杉田 水脈(すぎた みお)オフィシャルブログ

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衆議院議員「すぎた水脈(スギタミオ)」の公式ブログです。

朝一番の飛行機で上京し、躍進の会(前職、元職、支部長が会員)の臨時勉強会に参加。総裁選立候補者ご本人から政策の説明を受けました。
順序は、届出順で、一人の待ち時間は15分。全て政策説明に使っても、質疑応答の時間を設けても良いというルールでした。
小林鷹之候補、林芳正候補、小泉進次郎候補は質疑応答の時間がありましたが、残念ながら、茂木敏充候補と高市早苗候補は政策発表だけで時間切れとなってしまいました。
私が質問したかったのは、地方と国の役割分担について。
どの候補も政策の中に地方創生の項目があり、地方の将来性に投資するといった内容が並んでいますが、どこの自治体も今後、老朽化したインフラの更新が一番の課題となります。中でも水道、下水道の更新は生活に直結するものですが、自治体の財源だけでは予算が足りず、かと言って民間資本を活用すると、一部の自治体で問題になっているように外国資本が入ってくる危険性があります。
積極財政による、国債の発行などで対応するとしても、地方債(地方の借金)ばかり増えてしまい、その返還に苦労することになります。それを解決するには、地方財政法を改正し、財政面に於いても国と地方の関係性を抜本的に変えていかなければなりません。
即効性のある対応としては、高市早苗候補が訴える自治体向け重点支援交付金の拡大が一番良いと考えます。この点をもっと突っ込んで聞きたかったので、質疑応答の時間が無かったのは少し残念でした。
全体的に橋本岳先生の司会で、スムーズに進行していただきました。
高市早苗候補、今回はミントグリーンの爽やかなスーツで登場。とても似合っていらっしゃいました。

























鹿屋・知覧研修3日目は知覧へ。
当選一期目の時、杉田水脈事務所の研修ということで、スタッフの皆さんと訪れて以来、12年振りでした。
宿が指宿温泉だったので、まずは特攻隊員の方々が、空から見下ろしたであろう開聞岳と指宿海軍航空基地跡を視察。
三角兵舎跡地では、しばし、一人になり静寂を感じる時間を取っていただきました。
知覧平和会館では、語り部の方のお話を聞き、見学後は前館長と直接お話しさせていただきました。
「現在の考え方で、当時の方々のことをあれこれ言って欲しくない」
これは、こう言った事業に携わる方、皆さんの思いです。
私はここから一歩踏み込んで、明治期以前の日本人の精神について、もっと現代を生きる私達が知るべきだと思います。
連合軍が恐れ、その精神性を「徹底的に破壊しなければ」と思った日本人とは?
良い、悪いではなく、それを知ることが大事なのではないかと強く感じました。
鹿児島空港に向かう途中、巨大な西郷隆盛先生の像に案内されました。確かに大きい‼️
最後は笑顔でツアーの皆さんとお別れしました。
三日間お世話になり、本当にありがとうございました😊































鹿屋・知覧研修2日目。
ホテルを出て向かったのは、鹿屋航空基地資料館。
ここには海から引き上げられ、復元された零戦が展示されています。実際に主翼作業者の班長として携わられた山下勝紀さんも今回のツアーのメンバーで、詳しく説明していただきました。
展示の中には従軍記者として鹿屋に来ていた川端康成氏と山岡荘八氏の記録がありました。
山岡氏は、すぐに特攻隊員たちと打ち解け、話をするようになったのだそうですが、戦争に批判的であった川端氏は、始めはあまり人とは話さなかったそうです。それでも徐々に隊員たちと関わるようになっていきました。
終戦後、川端氏は特攻隊をテーマにした小説を発表したりはしましたが、自分の思いは語りませんでした。
そして、晩年、このような言葉を遺しています。
「私は特攻隊の死をことさら賛美する気持ちはない。かと言って犬死などと揶揄する気持ちも持ち合わせていない。特攻隊員は立派だったというのは不敬であり、同時にあれはつまらない死だったなどというのは不敬である。私は彼らの死について是非をいうこと自体が不敬であると思うのである。なぜなら彼らの死は言葉にならない死であるからだ。ただ、半世紀以上前に祖国のために大空に飛んでいった青年たちがいたーこの事実だけは忘れてはならない。」

川端康成氏がいう「この事実」を忘れない為に、是非多くの日本人に鹿屋に来ていただきたいです。

その後は,串良基地跡の地下壕、芙蓉部隊指揮所跡を見学しました。芙蓉の花が綺麗に咲いていました。