広島に原爆が投下されてから75年たちました。

 

私の母は広島県の南西部に位置する呉市の出身です。距離で20kmほど、今は快速なら40分足らずで広島駅に着きます。

 

1945年8月6日。呉市で生活していた私の祖母と、まだ1歳3ヶ月だった母。祖母にとってまだ小さい、1人目の子供。いつも子供から目を離したことがなかった祖母ですが、その日、私の母は突然、家からいなくなっていたそうです。

 

祖母と息子 2014年ごろ

祖母は広島に用事があり、8時過ぎに広島駅に着く電車の切符を買っていました。原爆が投下されたのは8時15分です。祖母は、まさに原爆が投下される時間に広島に到着する電車に乗るはずでした。

 

美知子ちゃんどこに行ったの?

 

慌てて探し回ると、母は近所の家の土間に隠れていました。

 

もう遅くなってしまったし、用事は明日でもいいわ

 

そう思った祖母は、その日の広島行きを中止。その1時間後に広島には原爆が投下されました。


私と母。1972年。


生死をわけた瞬間

 

小さな子供の野生の勘なのか、広島行きを阻止した母。そのおかげで祖母も母も原爆の被害を免れました。


そして今、私もここにいます。



先日のベイルートの爆発で原爆のことを思った人もいたのではないでしょうか。

 

海外では、戦争を終わらせるために原爆投下が必要だったと言う人たちがいます。


私はそうは思えない。新しい原爆というものの実験だったのだと思う。市街地に原爆を投下し、どのぐらいの威力があるか、どのぐらいの人が死ぬか。

 

原爆が必要だったという人に出会ったら、

 

なぜ広島だけでなく長崎にも原爆を投下したのか

 

と聞いてみてください。戦争を終わらせるためなら2回は必要ないと思いませんか?

 

多くの人々の日常が

一瞬で奪われた日


私が今ここに、こうしているのは偶然が重なった結果。改めて毎日を大切に生きたいと思います。


私と母。2018年。

~明日のブログの予告~

原爆を積んだエノラゲイ号はテニアン島から飛び立ちました。飛行時間は7時間ほど。

私は夏休みに家族でテニアン島を訪れたことが2回あります。

 

明日は旅のエピソード第2弾としてテニアン島のことを書こうと思いますニヤリ

 


昨夜の我が家の夕食

Oisixのポーク葱だれ、ガスパチョとこんにゃくステーキ。


食後に、こんにゃくの作り方をYouTubeでオスカル君に見せました。あれ、複雑なんですよね。

 

 写真にうつっている間接照明はオスカル君が改造したので、ピンクやブルーに色を変えるようになりました。


元は一色だった↓↓

 

 

 

Amazon Alexaとつなげてあるので、声でつけたり消したりもできます。