私とキリスト教との出会いは3歳の時です。
 
仏教徒の両親がたまたま選んだ保育園が、教会附属の保育園でした。
 
家から近いのが理由だと思います。
 
 
私が通った教会保育園の宗派は
 
プロテスタント、メソジスト派
 
 
クリスマス礼拝の劇で、マリア様役をジャンケンで勝ち取ったことをよく覚えています。
 
馬小屋に泊まらせてもらうシーンでした。
 
 
 
 
 
偶然にも、その後、12歳から22歳までの10年間お世話になったのは、クリスチャンスクールとしても有名な
 
 
青山学院大学
 
 
こちらも保育園の時と同じ、プロテスタントのメソジスト派というキリスト教でした。
 
 
毎日の学校での礼拝で聞く聖書と、お話。そして皆で歌う讃美歌が好きで、私は中学生の間の一時期、日曜日の礼拝と、日曜学校にも通っていました。
 
自分の宗教を特に意識したことがなかった私が、日曜日の礼拝に通い始めた理由は、早くに亡くなった私の叔父の話を聞いたのがきっかけです。
 
叔父は、父の一番下の弟です。不幸な事故で、20代前半で亡くなりました。
亡くなったのは私が生まれてからちょうど半年後だったので、残念ながら私の記憶にはありません。
 
叔父は7人兄弟の末っ子で、一番小さくて可愛がられていたせいか、子供が嫌いだったそうです。
 
それなのに私のことだけは可愛がったそうで、祖母(叔父の母)に
 
母さん、僕は子供は好きじゃないけれど、この子は可愛いね。
 
と、よく抱きあげてくれたそうです。
 
当時の我が家は、白石家の長男である私の父の家を中心に、両隣、その隣、5軒も並んだ家に、それぞれ祖父母、父の姉、弟、妹の家族が住んでいました。
 
ざっと数えてみると、私が生まれた時には私の従兄弟が5人いたことになります。それだけ子供がいても、私のことだけを可愛いと言っていたそうです。
 
当時の自宅前で3歳になった私
 
叔父が私を可愛がった理由は、私の母が開業医として忙しく、出産直後から仕事に復帰したため、昼間は祖母が私の面倒を見ていたからだと思います。
 
叔父は自宅で印刷業で働いていて、自分の母のところに昼ごはんを食べに来ると、私がいたんじゃないかな?
 
ある日、叔父はいつものように祖母のところに寄り、私を抱き上げました。
 
生後半年の赤ん坊にはよくあることですが、その時、私は吐いてしまったそうです。
 
叔父はシャツを着替えつつ、
 
せっかく着替えたから教会に行こう
 
と、御茶ノ水に車で向かい、帰らぬ人となりました。
 
実際、事故の経緯に、かなりドラマチックなストーリーがあるのですが、ブログに書くのはやめておきます。気になる方は、私に直接会う機会があったら聞いてください。
 
私が大きくなっても、父はお酒を飲みつつ、弟を思って涙を流すことがありました。父にとっては非常に悔いが残る弟の死でした。
 
祖母が冗談交じりに
 
美緒が吐いたせいで出掛ける事になった
 
と言った事があり、小さかった私は非常にショックでしたが、大人になって死の真相を知ってまたショックを受けました。
 
 
 
家族の中で私だけが教会附属の保育園、そして中学から大学までクリスチャンスクールに通ったのは偶然かもしれませんが、何か叔父の想いが働いているような気もして、私はキリスト教に興味を持ちました。
 
 
今では教会に通う時間がありませんが、宗教は何か聞かれたら、迷わず
 
キリスト教です
 
と答えます。
 
海外で生活したり、海外の友人が多いせいもあり、宗教に関して考える機会も多い人生でした。


私に寄り添って眠るジェシー

 
 
オスカル君の家族はカソリックです。でも、オスカル君は偶像崇拝に対して否定的で、キリスト教ではあるが、カソリックでもプロテスタントでもないそうです。
 
僕は神の存在を信じている
 
と言っていました。
 
 
3年前に出会った頃、私が歌う日本語の讃美歌を聞いて、私の声にも恋に落ちたというオスカル君。彼がいつもつけている24金の十字架は、実は私のものですえー
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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