前回からの続きです。

オスカル君の悲しい誕生日の思い出を聞いた私は、私にも同じような思い出があったことを話しました。


私が4歳の時のことです。

その年、弟の3歳の誕生会が六本木の瀬里奈で盛大に行われました。

私の父親と弟は、誕生日が同じ

11月3日

文化の日で祝日ということもあり、皆が集まりやすい日程です。


私の父親は長男で、親戚一同を取り仕切っているようなところがありました。

親戚が集まる日として誕生会を行っていた、その中でも弟の3歳の誕生日は特に盛大に行われました。


その理由は、弟が
長男の長男として生まれた、御披露目の意味があったこと。


そしてもう1つ、1歳を過ぎた弟が感染症で死に損ない、大学病院に入院していた弟が無事に退院し
全快したこと


もちろん、そんな詳しい理由は4歳だった私には理解できません。

数十人も集まった親戚が、次々に弟に持ってくれるプレゼントの数々。

仲良しのいとこたち。
大勢での食事、大きな誕生日ケーキ。

とても楽しくて、次の月に迫った

私の誕生日もラブラブラブラブラブ

と期待していしまいました。



私の誕生日は12月27日です。

クリスマス後で年末という、タイミングのよくない誕生日です。

冬休み中なので、学校で友人に祝ってもらえる機会もありません。


弟の盛大な誕生会から7週間ほどたち、私の5歳の誕生日がやってきました。


その日は朝からウキウキしていた私。

ついに私の誕生日がきた ラブ

それなのに、いつも通りの日常。

弟は3歳で妹は1歳ですから、私の誕生日だという認識がありません。

父親は総合病院の勤務医師として忙しく、自宅にいませんでした。

母は開業医として忙しく、年末も働いています。

私はその日が自分の誕生日であることを言わず、期待しながら1日を過ごしました。

ところが、夕飯もいつも通り。

ケーキもプレゼントもありません。

それでも夕食後に静かにオモチャで遊びながら、そして段々と悲しくなってきた私。

ついに寝る時間になり、母に

もう寝なさい

と言われた瞬間、私はオモチャのケースの前で泣き出してしまいました。

お母さん、今日は私の誕生日だったの
何で何もないの?

その時、私の目の前にあった赤いオモチャの箱の映像は、私の記憶に焼き付いています。

悲しいえーんえーんえーん


(私は、3歳になる頃からの、かなり鮮明な映像記憶が多々あります)


その後も(今でも)、父の誕生日と弟の誕生日は一緒に祝われることがあります。

一方、家族主催の私の誕生会は、私の記憶にある限り、私が6歳の時に1回と、息子が10歳の頃にレストランを予約してくれた1回だけです。

6歳の時は、前年度の反省があったのか、母が保育園の友人を招いて、私の誕生会をしてくれました。

プレゼントはキキララのプラスチックケースの他、サンリオの小物を紙袋にいっぱいおねがい(⬅️この日のことも鮮明に覚えている)




私の話を聞いたオスカル君の感想は

家族に誕生日を忘れられたことはないな🤔


私も息子の誕生日を忘れたことはないですよ❗

9月19日に息子は今月で24歳になりました🤗


ちょっと悲しい誕生日の思い出でした❗