水脈(スギタミオ)」の公式ブログです。



地元の事務所を移転しました。



2017年10月の解散総選挙で自民党の議員として当選を果たしました。
2012年に野党議員として衆議院に初当選、一期2年勤めましたが、与党議員として当選するのは初めて。野党とは全く違うことに戸惑いの連続でした。
自民党では新人といえども、党員を一千人集めないといけないというノルマがあります。
が、その為にはどこかの都道府県に所属して支部を持つ必要があります。
中国比例ブロックで当選した私は、中国5県のどこかの県連に入りたいと色々なルートを使ってお願いしましたが、広島県連、島根県連、鳥取県連に立て続けに断られ、途方に暮れていました。
そんな私をみかねて助け舟を出してくださったのは、安倍元総理でした。
「杉田水脈は山口県連で面倒を見る」
そうおっしゃって、県連役員や県議会の皆様一人一人に電話をかけ、「山口県に縁もゆかりもない議員だが、しっかりした国家観を持ち活動しているので、みんなで面倒を見てやってほしい」と、直接のお願いしてくださいました。
晴れて山口県連所属が認められたのは2018年6月。当選から8ヶ月が経っていました。
県連所属が決まると次に事務所を設けなければいけません。
その時にご指導くださったのが山口二区選出の岸信夫先生でした。
岸先生の元秘書でいらっしゃった吉田充宏県議が事務所の候補となる物件の資料を5件ほど、私の元に届けてくださいました。
その中から選んだのが、山口市赤妻町の事務所です。地元のサッカーチーム「レノファ山口」の事務所の隣のビルの一階でした。
それから7年、ずっとこの事務所で地元活動を行ってきました。2回の国政選挙も別の場所に選挙事務所を設けることなく、やり抜きました。
時には記者会見会場に、また、時には作業場に。限られた空間を工夫して使える、変幻自在の事務所でした。
この度、参議院の支部を閉めることに伴い、事務所も移転することになりました。
思い出がたくさん詰まった場所を離れるのは本当に辛いですが、今度は防府市に拠点を移し、心機一転、頑張りたいと思います。
皆様の引き継ぎのご支援ご鞭撻をどうぞよろしくお願い申し上げます。

新事務所はこちらです。
お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください。
前衆議院議員 杉田水脈 山口事務所
〒747-0064
山口県防府市高井1121-3 2階
電話&FAX:0835-28-3433
大忙しの週末。
地元のライオンズの皆さんと札幌へ。
中国地方のライオンズの方々と交流した翌日は早朝の飛行機で大阪。
龍馬プロジェクト主催の国防勉強会で中山泰秀先生と共に基調講演を担当しました。師匠の林英臣先生が一番前で聞いてくださっていて、少し緊張しました。
8月に選挙応援に行った中山義隆石垣市長にも久しぶりにお会いできました。
翌日は東京に移動し、櫻井よしこ先生の傘寿のお祝いパーティに参加。パーティに先立って行われた記念講演では、中国の脅威について、的確に指摘されました。
それにしても、とても傘寿には見えない、本当にお美しい櫻井先生。私の人生の目標です。
ずっとずっとお元気でいてくださいね😊































【然し僕はこんなにも幸せな家族の一員である前に、日本人であることを忘れてはならないと思うんだ】
我が国初の女性総理大臣が誕生した日。
私は林英臣政経塾の仲間と共に山口県周南市大津島にある回天記念館を訪れました。
フェリーで上陸後まずは、魚雷発射基地跡を見学し、坂の上にある回天記念館へ。大津島には回天記念館だけでなく、魚雷発射基地跡や回転訓練基地等、当時の面影を留めた施設が多く存在しています。
まずは回天記念碑に献花をし、黙祷。
館内の研修室にて、記念館の岩崎氏から説明を受け、その後、館内を見学しました。
回天は戦争後期に発案された兵器である為、散華かれた方々は17歳〜20代前半の方が多く、平均年齢は20才。まだ少年の面影が残る、それでいて凛々しい遺影を拝見しているだけで涙が出ます。
菊水隊、金剛隊、千早隊等、楠木正成公に因んだ名前の隊が多いのは、当時の修身の教科書で子供の頃から心に刻まれているからとのことでした。
冒頭の言葉は、慶應義塾大学の予備学生であった塚本太郎少尉の遺書の一部です。
前半は家族や友人、故郷の人たちへの想いが、そして、後半は「日本人として」の決意が綴られています。
冒頭の言葉の後は、次のように続きます。
「日本人日本人、自分の血の中には三千年の間、受け継がれて来た先祖の息吹きが脈打ってるんだ。鎧兜に身をかため、君の馬前に討死した武士(もののふ)の野辺路の草を彩ったのと同じ、同じ血潮が流れているんだ」
この言葉を聞いて(記念館では、この遺書を読み上げられた少尉の肉声を聞くことができます。)、胸の奥の深いところを突かれた気がしました。
日本人の血。
きっと私の中にもその武士(もののふ)や少尉のように若くして、国の為に命を捧げられた方々と同じ日本人の血が流れている。
このことをもっともっと強く意識して、これからは生きていきたいと思います。
この歴史的な日に大津島の回天記念館を訪れることができたことに、とても意味を感じたそんな一日でした。
是非多くの方に回天記念館に足を運んでいただきたいです。